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2008年1月

2008年1月30日 (水)

「無」について

 週末によく「サミット」に買い物に出かける。そこで、たまたま、「無洗米」と表示されたお米を見かけた。それが、どういうものであるのかは、新聞か何かで読んで知っていた。米を研ぐ必要がなく、水を入れてそのまま炊くことができる簡便な米である。横着な世の中になったものだと、実にオヤジくさい反応がまず、わが頭に去来した。
 昔は、米を器に入れ、冷たい水で静かに研ぐ。数回研いで、白濁が少なくなってきたら、洗った米を炊飯器に入れ、水を適量加えて、しばし寝かせた後に、スイッチ・オン。何回研ぐか、どうやって研ぐかは、米の種類や季節によっても変わる。経験が、うまい飯を生み出してきたのである。
 しかし、もはや、その余地はない。水を加え、スイッチ・ポンである。そのうちに、「乳がでないので米の研ぎ汁を赤ん坊に飲ませた」なんていう文章が、いったい何を言っているのか分からない時代がやってくるだろう。それも時代の趨勢だろうから、嘆き悲しむことではないのかもしれない。すこし、残念な気がするが、炊事の手間が省けてめでたしめでたしと思うべきなのだろう。
 さて、その次にわが薄い頭に去来したのは、「無洗米」という言葉はなんだか、妙な感じがする、ということだった。漢字の「無」は、「ない」を意味する。
「無学」とは、学問が「無い」ことだし、「無免許運転」は免許を「持っていない」のに運転すること、「無銭飲食」はお金が「無い」のに飲み食いすること。「無謀運転」は、ちゃんとした考えも「無し」に運転することである。そう考えると「無洗米」は、「洗浄の無い」米、つまり、「洗っていない米」のことを言うのではなかろうか。「無洗」には、「洗う必要がない」という意味は無いと思う。
 もし、既に洗ってあって、洗う必要がない米のことを言いたいのであれば、「既洗米」か「洗不要米」と呼ぶべきではないのか、うん、絶対そうだ、とレジでお金を払いながら、ぶつぶつと呟いてしまうオヤジなのだった。
 

