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2008年4月11日 (金)

妹のこと

  4月4日の項で、子どもの頃に、大阪は天王寺の日赤病院に入院した話を書いた。灰色の(印象しかない)暗い建物は今はもう存在しない。先日、劇場で映画「血と骨」を観たときに、その病院の外観がほんの数秒登場したことがあった。どこかで似た建物を探してきたのか、CGで作ったのかは分からないが、それを目にした途端に、子どもの頃の、灰色の記憶が甦った。

  小学校2年生の春、微熱と頭痛が続いた。通学することもままならなくなり、寝たきりになった。1カ月ほど自宅で横になったままだったが、快方に向かうことはなかった。ある日、母親に連れられて、天王寺の日赤病院に行った。薬品の匂いのする廊下と、蛍光灯の青い光。診察室の扉の上には、黒い板に白い塗料で、「小兒科」と書かれていたことを、なぜか鮮明に覚えている。

  診察が済むなり、医師は母親にすぐに入院させないといけない、と告げた。「ロクマクエン、ハイシンジュン」という診断だった。母親はうろたえた暗鬱な顔になり、子ども心に、ただごとではないのだな、ということがすぐにわかった。後に分かるのだが、当時、肺浸潤や肋膜炎という病名は、肺結核の別名であった。戦後すぐまでは、結核に対して有効な治療法がなく、結核は不治の病だったため、「肺結核」という言葉を避けて、「肺浸潤」「肋膜炎」という迂回的な言葉を使っていたらしい。

  翌日、昼過ぎに入院することになった。居間に布団を敷いて、熱に苦しみながら横たわっていた。父親は仕事に出かけ、母親は入院準備のためにどこかへ出かけていた。家には5歳の妹とふたりだけだった。

  入院するのか、と思った。こんなに具合が悪いんじゃ、もうこの家に帰ってこられないかもしれないな、という絶望的な気分が心を覆った。死んじゃうのか、悲しいなあ、と思いながら自分の手のひらをじっと見つめた。もうすぐ死ぬのかもしれない、と思ったとき、人は手のひらをこんなふうにしみじみ見つめるのか、なんでだろうなあ、という醒めた感覚も、8歳の自分にはあった。手のひらを閉じたり広げたりしているうちに、猛然と悲しくなった。

「トッチ」
  と、妹の名を呼んだ。5歳の妹は枕元にやってきた。
「トッチ、あのな、お兄ちゃん、入院するねん。それでな、ひょっとしたらもう家に帰ってこられへんかもしれへんねん。せやからな、お兄ちゃんの机の上に、硬筆でもろた盾があるやろ、あれ、全部、お前にやるわ。想い出にとっといて。机の上にあるもん、全部お前にやるわ。お兄ちゃんがいなくなっても、それ見るたびに、お兄ちゃんのこと、思い出してな・・・」
  そう言うのがやっとで、私は泣き出した。死ぬことが怖かったというより、家族の住むこの家にもう二度と戻ってこられないに違いない、という予感が無性に悲しかったのだ。妹の顔を見ながら、声をあげて泣いた。
  妹も、涙を流していた。妹は自分の小さなタンスに行くと、何かを取り出して戻ってきた。そして小さな手を差し出した。
  手には、小さく四角く畳まれた、赤いハンカチがあった。
   妹は泣きながら、これ、あげる、と言った。
「ありがとう・・・」
  受け取った妹のハンカチを失くさないように、私はパジャマのズボンのゴムの部分に大事にはさんだ。
  その時、私は8歳で、妹は5歳だった。

 午後、タクシーで病院に運ばれた。灰色のコンクリートの部屋に入れられ、鉄パイプのベッドに横たわらされた。しばらくすると、母親に、パジャマを着替えるために、ベッドの上に立ち上がるように言われた。
言われたとおりに立ち上がり、パジャマを着替えた。ズボンを脱いだときに、白いシーツの上に、妹の赤いハンカチがぽたんと落ちた。
  母は怪訝な顔でハンカチを拾った。
「何、これ。トシコのハンカチでしょ」
  私は、うつむいたまま、
「間違って持ってきた・・・」
  と返事をした。

  あれから、もう50年近くが経つ。
  2カ月間毎日、ストレプトマイシンの静脈注射を打ち、両腕は針の跡で紫色になったが、私は回復し、退院した。

                  ******

  お母さん、あのとき僕は、「間違って持ってきた」と言ったけど、本当はそうじゃなかったんだよ。今まで、黙ってたけど、あれは、5歳のトシコが、お別れのしるしとして、僕にくれたものだったんだ。
  本当のことは、あんまり悲しすぎて言えなかったけれど、お母さんが出かけている間に、僕たちは、本気でさよならを言い合ったんだよ。信じてもらえないかもしれないけど、そんなことがあったんだ。
       
