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2008年3月11日 (火)

五木ひろしの「近道なんか、なかったぜ」

 ちょっと前の話だが、サントリーのウイスキーの広告で、顔に深い皺が刻まれた老いた男の顔のドアップの写真を使ったものがあった。写真はモノクロ。男は、多分、西部劇によく出演する、とても有名な俳優である。名前は忘れた。
 その写真に添えられたコピーが、「近道なんか、なかったぜ。」
 誰のコピーだったかも忘れた。アート・ディレクションとデザインは井上嗣也氏。それは間違いない。井上氏の事務所で、その新聞広告用のゲラを見て、「おお、かっこいいコピーですねえ」と賛嘆した覚えがあるからだ。

 もうすぐ還暦を迎える五木ひろしの「紫綬褒章受賞を祝う会」に出席、涙をこらえながら熱唱する五木ひろしを見つめながら、そのコピー、「近道なんか、なかったぜ。」を思い出した。

 会場は、芝のザ・プリンス パークタワー東京のボールルーム。そこに招かれた客が約700名。政界、財界、芸能界、スポーツ界、マスコミなどなどテレビで見たことのある顔がぎっちり並んでいる。
 周りをキョロキョロするだけで、長門裕之、朝丘雪路、藤あやこ、コロッケ、池乃めだか、つんく、堀内孝雄、吉幾三、研ナオコ、笑福亭鶴瓶師匠・・・。
最前列にはなんと、長嶋茂雄に金田正一。よーく眼を凝らすと、SPに守られるよう海部俊樹元首相やら、ぷっくり太った加藤紘一元国務相なんかが顔を並べている。まったく、余計な感想だが、太った加藤紘一はなんとなく、太った吉幾三に似ている・・・・。

 この盛大な会の趣旨は、五木ひろしの紫綬褒章受賞を祝うとともに、数日後に控えた還暦を祝し、かつ、事務所の移籍(五木プロモーションからアップフロントエージェンシーへ)を内外に広く告知することにあるようなのだが、それにしても、大規模なものである。司会は、泣き虫・徳光和夫アナ。その絶妙の口上の後に最初の挨拶に登場したのが、麻生太郎氏。縦縞のシャツに蝶ネクタイ、おまけに口がゆがんでいるから、ひょっとして腹話術でもご披露されるのであろうか、と一瞬驚くが、例の、しわがれ声で、「歌手で紫綬褒章を受章したのは五木さんが11人目。最初は東海林太郎。つい最近では8年前に島倉千代子さんが受賞」と、今回の受賞がいかに大変な壮挙であるかを独特の口調で説明される。


 話が終わって、徳光さんが、「さすがにいい声をしていらっしゃる。今度は浪曲子守唄をぜひ聞いてみたい」とソッコー、いじる。天才的である。

 しかし、麻生太郎氏にせよ、五木ひろしにせよ、スピーチがうまい。スピーチがうまい人は、話の間に、あー、うー、えー、と、大平正芳のように声をはさまない。はさまずに沈黙を置く。平気で、聴衆に沈黙を投げかける。喋りべたはその沈黙に耐えられず、つい、意味のない音を出してしまう。これが、「下手」にますます拍車をかける。

 それはさておき。冒頭の「近道なんか、なかったぜ。」である。
五木ひろしは現在でこそ、日本演歌界において、押しも押されもせぬ不動の地位を築きあげているが、ここに至るまでには、決して平坦な道のりではなかった。

 16歳のときにコロンビア全国歌謡コンクールで優勝してスカウトされるものの、その後7年間は鳴かず飛ばず。1970年、これでだめなら田舎に帰って農業をやる、と決意して、あの「全日本歌謡選手権」に挑戦。長沢純が司会をつとめていた名物番組で、奇跡的に、10週連続勝ち抜きグランド・チャンピオンの座に輝き、首の皮一枚残してプロの世界に居残ったわけなのである。そして翌年、「よこはま・たそがれ」で再デビュー。
 以後のとんとん拍子は、我々がよく知るところなのだが、当然のことながら、余人にはあずかり知らぬ、決して吐露できない苦労がきっと数多くあったに違いない。女優との結婚、母親の死などのプライベートな事件のみならず、何しろ、演歌の世界である。一筋縄ではいかぬ、義理と人情の複雑なしがらみが渦巻いていたとしても不思議はない。

 そんなこんなの一切合切が、集まった客を前にして歌う五木ひろしの心に一挙に去来したに違いない。感情の堰があやうく切れそうになりながらも、締めの曲「道」を、ドラマチックに最後まで歌い上げてみせた。

 しかし、その後、700人の観客を前にしての最後の挨拶で、「今、声を上げて泣きたいきもちです」と言葉を詰まらせると、五木ひろしは急に目頭を押さえた。
 3日後に還暦を迎えようという男が、壇上の上で、大勢の客の前で泣くのである。

 16歳でデビューして44年間、自分の「喉」に命をかけて、ひたすら歌い続けてきた。44年間は長い。自分の「喉」に、自分の家族の、そして、周りの関係者の生活のすべてを賭けて歌い続けることの「孤独」と「不安」を想像してみてほしい。ほとんどの人間は、普通、そのような「孤独」に直面しないで生きている。しかし、歌手は違う。「たったひとりで生きていくしかない」職業なのである。

 他の誰も、助けてはくれない。

 そんな人知れぬ艱難の末に、今上天皇から、「本当によくがんばった。立派である」というお褒めの言葉として、紫綬褒章を授かったのである。今上天皇から授かるということは、日本中の人々から、「よく頑張ったね。ほんとにありがとう」という労いの言葉を受けるに等しい。そりゃ、泣けてくるだろう。感極まるだろう。
 44年間の歳月の中には、きっと辛いことが、いっぱいあっただろう。死ぬまで人には言えぬ苦しい思い出も数え切れぬほどあるに違いない。
 いいよ、いいよ、泣けばいい、思いっきり泣けばいいよ。遠くから見ていて、そんな気持ちがこみあげてきた。

 パーティが終わって引き上げる客の一人ひとりに挨拶するために五木ひろしは出口に立っていた。そして、真っ赤な目を潤ませながら、一人ひとりの手を強く握って頭を深々と下げる。
 そんな姿を見ていると、「近道なんか、なかったぜ。」という例のコピーがくっきりと、思い出されたのである。

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