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広辞苑と「おまんこ」

 最近、「広辞苑」が10年ぶりにヴァージョン・アップして、いくつかの新語が掲載されるようになったという。そうか、旧版から、もうそんなに歳月が流れたのかと月日の流れの速さをしみじみ感じたりしたものだが、その新語というのが、聞けば「ワンセグ」「ニート」「いけ面」「着メロ」などといった、最近生まれた言葉なんだそうである。「スイーツ」などという言葉もあることを、新聞記事で知ったが、おいおいちょっと待ってくれよ、と文句をつけたくなった。だいたい、そんないつ消え去るかも知れない言葉を、しかも、ほとんどの日本人が知っている言葉を追加する必要があるのか、と。
 むしろ、今まさに消え去ろうとする言葉たちをこそ掲載するべきではないのか、と怪訝に感じた。辞書を引かねば、もうその言葉の本来の意味や語源にたどり着くこともできない言葉をこそ、新たに記載すべきではないのか。そんな風に思っていたときに、たまたまテレビを見ていたら、勝谷誠彦という人が出てきて、似たような感慨を早口&せっかち&喧嘩腰で喋っているのを聞いて、同じように考える人がいるもんだなあ、と思った。
 が、それにしても、この勝谷氏はなんでいつも、学生下宿から寝起きでそのまま出てきたようなもっさりした風体なのだろうか。その服装、ヘアスタイル、物言い、すべてが視聴率を押し下げる働きをしているような気がするのだが、それは浅はかな見解であろうか。いや、きっと共演者の方々はそう思っているに違いない。阿川佐和子さんなんかは・・・・。勝谷氏や、女子ゴルフの不動裕理さんを見ると、なんで関係者は、スタイリストやヘアメイクをつけてあげないのか、と不憫になってくる。不動さんの髪型や眉毛に少し手を入れ、ウエアをなんとかすれば、きっともうちょっとなんとかなったのではないか。いや、ま、いいや、そんなことは。
 で、勝谷氏はいったい、どういう方なのだろうかと興味を持ち、さっそくグーグルで検索してみたら、なんと、ウィキペディアに細かく経歴やら仕事内容やらが記されていて驚いた。こ、これは、自分で書いたんじゃないの、というくらいに事細かに、しかも、こんなこと人に知られたら困るんじゃないの、ということまで書かれているのだ。で、この文章を書くために再度、ウィキペディアを覗いてみたら、なーんだ、すでにいろいろ削除・編集されていて、つまらなくなっている。つまらなくなっていたので、知人からあれこれ聞いた、勝谷氏にまつわるエピソードの中で好きなもののいくつかを書いておこう。画面からは伝わらぬ、勝谷氏の愛すべき一面が浮かび上がる。
 勝谷氏は、兵庫県の勝谷医院の長男として誕生。幼少のころ母上がバレエ教室に通わせていた。とても今の風貌からは想像しえぬいい話である。親の期待を一身に集め、家業を継ぐべく、灘中、灘高に進学するも、いいにくい話だが、はなはだしく落ちこぼれ、医学部進学がかなわぬどころか、担任に青山学院大学文学部に進むと告げて、「か、勝谷、頼むさかい、それだけは勘弁してくれ」と懇願される始末であった。で、なんとかかんとか早稲田の一文に進むが、「医学部進学」の夢は捨てきれず、筑波大学の入試は作文中心だと聞きつけて、勇躍、筑波大の試験会場に乗り込む。「僕は文章力には自信があるから」と。が、問題を見て愕然。なんだか分からない化学式がいっぱい書いてあって、それについて記せ、という問題である。退出許可が出る時刻まで、勝谷氏は額に悪い汗をいっぱいかきながら悶絶していたのであった。かと思えば、東大にも何回かチャレンジしていて、マークセンス方式の回答を快調に塗りつぶしていたらしい。最後の問題に至り、なんだ、ちょろいもんじゃわい、と塗りつぶしたところ、問題はもうないのに、回答欄はもうひとつ余っている。「うわーーーー、どこかで飛ばしたーーーーーー」と、残り時間も少ないので泣きそうになりながら消しゴムでゴシゴシ消し終わったところで、無情のタイムアップ!!
 私は、強面&チック症的な勝谷氏より、そんな愛すべき一面をもった勝谷氏が好きである。フリーの風俗記者をこなしながら、そのことを秘密にして文春に入社したものの、配属されたばかりの文春の編集部で、深夜「おまんこ」を大声で連呼して周囲の女性社員のみならず、先輩社員の大顰蹙をかって馬脚を現したり、取材に行ったフィリピンでちゃっかりタクシー会社を設立したり、そんな破天荒なところが好きである。
 と、ここまできて、やっとタイトルの「おまんこ」にたどり着いた。そうなのである、新「広辞苑」にこの言葉が新たに掲載されたというのである。東京新聞は、<男性の「おちんちん」「ちんこ」などは収録済みだが、なぜか(略)女性の通称は存在しなかった>と書いているが、これを書いた記者は新版「広辞苑」を手にとって、そんな言葉を一生懸命引いていたのである。しかし、これまで記載してこなかったのに、なぜ、ここにきて載せるのであろうか? 載ってないと困る人でもいるのだろうか。「男性だけでずるい!」と息巻く女性の集団がいたのであろうか。よく分からない。岩波書店の会議室で委員が集まって掲載・不掲載の会議をしたのであろうが、どんな顔をして採決していたのか想像すると、にんまりしてくる。
「おまんこ」話になると、必ず、思い出すラジオ番組がある。今から、27、8年前。TBSラジオで「土曜ワイド・ラジオTOKYO」なる番組があった。その中のコーナーに「素朴な疑問シリーズ」というものがあり、これは言ってみれば「大人の電話相談室」の趣きのあるものだった。メインキャスターは久米宏氏。当時34歳くらい。長身で痩せていて、反骨精神旺盛で、それはそれは面白いパーソナリティだった。この番組には聴取者から素朴な疑問が次々に寄せられる。たとえば、
「寿司屋なんですが、おい、ひとつ握ってくれといわれて、なんで2つ握らなければならないんでしょうか?」
「六日町は発展したら六日町市になるんだから、現在は六日町町と呼ぶべきではないか?」
「犬の足は前足というのに、なんでお手、というのか?」
「処女膜は人間の女以外にもあるのか? あるとしたらなんのためにあるのか?」
こんな質問が次々に寄せられるのだが、久米氏は電話を握り締め、アポなしで当事者にライブの質問を浴びせかける。そのやりとりがそのままオンエアされるのである。たとえば、最後の疑問を受けた久米アナはすぐに獣医さん電話。「ホ乳類には全部処女膜はある。だから、1回目のときは、ホ乳類はみんな痛がります」の返事。が、ディレクターが「いや、モグラだけのはずだ」と反論。そこで、上野動物園に電話。「あるのはモグラだけです。他の動物には痕跡程度しかありません」。では、いったいなんのためにあるのか? 産婦人科医に電話。「目的論的に考えると、いろんな黴菌やカビのようなものが中に入り込むのを防ぐんでしょう」。これで一件落着かと思いきや、聴取者からジャンジャン電話が入る。「それなら、性行為をもったモグラは黴菌が入って死んじゃうじゃないか」「人間のメスはパンティをはいているのになんで膜があるの?」とてんやわんや。最後には、新幹線で移動中のドクトル・チエコさん(懐かしい名前だ)にまで電話をかけたりして。挙句の果てには、聴取者の女性から苦情の手紙が。「久米さんは入口、入口とおっしゃるけれど、あれは出口ですっ」
 その番組が、ある土曜日の昼下がり、「おまんこはなぜ、おまんこと言うのか」という疑問に果敢に取り組んだことがあった。
「ニュース・ステーション」で颯爽と喋っていた久米氏の、あの口調を思い出して欲しい。あの調子で、公共の電波に「おまんこ」という単語を明瞭に、屈託なく、はつらつと、乗せたのである。「おまんこの語源は、万古焼にあるともいわれ・・・」と、聞いているこっちがはらはらするほど高らかに、全国津々浦々にアナウンスしていたことを思い出す。
 まだ、ラジオが若々しく、生き生きしていた時代の、信じられないような痛快な昼下がりの話である。