                             ******

  先日、本棚を整理していたら、昔書いた小説らしきものが出てきた。書かれた日付をみると、20歳のとき書いたもので、妹のことを描いている。幼い文章だけれども、今ではすっかり忘れてしまったことも、20歳の頃には鮮明に覚えていたらしく、丁寧に書き込まれていて、読み返すと微笑んでしまう。おそらく、「すっかり忘れてしまった」のは「すっかり忘れてしまいたかった」からだろうと思う。

  小説のタイトルは「掃除機」となっている。話のついでに、長くなるけれど、ブログに記録しておきたい。

  僕が小学校の低学年、妹はまだ小学校にあがる前のころだったろうか。その日は日曜日でうららかな春の光が廊下にこぼれていた。家族全員がそろって朝食を食べることの嬉しさに、僕の心は明るくとびはねていた。おまけにその日は、前日届けられて部屋の片隅に置かれている掃除機を初めて使用する日でもあったのだ。そのために、朝食の時から僕の胸は高鳴っていた。
「おとうちゃん、ごはん食べたら掃除機の箱あけるんやろ」
「ああ、ちょっと休憩してからな」
「はよ、掃除機使いたいなあ」
「ハハハ」
  父の顔にも微笑が浮かんでいた。
「きよし、ちょかちょかせんとよくかんで食べなさいよ」
  口ではそう叱る母の顔にもやはり笑みは漂っていた。
「トッチ、はよ電気掃除機みたいなあ」
  長すぎる箸を使って無心に食べている妹に言った。
「うん」
  妹は僕の顔をみつめると、うなづきながらそう言った。
  木でできたまるい食卓を囲んで畳に座って僕たちは食べていた。右隣に妹、左に父が、炊事場に近い所には母が座っていた。僕は、そんな状態に何かくすぐったいような暖かさを感じていた。胸がつまるような喜びが体の奥の方から這いあがってくるのを感じながら、ずっとこのままだといいのになあ、と思っていた。

「きよし、おかあちゃんとこへいってハサミもろてこい」
  食後の一服を済ませた父は、掃除機の入ったボール箱をじっと眺めている僕の所にやってきて言った。
  ハサミを手渡すと父は壊すとでも言った方がいいような手荒さで箱を開けていった。そばでは母と僕と妹が、まるで贈り物の中には何が入っているのだろう、といった顔つきで見守っていた。
  水色をした本体と白いホースが取り出されて初めて、こわごわとした手つきで母はそれに触れた。父は説明書を見ながら掃除機を組み立て終わると、
「きよし、これコンセントに差し込んでくれ」
  と、プラグを僕に手渡した。父は極端に電気をこわがるのだった。
「よし、スイッチを入れるぞ」
  掃除機の柄を持ってかまえると、今まさに実験しようとする科学者ような顔をして言った。思わず僕たちは一歩後ずさりした。
  ヴィーン
  初めて聞く掃除機が発する音が、僕はすこしこわかった。間違って指でも持っていったらひきちぎられてしまいそうな音だったからだ。しかし、生暖かい奇妙なにおいのする空気をおしりからはき出しながら、ごみを次次と吸い取って行く掃除機に僕はいつしか恍惚としはじめていた。父の顔も、まるで新しいオモチャを与えられた子供のように輝いていた。
「たいしたもんやねえ」
  と、僕の側で様子を見ていた母は感心したような口ぶりで呟いた。妹はキャアキャア言いながらはしゃぎまわっては母の脚にまつわりついた。
「トッチ、ほら、見いなあ、ボタンまで吸いよるで」
  テレビの下に一つころがっていたボタンを掃除機が吸い込むのを見ると、妹の手を引っぱって言った。
  父は掃除機の柄の先を奇妙な形のにとりかえると、母に手渡し、天井の隅の方を掃除するように指示した。母はしっかりと両手でそれを支えると天井のホコリを吸いとっていった。
「おとうちゃん、それ高かったんやろなあ。なんぼぐらいしたん?」
  僕は掃除機の音で吹き消されそうになるので大声をあげて訊いた。
「1万円や」
「ふーん、1万円もしたん。高いねんなあ。トッチ、あれ見いなあ、1万円もしたんやで、ほら、キャアキャア騒がんとよう見てみいなあ」
  掃除機の高価さを教えてやろうと、走りまわる妹つかまえると指差しながら言った。妹は掃除機そのものへの関心よりも、掃除機に浮きたったみんなの雰囲気に興奮してか、うれしそうに走り回った。
「いちまんえんもしてんでぇ・・・」
  もう一度くりかえすと妹は、エヘヘヘへと笑いながら僕の手を振り払い、つかまえてごらんといった風に逃げ出した。
「ようし、まてえ、としこ」
  僕も一緒になって騒ぎ始めた。妹は追い詰められると笑い声をたてて洋服ダンスの中に入りこんだ。
「閉じこめてしまうぞ」
  僕は洋服ダンスの扉を閉めようとした。中から妹が手で押すのか、閉まりにくいので、思い切って反動をつけるとギュッと押した。すると妹は急に火のついたような、叫ぶような声で泣き出した。
「ヘエエ、トッチ、こわいかあ」
  僕は面白くなってますます扉を強く押し続けていた。妹のその奇妙な泣き声は洋服ダンスの中にこもって、不思議な音に聞こえるのだった。その時、足先に妙に生あたたかいものを感じて、驚いて眼を落とすと真っ赤な血が扉の隙間から流れ出していた。ヘナヘナと力が抜けるのを感じながら僕はあわてて扉を開けた。妹の叫び声が急に鼓膜をつんざくように部屋に響きわたると、母はびっくりしてスイッチを切りこちらを見つめた。掃除機の大きな音が消えると泣き声だけが残り、僕は突然現実に引き戻されたような気分になった。洋服ダンスの中で小さな左足をおさえて泣き喚いている妹を目にすると母は真っ青な顔になり、他人を見る冷たい目で僕をみつめた。僕は背筋が寒くなった。今までそんな母の顔を見たことがなかった。その顔にははっきりと敵意の表情が浮かんでいた。父がハッと我に返ったように洋服ダンスに歩み寄ると、妹を抱きかかえた。母は血が溢れる出る妹の足の指先を見ると、異様な声をあげ、エプロンを引き裂くと妹の足首をきつく縛った。
「は、はよ病院に・・・」
  母は震えていた。父は何も応えず、妹を抱きかかえたまま放心したような顔で、外へ飛び出していった。その後を母はふらつく足で追いかけて行った。
  急に静かになった部屋の中で、両親の狼狽ぶりを思い出すと、自分がやったことが恐ろしくなり歯がガチガチ鳴り、体が小刻みに震えだした。僕は母が結婚したときに持ってきたという鏡台の前に座ると、手を合わせて、
「かみさま、かみさま・・・・」
  と、泣きながら繰り返し始めた。鏡の中の僕の真っ白な頬をつたう涙を見ていると一層悲しくなり、まるで何かにとりつかれたように、「かみさま、かみさま」と繰り返すのだった。

