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2008年2月21日 (木)

橋本治の恵み

 橋本治氏について、さほど多くのことを知っているわけではない。
 一番古い記憶は、今から40年ほど前。
 古いなあ、話が。我ながら驚いてしまうが、いまだに鮮明に覚えているのだからしかたがない。何気なくテレビを見ていたら、デニムのつなぎを着た長髪の青年が登場して、タバコをすったり寝転がったりしながら、カメラの前でニコニコしつつ何やら一生懸命喋っていたのである。おせんべいのような、丸くて平たい顔がとても印象的だった。

 それが橋本治氏だった。1968年の東大駒場祭のポスターの絵とコピーを書いた本人として紹介されていた。当時、20歳。東大文学部国文科の学生であり、かつイラストレーターだったのである。どれだけの人が覚えているか知らないが「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」という名コピーとともに橋本氏の名前は人々にしっかりと記憶された。

 それから20年。友人(男性)がなにやら派手なセーターを着ていた。胸のあたりになんだか分からないが絵が編みこまれている。
「どうしたの、そのセーター」
 と聞くと、
「あ、これ? 橋本治さんにもらったんだよ。橋本さん、編み物うまいんだよ」
 ふーん、器用な人なんだなあ、とそのとき思った。

 それからまたまた20年。
昨年の小林秀雄賞の授賞式での橋本氏のスピーチがとても秀逸だったと友人から聞いた。受賞者は内田樹氏。文春新書の「私家版・ユダヤ文化論」での授賞である。そのお祝いのスピーチをするために、選考委員を代表して橋本氏がマイクの前に立った。
 内田氏の学生時代の卒論がモーリス・メルロ=ポンティだったことを受けて、
「人は学生時代に、メルロ=ポンティに出会うか、カルロ・ポンティに出会うかによって、その後の人生が大きく変わる」
 うまいこというなあ。センスいいなあ、と大いに感心した。
ちなみに書いておくと、メルロ=・ポンティはフランスの哲学者、カルロ・ポンティはイタリア人の映画プロデューサーでソフィア・ローレンの亭主である。

 私の中で、橋本治氏は、絵も描けば、コピーもものする器用で、センスのいい人として登録されたのだった。その橋本氏が「小林秀雄の恵み」(新潮社)なる評論を上梓したというので、早速買って読み始めた。何しろ、小林秀雄賞の選考委員でもある。さぞや、数々の「恵み」が軽快に披露されているのだろう、と思ったのである。

 読み始めて驚いた。なんじゃ、こりゃ、とひっくりかえったのである。申し訳ないがそれが素直な感想だったのである。それまで、橋本氏の本を読んだことがなかったので、なおのこと「びっくり」に拍車がかかった。
「こんにちわー」と橋本家の門扉を開けて玄関に向かう道が、あまりの悪路でひっくり返りそうになったような感じなのである。おそらく、本書を読了した人は、作者自身と編集者と校正者と、あとはGOOGLEのスキャナーくらいのもんではないか、と思う。

 つべこべ言ってないで引用しよう。

<読み手である私が「小林秀雄を読む」とは、私にとって必要なところ、分かるところだけを拾って読むのに過ぎない。「私の読んだ小林秀雄」は、「小林秀雄の語ったこと」の一部に過ぎない。「私の分かったところ」に「私の分からないところ」を合わせて、それが「小林秀雄の語ったこと」である。「分かる、分からない」は読み手の能力の問題でもあるが、それを超えて「分からない」になる部分もある。それは、時代の差である。小林秀雄が死んだのは、私が小林秀雄を読む二年前だが、それは偶然に過ぎない。しかしあるいは、必然かもしれない。なぜならば、私にとって、小林秀雄は初めから「古典」だからである。(略)
 