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エリツィンとタマタマ

  欧州の有名なウォッチ・メーカーの日本支社長をしていた友人がいた。本社への出張から帰国したばかりの彼と、食事をしたのだが、その時、「いやあ、怖かったよー。本社の社長と一対一で会議室で話し合いをするんだけど、売り上げがはかばかしくない、やる気はあるのか、といってテーブルをバーンと叩くんだ。はい、すいません、次年度は頑張りますから、と低頭すると、社長がすーっと近づいてきて隣に座って、いきなりテーブルの下に手を伸ばしてきたかと思うと、僕のタマタマをぎゅーっと握るんだよ。おまえ、ほんとにやるんだろうな、ってね。震え上がるよ。ほんとに怖いよ、これは」
  40代の日本支社長は、その感触を思い出してまた身震いするのだった。名前を書けばみんなが知っているそのウォッチ・メーカーの本社社長はユダヤ人だと聞いたが、本当にいい大人がそんなことをするんだろうか、セクハラだかパワハラだかよくわからないが、なんの意味があるんだろうか。私にはとてもそんなことはできないなあ、とその時に思った。想像してみてください、そんなに親しくない男のタマタマ、握れますか? いや、親しくなったら、なおのこと握れませんわね、そんなもの。
  と思っていたら、前にも書いた、佐藤優の「インテリジェンス人間論」(新潮社)の中にこんなことが書いてあって、大いに驚いた。
  エリツィンが大統領だったころ、その周囲ではサウナパーティーが重要な意味をもっていた。一昔前の日本の料亭政治のように重要事項はサウナで決められていたというのだ。エリツィン大統領に会いに行く時の総理・橋本龍太郎に、佐藤優氏が、サウナでの振舞い方を教示するくだりを引用する。
<佐藤 サウナでは白樺の枝で背中を叩きます。酔いが回るとエリツィンは変なところを突っついてくるかもしれません。それから、ロシア人は男同士でキスをします。キスは3回します。右頬、左頬、最後は唇です。
橋本 男同士でキスをするのは気持ち悪いな。
鈴木(宗男) 総理、ここは国益です。それにロシア人は、ほんとうの同志だということになるとアソコを握ってきます。これも「ああ気持ちがいい」といって是非受けてください。
 橋本氏は嫌な顔をして聞いている。鈴木氏の説明に誇張はない。私もロシアの政治家とサウナに入り、イチモツを握り合って約束をしたことが何回かある。旧約聖書にも「手をわたしの腿の間に入れ、天の神、地の神である主にかけて誓いなさい」(「創世記」第二十四章二-三節)と書いてあるので、古代の誓いの伝統がロシアには残っているのだろう。>(P38-39)
  本当なのだろうか。古代からの誓いの儀式なのだろうか。そうだとすれば、先の社長の振る舞いもなんとなく分かるのだが。どなたか、このタマタマ握りの真相についてご存知の方は是非ご教示いただきたい。

