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2008年4月15日 (火)

なぜ、そこに花束を供えるのか

「あんな痛い話をブログに載せてどうすんの」と親しい人に言われたけれど、そうだよね、思わず読んでしまった人には「痛くて申し訳ありません」とうなだれるしかありません。
 たまには、もっと軽快な話を書かなくちゃね。でも、それがなかなかできません。性分、なんでしょうね。

 それにしても、更新もしていないのに、頻繁にのぞきに来てくださっている方がいて、本当に恐縮してしまいます。「生ログ」を見て、見覚えのある「訪問者ID」に出くわすと、あ、この人、また読みにきてくれている、す、すいません、すぐになんか書きますから、と宿題を忘れた小学生のようにあせってしまう。
  
 今回は「私には分からない」シリーズの第一弾を。

  車で走っていると、道路わきのガードの足元に供えられた花束にしばしば出くわす。それが何を意味するのかは分かっている。多分交通事故で、その場所で絶命した人がおり、その人と親しい関係にある人が、その人の死を悼んで花束を供えたのである。そこまでは分かる。

  分からないのは、なぜ、その場所に供えるのか、ということである。死亡したその人にとっては、その場所は、たまたま通りかかった場所で、何かの不運で、そこで命を失ってしまっただけの場所でしかない。死に場所としてそこを意図的に選んだわけでもないし、そこになんらかの思い入れがあるわけでもない。単なる、アトランダムな場所である。

  確かに、その人が最後に目撃したものは、その場所から見上げた夜空かもしれないし、空転するタイヤかもしれないし、目前に迫るアスファルトだったかもしれない。しかし、何度も繰り返すけれど、それは、その人が選んだわけではない、たまたま、「そこ」だったのである。

  にもかかわらず、親しい人たちは「その人の絶命場所」に花を供えようとする。何故なのか? しばらく前に、深夜の甲州街道で、車が高速で次々に走り抜けていく場所にバイクに二人乗りでやってきたカップルが、泣きながらその危険な場所(だからこそ彼らの知人はそこで絶命したのだが)に決死の思いで花を供えているのを目撃したことがある。その時に思ったのは、何故、人はそうまでして「最期の地」にこだわるのだろうか、ということだった。

  死んだその人が一番好きだった場所でもいいし、その人の骨が納められた墓でもいいし、その人の家の仏壇でもいいではないか。本で読んだことがあるが、古代人の墓を調査すると、亡骸の上に花が置かれた後が見られることがある、とあった。かなりの大昔より、人は死者に花を手向けていたようである。そう、亡骸の上でいいではないか。

  ヒトと動物の違いは、「葬送」の行為があるかどうか、「悼む」心が備わっているかどうかであるらしいが、確かに、ヒト以外にそのようなことをする生物を目撃したこともないし、聞いたこともない。しかし、何故、その場所なのだろうか。そうせずにはいられない気持ちが、お前は分からないのか、と聞かれたら、「いや、なんとなく分かる」と応える。しかし、精密に、何故そうするのかを考えてみると、最後にはよく分からなくなる。

 その昔、岡田有希子というアイドルが18歳で、四谷大木戸ビルの屋上から飛び降り自殺をしたとき、彼女が転落したまさにその場所にファンが大勢集まって泣きながら花を供えていた。
  
  ジョン・レノンがNYで射殺されたときも、彼が倒れた場所に多くの花束が供えられた。

  尾崎豊が事故で死んだときには、彼が住んでいたマンションの案内板の足元に次々と訪れるファンが花束を供えていた。同じマンションに住んでいたので、そのときの光景をよく覚えている。9階のベランダからその光景を眺めていた。黒い服装の若い男女が涙をぬぐいながら次々に訪れては花束を案内板の足元に供えていったのである。最初はそれが何だか分からなかった。尾崎豊が同じマンションに住んでいたことも知らなかったし、死んだことも知らなかったからだ。
  しばらくしてそのことを知ったが、その後も黒い若者の姿は途絶えることがなかった。それを目撃したときに、誰に命ぜられたわけでもなく、誰かと申し合わせたわけでもない、極めて自発的で、純粋な「喪」の形がここにある、と考えて感動したことがあった。
  
  死んでしまった親しい人に対して、その冥福を祈って花を供えたい。
  その人が、ついにそこで生命を失ってしまった「絶命の場所」に供えたい。その感覚は分かる。
  しかし、何故、そうしたくなるのか、私には分からない。

  死者の「無念」が宿るその「場所」を鎮めないと、生者に災厄がもたらされるからだ、という説明はできるが、無意識的にも意識的にもそんな感覚はまったくないから、やっぱり、よく分からない。

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