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2008年2月11日 (月)

るんちゃん「論座」に載る。

  内田樹氏のブログ、「内田樹研究室」の2月6日付の文章に、驚くべきことが書いてあったので、そのことに触れたい。
 まずは、内田氏の文章を引用する。

<『論座』の今月号に私は短いエッセイを書いた。
掲載誌を送ってきたので、ぱらぱらと読んでいたら特集が「ポスト・ロストジェネレーション」である。
ロストジェネレーション話についてはこれまで何度か書いたので、私がこの問題の切り出し方について批判的であることはご案内の通りである。
この論題を持ち出したのはもともと朝日新聞であり、それが「え、もうポストなの?」と私はちょっと驚いたのである。
その中に「ポスト・ロストジェネレーション世代」の座談会というのがあって、四人の20代前半の男女がおしゃべりをしている。
読み進むと、中の一人の「01年に関西の高校を卒業して、それから東京に出てきてずっとフラフラしている」女の子が「東京高円寺の『素人の乱』という、アナーキストとろくでなし(笑)がやっているリサイクルショップでバイトしていましたが、いまは完全な無職です」と自己紹介したので、口からワインを噴き出す。
あまり父親を脅かすものではないよ>

 つまり、こういうことである。朝日新聞社刊の論壇誌「論座」の3月号に、内田氏は読書についての短文を寄稿した。その掲載誌を編集部が送ってきたのでパラパラページを繰っていたら、なんと、「ポスト・ロストジェネレーション世代」の座談会ページに、ご息女が登場していたというのである。そりゃ、「口からワインを噴き出」しもするだろう。

 この一件を読んで、いくつかのことを感じた。
まずは、編集者のマナーはどうなっているのか、ということである。
 ある特定の雑誌の特定号に、著名な文筆家の原稿を依頼し掲載する場合、その同じ号に当該文筆家の親族(妻、父母、子供でしかもマスコミとは無縁の市井の人である)になんらかの形で登場してもらう場合には、当該文筆家に断りくらい入れるのが常識ではなかろうか。

 ましてや、当の文筆家が極めて批判的な論題についての座談会に、彼の親族を引っ張り出し、しかも一言の断りも無いというのは、①当の文筆家に対して含むところがあり、「ハメる」意図が最初からあったか、②座談会に登場した女性がご息女であることを知らなかったか、③断りを入れるのを忘れたか、④断りを入れたのに、内田氏が繁忙のために、失念してしまっていた。という4つくらいの理由しか思いつかない。
 ④の「繁忙による失念」は、たった一人のご息女の事柄ゆえ、もし、打診があったなら、鮮明に内田氏の記憶に残るだろうから、まずありえない。②の、女性が内田氏のご息女であることに気がつかなかった、というケースは99パーセントありえないと思う。日本列島に住む、「ポスト・ロストジェネレーション世代」と思しき日本人の中から任意に4人を選び出したときに、その中の一人がご息女である可能性は限りなくゼロに近い。

 下衆の勘繰りを承知の上で書けば、こういうことではないか。
「ポスト・ロストジェネレーション世代」についての特集を組もうと考えた編集者は、まず、高橋源一郎氏のところへ相談に行った。そこで、座談会の話を持ち出したときに、ご息女の名前が挙がったのではないか。
 内田樹→高橋源一郎→橋本麻里→ご息女と、その交流は決して浅くは無いことを、内田氏のブログ・ファンならば知っている。この推測の正否は措くとして、担当編集者は「内田の娘」としてしかと認識していたはずなのである。
 となると、残るのは①と③だが、どちらであるにせよ、やはり編集者の「マナーの問題」として極めて劣悪であるというほかないのではないか。今後、内田氏は朝日新聞社からの依頼には、虚心坦懐に臨むことは難しいだろう、と他人事ながら思う。

 次に思ったことは、「ポスト・ロストジェネレーション世代」座談会、という企画はまだ、成立しえない、ということである。20代の男女4人が語り合うその座談会を読めば、「うーん、困っちゃうなあ」というシロモノであることは否定できない。どの4人にも、自身が属する世代を鳥瞰的に認識し表現する言葉と論理が備わっていないので、目先のあれこれを虫瞰図的に行き当たりばったりに発言する他ないのである。そうなると、1000人いれば1000通りの人生があるわけで、とても「世代座談会」には成りえない。日本列島に生息する当該世代に所属する若者を任意に4人選抜して座談会を催しても、おそらく結果は同じだろう。まだ、世代としての成熟が足りないのだ。