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エリツィンと京料理

 赤坂にあるお城のようなラブホテルの先の路地を、左に曲がった右側に古ぼけたマンションがある。狭い路地なのであまり人が通ることもなく、夜などはちょっと淋しいほどである。  そのマンションの1階に京料理屋があった。「あった」と書いたのは、今はもうなくなってしまったからだが、カウンターと小さい座敷があるだけの、小さな店だった。カウンターは7、8人も並べば満席になってしまうほどの大きさだった。

 そこの京料理が好きで、よく通っていたのだが、10年以上前のある晩、店に顔を出すと、店主が「こないだ、いきなりエリツィンが来たんだよ」という。「え、エリツィンって、ロシアのエリツィン?」「そう、一人でふらっと入ってきて食べて出て行った」「人違いじゃないよね」「うん、エリツィンだったよ。親指がないのにうまく箸をつかってたよ」。

 親指がない? エリツィンが右利きなのか左利きなのか知らないが、とにかく箸を持つほうの手の親指がない、というのだ。そんな話は聞いたことがないし、本で読んだこともない。しかし、確かに親指はなかったという。店主はカウンターの端を指差して「そこで食べてたんだから、手元はよく見えたし」。

 その話を聞いてから、気になったので、新聞や雑誌でエリツィンの写真が掲載されると、その手元をよーくチェックするようになった。親指は見えなかった。しかし、親指そのものがないから見えないのか、それとも指を折っていて見えないのか、そこまでは分からなかった。それにしても、なんで、エリツィンはこんなちっぽけな京料理屋に来たんだろうという、不思議な気持ちが長く残った。だいたい、ピロシキやビーフストロガノフとか(たとえが貧弱ですまぬ)のロシア料理と京料理は全然共通性もないのに、エリツィンはおいしいと思ったのだろうか、と。

 以来、時が経ち、そのことはすっかり忘れていたのだが、最近、佐藤優の新刊「インテリジェンス人間論」(新潮社)を読んでいて、あ、と思った。そうか、そうなのかも知れない、と強く思ったのだ。本の中にこんな一節がある。

<米原万里さんはロシア語の会議通訳、同時通訳としても第一人者だった。私のロシア語など百年経っても米原万里さんの水準に及ばない。(略)エリツィン大統領は米原万里さんをとても信頼していた。実は、ごく限られた人々にしか知られていないが、ソ連崩壊前、ロシア共和国最高会議議長時代のエリツィンの対日政策には米原万里さんの意見がかなり反映されているのである。>

 昔、その京料理屋を私は年長のある方に紹介したことがある。その方はこの店を大いに気に入り、米原さんを伴って来店、米原さんも繊細な味に感動し、ご自宅でのパーティに店主らを呼んで、料理を作ってもらうほどだったのだ。エリツィンに対して対日政策まで具申していた米原さんだから、おそらくは「東京に行ったら絶対に食すべき日本料理」としてこの小さな店を推奨していたに違いない。そう考えると、先の疑問もすっきり氷解するのだが、残念ながら、ことの真偽をエリツィンにも米原さんにも聞くことはできない。

お二人とも、天国の人となってしまったからだが、きっと、今頃仲良く久闊を叙しているかもしれない。「あの店の先付けはおいしかったね」などと。

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