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2008年2月 6日 (水)

第二回、「関西人の会」開催さる。

 麻布十番の「韓すき」で「関西人の会」を挙行する。
  というほど大げさな会ではなく、東京で仕事をする、関西出身のさまざまな仕事につく人間が、心置きなく関西弁丸出しで、一席を共にするというお気楽な異業種懇親会のようなものである。出席者は、伊原剛志氏の夫人の伊原純子さん(和歌山出身)、ライターの森綾さん(大阪出身)、カメラマンの「不肖・宮嶋」(兵庫出身)と「忍者・大倉」(香川出身)など、総勢10名。
  会場となった「韓すき」は伊原さんのお店。前回も伊原さんのお店である「ごっつい」という、いかにも関西らしい名前のお好み焼き屋でとりおこなわれたが、今回は韓国料理屋さん。供される韓国風すき焼きは、いわばお袋の味らしい。最後にうどんをぶち込むのだが、これがうまかった。
  会は最初から盛り上がる。「なんでやねん」「誰がやねん」「ほら、おもろいなあ」「しょーもな」「うまいやんけ」などなど、東京での日常生活では普段、封印している関西弁がフルスロットルでかけめぐる。
  年齢も26歳から55歳まで、男女ほぼ半々なのだが、まるで、小学校の同窓会のように大騒ぎ。声は大きくなり、トーンは高くなり、関西人のあの無遠慮な騒々しさが炸裂する。
  会の帰りに一緒になったTFMのT嬢が「ものすごく、怖かったあ」と感想をもらす。
「怖かった?」。実は、T嬢ひとり、関西人ではなく東京生まれの東京育ち。参加者の中に数人知人がいるので、オブザーバーとして参加したのだった。
「だって、普段からよく知っている人が、関西弁を喋り始めた途端に、全然別人格になっちゃうんだもん。声は大きくなるし、表情も変わるし・・・・」
 つまり、関西弁を使い始めると、普段知っている顔の向こうから、まったく異形の、これまで接したことのない「別人の顔」が立ち現れてくる、というのである。もし、そう感じているのだとすれば、それは確かに怖い経験に違いない、と思いつつ、ふと、そう言われてみれば、関西弁を喋っている自分は「普段の自分とはずいぶん違う自分」であるような気がしてきた。いったい、何がどう違うのか?
 まず第一に、仕事モードの標準語から、関西弁に移行した瞬間に、脳の違う部位を使い始めた感じがする。標準語を操るのが脳の表層だとすると、関西弁は脳のもっと奥、芯の部分が司っているような気がする。知性的な部位ではなく、もっと本能的な部位が参加しているような気がするのだ。
 それはおそらく、青年期に関西を離れ、上京して標準語をマスターした我々に特異な例かもしれない。我々は、関西弁で幼少期を過ごし、標準語で成人し、成熟したからである。大人の身振りや語彙や発想を身に着けたのは、常に標準語を通してであった。そんな我々が関西弁モードに入ると、たちどころに、「幼少期の記憶」が甦るのである。我々の関西弁には、幼少期の、屈託の無い「発想、語彙、表情」がびったりとくっついているように思う。
 だから、楽しいのである。関西弁で喋り始めた途端に、とても自由な気持ちになる。素直な自分がカチッと音を立てて起動した感じがする。その変貌振りを、T嬢は恐ろしく感じるのである。
 二つ目は、関西人の心性がいかんなく発露するからであろう。標準語世界では、「そのことは言わないほうがよい」「正しい社会人として振舞ったほうがよい」という規制がかかっているが、それが、関西弁の到来とともに、スコーンと解除されるのである。
 簡単にいうと、こんな感じである。
「おれもアホやけど、おまえもアホやんけ。おんなじアホどうし仲良くしよやないか」。
「何をかっこつけてんねん、ホンマの話をしよやないか」
そこから、自虐と露悪の全面展開が始まる。これが、もう、本当に気持ちがよいのである。これも、T嬢にはなじみのない心のありようであるからして、実に恐ろしく感じるのである。

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