 最後に思ったことは、そうは言いながらも、内田氏のご息女の発言は、その中でも秀でているということである。これまでの人生で味わったさまざまな経験を血肉化していて(感知するセンスがあったのだろうと思う)、誰よりも重みのある発言を披露している。

<もう本当に、小学生時代からずっと、「早く学校を卒業したい」と思ってました。ゴミを拾っただけで、「お前、ホントにいいやつだな=偽善者だな」とか言われる。だから目立たないようにひたすら蹲って「早く大人になりたい」と思ってましたね。>
どうやって生活しているかを聞かれて、
<親の援助です。うちは離婚してるんでが、お父さんが、私が高校を卒業した後からだんだんお金持ちになってきたので。母方は岐阜の田舎で造り酒屋をやっていて、そこをいずれ私が継ぐことになっているので、困ったらそっちに引っ越せばいいという。>
<息を詰めていた学生時代があまりに長かったので。「学校を卒業した後は、1分1秒たりとも息を詰めたくない」ってずっと思ってましたから。楽に息ができないぐらいだったら、好き勝手生きて「もう食べていけない」ってなったら首つっちゃえばいいや、と思う。>(「論座」08年3月号P190~203)
 これらの発言を、朝日新聞社から送られてきた雑誌で初めて眼にした内田氏の狼狽ぶりは想像するに難くない。
 そこで、内田氏はブログにこう記している。

<私は娘がそれほど学校生活で屈託していたとは気がつかなかった。
学校がつまらないのは私もよくわかる(だから私も一年で中退したんだから)。
でも、自分の子どもの苦しみは「誰でもそんなもんだろう」と高をくくっていて、それほど深く苦しんでいるとは思わなかった。
配慮の足りない親であった。
育児論を偉そうに語る資格はない。
教師としても同じようにろくでもない教師であり、おそらく相当数の学生を回復不能な仕方で傷つけたはずである。>

 内田氏ほどの人でも、こと自身の子育てのことになると、こんな風に強く、自省的になるのがほほえましい。
 しかし、と思う。朝日新聞社が発行する雑誌の座談会に出席して、思うところを堂々と開陳する「るんちゃん」を育て上げたのは、他でもない、内田樹その人なのである。臆するところ無く、みごとに自身の考えを自身の言葉で語っているではないか。確かに、「内田樹の娘」以外の何者でもないではないか、と。
 ついに、子育てに失敗した一人の親として、羨ましく見つめるしかない、ほほえましい光景なのだ。

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コメント

はじめてお邪魔しております。
偶然こちらのブログにたどりつき、あまりのおもしろさに
時間を忘れて過去ログを一気読みしてしまいました。
見ず知らずの方のブログを、こんなに楽しく、興味深く
読ませていただいたのは初めてです。
すっかりファンになってしまいました。
また遊びに来させてください。

ちなみに、内田さんのブログは私も好きで
よく読ませていただいているのですが
「るんちゃん」のくだりではまったく同じことを感じました。
内田さんに対するサプライズ的な意図があったにせよ
担当編集者はずいぶんと執筆者をナメてるなぁ・・・と。

一方で、内田さんご自身が、少なくともブログ上では
そうした不快感を露にしておられず、娘さんに対する
自省の機会にされているところに感じ入りました。
(いい意味で)この親にしてこの子あり、なのですね、きっと。

投稿: みん | 2008年2月19日 (火) 16時31分

みんさま。お便り、ありがとうございます。特に誰かに読んでもらおうという意図で始めたものでもない、愛想のないブログなのに、お読みいただき、しかも感想までお寄せいただき恐縮しています。自分自身をなだめ、整理し、かつ、ぼけゆく記憶を消滅前に、ギリギリと刻印しておこう、というのがこのブログの主旨といえば主旨です。これからも、もうすこし、ましなものを書き続けて行きたいと思います。ありがとうございました。

投稿: 路傍の意地オヤジ | 2008年2月20日 (水) 12時23分

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