  ガラッと玄関の戸があいた。びっくりして振り向くと父が立っていた。
「きよし、としこの指をさがせ」
  父はすこし引きつった顔でそう言うと、部屋の隅や洋服ダンスの中を探し始めた。僕はその言葉を聞くと心臓をギュッとつかまれた様な気持ちになって、目の前が黄色くなり、あげそうになった。
「としこの指、としこの指・・・」
  こわばって自由にならない口の中でモグモグ言いながら僕は立ち上がると、ナフタリンの匂いがする洋服ダンスの中を一生懸命覗き込んだ。どこへ行ってしまったのか、妹の指は見つからなかった。ただ黒ずんだ血がこびりついているだけだった。あたりの畳の上を四つんばいになって探したが、やはりなかった。ただ、朝刊にはさまれていた広告だけがクシャクシャにまるまって落ちているだけだった。
  ポタリと音を立てて涙が畳の上に落ちた。僕はその場にうずくまってしまった。父はまるで怒ってでもいるようにタンスをゴトゴト揺らしながら探していた。
「きよし、見つかったか」
  父は見つからないのを知っていながら僕に怒鳴るように尋ねた。
「ううん、見つかれへん・・・」
  畳の網目を見つめながら僕は小さな声でそう答えた。
  父は妹の指を見つけるのをあきらめると、大きな音を立てて戸を閉め外へ出て行った。
  僕は部屋の隅に投げ出されて転倒している掃除機を遠い世界のもののように眺めていた。

  どれだけ時間が経ったのか分からなかった。静かに玄関の開く音がして、白い包帯を左足首にグルグル巻きつけた妹を抱きかかえた父と、その後に、目をはらした母が入ってきた。母は黙って押入れを開けると、妹の布団を出して敷いた。父はそこへ妹を静かに寝かせた。そのまわりに座り込んだまま、父も母も僕も、一言もしゃべらなかった。
  どこか遠くを飛行機が飛んでいく音がしていた。
「きよし、としこにおかし、こうてきたり」
  小さなかすれた声でそう言っては母は50円玉を財布から出すと僕に渡した。
「としこ、何がほしい?」
  まだ青ざめた顔で、唇の端をピクピクさせている妹に、母はのぞき込むようにして尋ねた。
「チョコレート」
  妹は小さな声でそう答えた。僕は50円玉を握って立ち上がると、サンダルをつっかけて、表に出た。もう、陽が傾いていた。僕は50円玉を汗ばむほどしっかり握りしめながら、うつむいて歩いていた。
  砂ぼこりでサンダルが奇妙にザラザラしていた。

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