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2008年3月17日 (月)

哲学とは「愛知」なのだった

  バンザーイ、バンザーイ! 
  1月28日から始めたこのブログの累計アクセス数がついに1000を超えたあ。ウレシイ!
  もっとも、そのうちの200くらいは、全然人が来ないので、ちゃんとブログ画面は機能してるんかいな、と心配になって覗きに行った自分のアクセス数だが、いいのだいいのだ、そんなことは気にすまい。
  千里の道も一歩から、さあ、今日も地味な話でコツコツ行くよう。

 3月1日の「嘔吐論」という気持ちの悪い話の項で、外国文学作品が翻訳されて日本語になると、なんだか急にいかめしい題になるという話を書いた。

<サルトルの「嘔吐」はフランス語の題では、「La Nausée」。「吐き気」「むかつき」なのに、日本語のタイトルになると、とたんにいかつい「嘔吐」なんて言葉に変わってしまう。ほんとに不思議。ついでにいうと、カミュの「反抗的人間」も「L'Homme Révolté 」で、「暴れる男」なのに、漢語の落ち着き払ったタイトルに変わる。これ、外国の文学作品の日本語訳タイトルの通弊ですね。>
 
 かねてより想像はしていたけれど、ことは文学作品においてだけではなく、哲学の分野などにおいては、もっと凄まじいことになっていることを、木田元氏の「反哲学入門」(新潮社)を読んで知った。確かに、哲学の用語なんてものはそもそも、古来からの日本語にはなかったわけで、凄いことになっているらしいことは、薄々は知ってはいたんですけどね・・・。

 「哲学」という言葉からして、自分自身が果たして他の日本人のかたがたと同じ意味を共有しているかどうか怪しい。おそらく、他の人も怪しいと思っているだろう。怪しい同士が小皿たたいてチャンチキオケサを踊ったりすれば、もう、収拾のつかない怪しさが駆け巡るだろう。
「数学」ぐらいになると、ああ、算数の難しいやつね、という共通理解があるが、「哲学」になるとそうはいかない。なんで、こんなことになったのか。
 「哲学」という概念を生み出した西欧の人々も、我々のような「怪しさ」の中にいるんだろうか? (そういえば、「概念」というのも分からん言葉だね)

 そのような疑問に木田先生は分かりやすく説明してくださっている。
 ということで、今回は「哲学」豆知識。木田先生の受け売りである。
 高校時代に日本史の授業で、「哲学」という言葉は明治初期に西周がphilosophyの訳語として編み出したと教えられたが、木田先生によると、これは明らかな誤訳なんだそうである。知らなかった。

 英語のphilosophyは古代ギリシヤ語のphilosophiaから来ている。philosophia はphilein(愛する)という動詞とsophia(知恵、知識)をくっつけた合成語で「知を愛すること」、つまり「愛知」という意味なんだそうである。しかし、これは、「知的好奇心が強い」とか「知識欲が旺盛」というような意味にしか過ぎず、これを限定的な特殊な意味で使ったのがソクラテスだという。
 プラトンの対話篇「饗宴」の中で、ソクラテスは独自の愛の理論を展開している。

<愛するものは、その愛の対象をなんとか自分のものにしようともとめます。ということは、知を愛しもとめる者というのは、まだ知(知識)をもっていない、もっていないからこそ、ひたすらそれを愛しもとめるのだ、と言うのです。知をもっていないことを無知と言います。つまり愛知者は無知であり、無知だからこそ知を愛しもとめるのだ、というわけです。>(「反哲学入門」P32)

 いわゆる、「無知の知」というやつですね。で、これを受けて、江戸時代に「蕃書調所」で日本最初の哲学の講義をした西周は、philosophyを「希哲学」と訳したらしい。philein(愛する)=希、sophia(知恵、知識)=哲、でつじつまは合っているのだが、しかし、明治になって西は、なぜか「希」を削ってしまったのである。なんで削ったのかね。で「哲学」だけが残ったと。
 そんなことを知ると、「愛知学」とか「希知学」としておけばもう少し、なじみやすかったのではないかと悔やまれる。

 この本の中で、もうひとつ興味深い用語の来歴が記されている。その用語とは「形而上学」。初めて見たら、その読み方も、意味も想像もつかないだろう。

 形而上学とは、英語ではmetaphysics(メタフィジックス)、ラテン語でmetaphysica(メタフユシカ)、ギリシア語ではta meta ta physika(タ・メタ・タ・フユシカ)。ややこしいけど、これを覚えておいていただきたい。

 紀元前350年頃、アリストテレスが書きとめた講義録は、それから250年ほど経ってから、ロドスのアンドロニコスという人の手によって整理編纂される。彼は、アリストテレスが創立した自分の学園リュケイオンの最後の学頭だった。

<(その彼が)アリストテレスの講義録を編纂する際、アリストテレス自身が「第一哲学」と呼んでいた学科の講義ノートを「自然学(フユシカ)」のノートの後に配列して、それに「自然学の後の書」(タ・メタ・タ・フユシカ・ビブリア)という名を与えました。おそらくこれはリュケイオンではまず、具体的な科学的研究(動物学や植物学、心理学関係の諸科学)や理論的思考の訓練を受けて、高学年になってから「自然学」(タ・フユシカ/運動論や時間論などをふくめた物理学)の勉強をします。
 そして、おそらく最高学年で、プラトンのイデアのような超自然的原理の設定をすることができるかどうか、あるいはその設定の方法がきちんとなされているかどうかを判断する「第一哲学」を学ぶということになっていたのではないかと思います。ですから、「自然学の後の書」という講義ノートの名前は、講義録集の配列の順番を示すだけではなく、「自然学」を読んだ後で学びなさい、というカリキュラム上の指示を含んだ名称だったわけです。>(同書 P80)

 なんだよー。そんなことだったのかよー、とがっくりさせられませんか?
 だから、木田先生も、<ですから、「形而上学」などといういかめしい漢語とは、だいぶ距離がある内容です。>と締めくくっている。

 医学にせよ、数学にせよ、哲学にせよ、外来の新知識・新学問に関して、日本人というのはよくよく、こ難しくすることが好きな民族なのである。

 しかしだよ、こんな話をいくら、しこしこ書いても、アクセスは絶対に増えないよなあ。しかもブログのタイトルが「路傍の意地」だもんなあ。
 まことに困った民族である。

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