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2008年1月30日 (水)

エリツィンと京料理

 赤坂にあるお城のようなラブホテルの先の路地を、左に曲がった右側に古ぼけたマンションがある。狭い路地なのであまり人が通ることもなく、夜などはちょっと淋しいほどである。  そのマンションの1階に京料理屋があった。「あった」と書いたのは、今はもうなくなってしまったからだが、カウンターと小さい座敷があるだけの、小さな店だった。カウンターは7、8人も並べば満席になってしまうほどの大きさだった。

 そこの京料理が好きで、よく通っていたのだが、10年以上前のある晩、店に顔を出すと、店主が「こないだ、いきなりエリツィンが来たんだよ」という。「え、エリツィンって、ロシアのエリツィン?」「そう、一人でふらっと入ってきて食べて出て行った」「人違いじゃないよね」「うん、エリツィンだったよ。親指がないのにうまく箸をつかってたよ」。

 親指がない? エリツィンが右利きなのか左利きなのか知らないが、とにかく箸を持つほうの手の親指がない、というのだ。そんな話は聞いたことがないし、本で読んだこともない。しかし、確かに親指はなかったという。店主はカウンターの端を指差して「そこで食べてたんだから、手元はよく見えたし」。

 その話を聞いてから、気になったので、新聞や雑誌でエリツィンの写真が掲載されると、その手元をよーくチェックするようになった。親指は見えなかった。しかし、親指そのものがないから見えないのか、それとも指を折っていて見えないのか、そこまでは分からなかった。それにしても、なんで、エリツィンはこんなちっぽけな京料理屋に来たんだろうという、不思議な気持ちが長く残った。だいたい、ピロシキやビーフストロガノフとか(たとえが貧弱ですまぬ)のロシア料理と京料理は全然共通性もないのに、エリツィンはおいしいと思ったのだろうか、と。

 以来、時が経ち、そのことはすっかり忘れていたのだが、最近、佐藤優の新刊「インテリジェンス人間論」(新潮社)を読んでいて、あ、と思った。そうか、そうなのかも知れない、と強く思ったのだ。本の中にこんな一節がある。

<米原万里さんはロシア語の会議通訳、同時通訳としても第一人者だった。私のロシア語など百年経っても米原万里さんの水準に及ばない。(略)エリツィン大統領は米原万里さんをとても信頼していた。実は、ごく限られた人々にしか知られていないが、ソ連崩壊前、ロシア共和国最高会議議長時代のエリツィンの対日政策には米原万里さんの意見がかなり反映されているのである。>

 昔、その京料理屋を私は年長のある方に紹介したことがある。その方はこの店を大いに気に入り、米原さんを伴って来店、米原さんも繊細な味に感動し、ご自宅でのパーティに店主らを呼んで、料理を作ってもらうほどだったのだ。エリツィンに対して対日政策まで具申していた米原さんだから、おそらくは「東京に行ったら絶対に食すべき日本料理」としてこの小さな店を推奨していたに違いない。そう考えると、先の疑問もすっきり氷解するのだが、残念ながら、ことの真偽をエリツィンにも米原さんにも聞くことはできない。

お二人とも、天国の人となってしまったからだが、きっと、今頃仲良く久闊を叙しているかもしれない。「あの店の先付けはおいしかったね」などと。

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