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2008年1月30日 (水)

広辞苑と「おまんこ」

 最近、「広辞苑」が10年ぶりにヴァージョン・アップして、いくつかの新語が掲載されるようになったという。そうか、旧版から、もうそんなに歳月が流れたのかと月日の流れの速さをしみじみ感じたりしたものだが、その新語というのが、聞けば「ワンセグ」「ニート」「いけ面」「着メロ」などといった、最近生まれた言葉なんだそうである。「スイーツ」などという言葉もあることを、新聞記事で知ったが、おいおいちょっと待ってくれよ、と文句をつけたくなった。だいたい、そんないつ消え去るかも知れない言葉を、しかも、ほとんどの日本人が知っている言葉を追加する必要があるのか、と。
 むしろ、今まさに消え去ろうとする言葉たちをこそ掲載するべきではないのか、と怪訝に感じた。辞書を引かねば、もうその言葉の本来の意味や語源にたどり着くこともできない言葉をこそ、新たに記載すべきではないのか。そんな風に思っていたときに、たまたまテレビを見ていたら、勝谷誠彦という人が出てきて、似たような感慨を早口&せっかち&喧嘩腰で喋っているのを聞いて、同じように考える人がいるもんだなあ、と思った。
 が、それにしても、この勝谷氏はなんでいつも、学生下宿から寝起きでそのまま出てきたようなもっさりした風体なのだろうか。その服装、ヘアスタイル、物言い、すべてが視聴率を押し下げる働きをしているような気がするのだが、それは浅はかな見解であろうか。いや、きっと共演者の方々はそう思っているに違いない。阿川佐和子さんなんかは・・・・。勝谷氏や、女子ゴルフの不動裕理さんを見ると、なんで関係者は、スタイリストやヘアメイクをつけてあげないのか、と不憫になってくる。不動さんの髪型や眉毛に少し手を入れ、ウエアをなんとかすれば、きっともうちょっとなんとかなったのではないか。いや、ま、いいや、そんなことは。
 で、勝谷氏はいったい、どういう方なのだろうかと興味を持ち、さっそくグーグルで検索してみたら、なんと、ウィキペディアに細かく経歴やら仕事内容やらが記されていて驚いた。こ、これは、自分で書いたんじゃないの、というくらいに事細かに、しかも、こんなこと人に知られたら困るんじゃないの、ということまで書かれているのだ。で、この文章を書くために再度、ウィキペディアを覗いてみたら、なーんだ、すでにいろいろ削除・編集されていて、つまらなくなっている。つまらなくなっていたので、知人からあれこれ聞いた、勝谷氏にまつわるエピソードの中で好きなもののいくつかを書いておこう。画面からは伝わらぬ、勝谷氏の愛すべき一面が浮かび上がる。
 勝谷氏は、兵庫県の勝谷医院の長男として誕生。幼少のころ母上がバレエ教室に通わせていた。とても今の風貌からは想像しえぬいい話である。親の期待を一身に集め、家業を継ぐべく、灘中、灘高に進学するも、いいにくい話だが、はなはだしく落ちこぼれ、医学部進学がかなわぬどころか、担任に青山学院大学文学部に進むと告げて、「か、勝谷、頼むさかい、それだけは勘弁してくれ」と懇願される始末であった。で、なんとかかんとか早稲田の一文に進むが、「医学部進学」の夢は捨てきれず、筑波大学の入試は作文中心だと聞きつけて、勇躍、筑波大の試験会場に乗り込む。「僕は文章力には自信があるから」と。が、問題を見て愕然。なんだか分からない化学式がいっぱい書いてあって、それについて記せ、という問題である。退出許可が出る時刻まで、勝谷氏は額に悪い汗をいっぱいかきながら悶絶していたのであった。かと思えば、東大にも何回かチャレンジしていて、マークセンス方式の回答を快調に塗りつぶしていたらしい。最後の問題に至り、なんだ、ちょろいもんじゃわい、と塗りつぶしたところ、問題はもうないのに、回答欄はもうひとつ余っている。「うわーーーー、どこかで飛ばしたーーーーーー」と、残り時間も少ないので泣きそうになりながら消しゴムでゴシゴシ消し終わったところで、無情のタイムアップ!!