 小林秀雄は、私とは違う時代に生きていた。だから、私が小林秀雄を読んで「分からない」と思う部分は、彼の生きた時代のもたらした部分である------そのように思うからこそ、「分からない」ということが気にならない。それは、自分の生きている時代とは違う、「小林秀雄の生きていた時代」に関わることだからである。その「分からなさ」を看過してしまえば、容易に小林秀雄は分かる。そしてそうなった時、小林秀雄は私の同時代人である。しかし、その私の「分かったこと=読んだこと」は、小林秀雄の語ったことのすべてではない。一部である。私は、小林秀雄の「語ったこと」にしか関心がない。小林秀雄の「語らない部分」はどうでもよい。そして、私が知るべきことは、「小林秀雄の語った、私の分からない部分」なのである。>
(P15-16)

 もう、分かったよー。と叫びたくなってくる。くどいよーーーーー。
 しかし、まだまだ続くよ。

<『本居宣長』をもう一度読まなければならないと思った二〇〇三年の私は、小林秀雄の「分かる」と「分からない」の違いを、明確に意識していたわけではない。ただ、「今読んで分からない部分はあるのだろうか?」と思って読み始めた。「おそらく、小林秀雄の語ることのすべては分かるだろう」と、考えてもいた。「『本居宣長』に書かれたあらかたはもう知っている」と思えばこそ、そのようにも思った。ところが、読み始めてしばらくして、愕然とした。愕然として仰天して、感動に手が震えた。>(P17-18)

 私も愕然とした。愕然として仰天して、本を投げ出した。
 もう、勘弁してください、という心境である。

 世の中に、難解な文章というものがあることは分かる。難解にしか表現できないことがらが存在するからである。しかし、難解な文章と悪文は断固として違う。難解に書く必然性のない難解な文章のことを悪文、というのである。そして、上記の文章は、正真正銘の悪文である。

 なんのために、こんな牛のよだれのような文章を書こうと、橋本氏が思い立ったのか、私にはさっぱり分からないのである。しかも、第一章の冒頭に、である。さあ、旨い寿司を食うぞ、と思って寿司屋の暖簾を分けて入ったら、いきなり、わけもなく、塩をまかれたような気分である。せめて、終章ぐらいのリズムの文章をお書きいただきたかった、と一読者として慨嘆せざるをえない。「小林秀雄の恵み」どころか「橋本治の恵み」にも邂逅することなく、すごすごと退散するしかなかったのである。

 こうなったら、悪文ついでに、もうひとつ書いておこう(笑)。
 かねてより、不思議に思うことがある。朝日新聞の大江健三郎のエッセイである。なぜ、朝日が、「名文と呼ぶにはいささか困難を覚える」氏の文章に、大きなスペースを割くのか、これも皆目分からない。たまたま、朝日の2月19日付け朝刊で氏の「定義集」と題された一文を目にした。

 前段で、氏は、学生時代から、気に入った文章をカードに記録し、正確に引用するように心がけていた、と述べる。しかし、最近、その一節は覚えているものの、どの本から書き写したものだったかをしばしば忘れている、と書く。それを、受けて、

<その私は家内からどういう言葉なのかを聞かれ、きみもぼくから聞かされたはずだけれど、と話したのです。シェークスピアの二行ほどをフランスの小説家が引用していて、それをカードにとって訳したのをよく口にしてたから・・・・・記憶にあるのは、
  ----そのように考え始めてはいけない、というところでね。
 私は読んだ本を整理するのが仕事、とは幾度も書いてきました。家内は、人生で本当に大切に感じた本はすべてしまっておいてるのじゃないか、と思われるタイプ。高校を出たばかりの家内と私が知り合ったのは、友達のお母さんから、戦争の始まったころに出た本で(今年、朝日賞を受けられた石井桃子さんの訳の)「熊のプーさん」「プー横丁にたった家」を、娘が貸し失って嘆いている、どこかで見つけられないか、と頼まれたのがきっかけです。すぐに探して送ったのに礼状が来て、娘さんとは今も一緒にいます。>

 分からなくはない。分からなくはないが、いろいろと忖度して解釈しなくてはならない箇所が多すぎる。そのような文章もまた、悪文と呼ばれる運命にあるのである。

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