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2008年4月10日 (木)

倍賞千恵子の「やるせない声」

 もう、忙しくてたまらん。4月の人事異動で、なんだか急に仕事が増えてしまって、とてもブログを更新している場合ではないのである。時々のぞきに来てくださっている方々(ごくごく少数でしょうが)には、誠に申し訳ない。「なんだよー、この前のままじゃないかよー」とお怒りのことと思う。もうすこし、時間を下さい。席の移動やら、新しいメンバーとの打ち合わせやら、歓送迎会やら、よせばいいのに、新しくオープンするレストランの試食会だとかでバタバタなんです。馬鹿みたいだと、自分でも思う。

 忙しい最中に、時間を見つけて、桜を観にいった。山手通りの目黒橋に車を停めて、車の中から、目黒川の両岸に猛然と咲き誇る桜を眺めた。まるで、吹雪のように花びらが降りしきる。その有様を見つめながら、これまたよせばいいのに、倍賞千恵子のCDを聞いてしまった。誰かにもらった2枚組みの「まるで映画のひとこまのように」なるソニーのCDである。その中に、「ゴンドラの唄」(中山晋平作曲、吉井勇作詞)が入っている。

降りしきる桜の花弁を眺めながらこの曲を聴くと、もうたまらない気持ちになる。

「ゴンドラの唄」がどういうものかすぐには思い出せない方も、「命短し、恋せよ乙女」というあの曲である、と聞かされれば、すぐに思い出していただけるであろう。(吉井勇は、行動的な詩人である。あっちこっちで出くわすぞ、この人には。京都・祇園の白川通り沿いをそぞろ歩いていると、この人の詩碑に出くわす。「かにかくに祇園はこひし寝るときも 枕の下を水のながるる」。好きだったんだな、祇園が。)  ここまで読んでも、全然わかんない方は、どうぞ、どこか別のブログを読みに行ってください。


  文字で、「命短し、恋せよ乙女」と書いてもなんてことはないのだが、倍賞千恵子の声にこの歌が乗ると、もう悶死しそうになる。

 切ない、というのでもない、悲しい、というのでもない。「やるせない」のである。漢字だと、「遣る瀬ない」となる。慰める手立てはなにもない、というような感じである。倍賞千恵子の声には、日本の女性が昔から抱え込む「やるせなさ」が浸潤しているような気がする。

 思い出してほしい。さくらが寅次郎に切々と諭すシーンを。
「おにいちゃん、おにいちゃんのせいで、みんな困ってるじゃないの。ほら、みんな泣いてるわよ。私だって、私だっておにいちゃんのせいで、どんなにつらい思いをしてきたことか・・・」
 さくらがそう訴えかけるとき、観客もみんな自分に向かってそう言われているような気がしてしーんとしてしまったはずである。
 「やるせない」のである。なんとかしてあげたいけど、どうにもしてあげられないミゼラブルな声なのである。分かっていただけるだろうか。


  疲れていることもあって、ちょっとおセンチになりそうだったので、あわてて別のCDに換える。がしかし、これが竹内まりやの「デニム」に入っている「人生の扉」なのだった。もう、あかん。。。。。

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