 私は、強面&チック症的な勝谷氏より、そんな愛すべき一面をもった勝谷氏が好きである。フリーの風俗記者をこなしながら、そのことを秘密にして文春に入社したものの、配属されたばかりの文春の編集部で、深夜「おまんこ」を大声で連呼して周囲の女性社員のみならず、先輩社員の大顰蹙をかって馬脚を現したり、取材に行ったフィリピンでちゃっかりタクシー会社を設立したり、そんな破天荒なところが好きである。
 と、ここまできて、やっとタイトルの「おまんこ」にたどり着いた。そうなのである、新「広辞苑」にこの言葉が新たに掲載されたというのである。東京新聞は、<男性の「おちんちん」「ちんこ」などは収録済みだが、なぜか(略)女性の通称は存在しなかった>と書いているが、これを書いた記者は新版「広辞苑」を手にとって、そんな言葉を一生懸命引いていたのである。しかし、これまで記載してこなかったのに、なぜ、ここにきて載せるのであろうか? 載ってないと困る人でもいるのだろうか。「男性だけでずるい!」と息巻く女性の集団がいたのであろうか。よく分からない。岩波書店の会議室で委員が集まって掲載・不掲載の会議をしたのであろうが、どんな顔をして採決していたのか想像すると、にんまりしてくる。
「おまんこ」話になると、必ず、思い出すラジオ番組がある。今から、27、8年前。TBSラジオで「土曜ワイド・ラジオTOKYO」なる番組があった。その中のコーナーに「素朴な疑問シリーズ」というものがあり、これは言ってみれば「大人の電話相談室」の趣きのあるものだった。メインキャスターは久米宏氏。当時34歳くらい。長身で痩せていて、反骨精神旺盛で、それはそれは面白いパーソナリティだった。この番組には聴取者から素朴な疑問が次々に寄せられる。たとえば、
「寿司屋なんですが、おい、ひとつ握ってくれといわれて、なんで2つ握らなければならないんでしょうか?」
「六日町は発展したら六日町市になるんだから、現在は六日町町と呼ぶべきではないか?」
「犬の足は前足というのに、なんでお手、というのか?」
「処女膜は人間の女以外にもあるのか? あるとしたらなんのためにあるのか?」
こんな質問が次々に寄せられるのだが、久米氏は電話を握り締め、アポなしで当事者にライブの質問を浴びせかける。そのやりとりがそのままオンエアされるのである。たとえば、最後の疑問を受けた久米アナはすぐに獣医さん電話。「ホ乳類には全部処女膜はある。だから、1回目のときは、ホ乳類はみんな痛がります」の返事。が、ディレクターが「いや、モグラだけのはずだ」と反論。そこで、上野動物園に電話。「あるのはモグラだけです。他の動物には痕跡程度しかありません」。では、いったいなんのためにあるのか? 産婦人科医に電話。「目的論的に考えると、いろんな黴菌やカビのようなものが中に入り込むのを防ぐんでしょう」。これで一件落着かと思いきや、聴取者からジャンジャン電話が入る。「それなら、性行為をもったモグラは黴菌が入って死んじゃうじゃないか」「人間のメスはパンティをはいているのになんで膜があるの?」とてんやわんや。最後には、新幹線で移動中のドクトル・チエコさん(懐かしい名前だ)にまで電話をかけたりして。挙句の果てには、聴取者の女性から苦情の手紙が。「久米さんは入口、入口とおっしゃるけれど、あれは出口ですっ」
 その番組が、ある土曜日の昼下がり、「おまんこはなぜ、おまんこと言うのか」という疑問に果敢に取り組んだことがあった。
「ニュース・ステーション」で颯爽と喋っていた久米氏の、あの口調を思い出して欲しい。あの調子で、公共の電波に「おまんこ」という単語を明瞭に、屈託なく、はつらつと、乗せたのである。「おまんこの語源は、万古焼にあるともいわれ・・・」と、聞いているこっちがはらはらするほど高らかに、全国津々浦々にアナウンスしていたことを思い出す。
 まだ、ラジオが若々しく、生き生きしていた時代の、信じられないような痛快な昼下がりの話である。

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