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2008年5月

2008年5月31日 (土)

白馬に乗った王子様はどこにいる?

  東京のあちらこちらでこの「白馬の王子広告」を見た、という話が持ち上がっているようである。先にあげた3箇所以外に次のような広告があるらしい。

● 西落合で。
白馬に乗った王子様は 西落合では おちあわない。

● 銀座・電通通り
白馬に乗った王子様は 話題の再開発ビルにも あんまりいない。

● 銀座
白馬に乗った王子様は 残念ながら 銀座にもいない。

● 大手町
白馬に乗った王子様は 大手町にも 意外にいない。

● 五反田
白馬に乗った王子様は 五反田あたりには いるわけない。

● 渋谷
白馬に乗った王子様は 渋谷になんか いない。

● 渋谷・センター街
白馬に乗った王子様は センター街では かすりもしない。

● 池袋
白馬に乗った王子様は 池袋には いない。

  ざっと、こんなところであるが、とにかくどこに行ってもいないのである。あちらこちらで、いないのである。そんじゃあ、いったい、どこにいるんだ、コノヤロー、とマッチ・ドットコムの首を締め上げたくなるような、いなさ加減である。

  白馬に乗った王子様は こんなに払底しているんだから
  マッチ・ドットコムなんかには 絶対にいるはずがない。

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2008年5月30日 (金)

新郎新婦へ贈る言葉

  最近、結婚式にご招待いただくことが多くなった。昨年は、神戸まで出かけて、藤原紀香さんの披露宴に出席したが、著名な方々が多く列席していることと、お料理が豪華なことと、引き出物が立派なことに大いに驚かされた。TV局が進行を管理し、徳光さんが司会をつとめ、芸能人がスピーチをすると、こうもスムースかつ面白いものになるのかと感心しきりでもあった。

 あさっての日曜日も、職場の女性の披露宴である。しかも、スピーチをしなくてはならない。さて、何を喋ればよいか。15年ほど前に、職場の仲間の披露宴2件で、不穏当なスピーチをかまし、宴を台無しにしてしまったことがある。なんで、そんな挙に出てしまうのか。おとなしく、普通のスピーチをしておけばいいではないか、と多くの方は思うだろう。私も思う。しかし、その場になると、「予定調和的なとりつくろい」ができなくなる。「なーに、かっこつけてんだよ」という気持ちがむくむくともたげてくる。大人気ないこと甚だしい。

 その2件の事件があって以来、私に披露宴への出席やスピーチの依頼がとんと来なくなって、ほっとしていたのだが、私の、そんな過去の不行状を知らない若い人たちから、ぽつりぽつりとお誘いがかかるようになった。ずいぶんと勇気のある行為である。


 つい先日も、職場の部下の披露宴に招かれ、主賓の挨拶、というものを行ったばかりである。喋るに事欠いて、なんと、私は内田樹先生の書物を朗読するという蛮行に及んだのであった。それがいかに「蛮行」であったかは、その直後に挨拶に立たれた年配の方が、私の発言を取り上げて、その否定にこれ努めていた、という事実が十全に語っている。きれいに着飾った新郎新婦を前にして、こんな文章を読み上げたのである。

<結婚がオススメなのは、それが「不幸」な経験、「受難」の日々を約束してくれるからである。結婚とはごくたまに愉しいこともあるが、総じて「エンドレスの不快」によって構成されている。(略)
 結婚とはひとことで言えば、「他者と共生すること」である。一緒に暮らすその他者と、あなたは気持ちが通じないこともあるし、ことばが通じないこともあるし、相手のふるまいのひとつひとつが癇に障ることだってある。そしてこう思う。「この人が何を考えているのか、私には分からないし、この人も私が何を考えているのか、分かっていない」 
  それでオッケーなのである。(略)
  結婚とは「この人が何を考えているのか、私には分からないし、この人も私が何を考えているのか、分かっていない。でも、私はこの人にことばを贈り、この人のことばを聴き、この人の身体に触れ、この人に触れられることができる」という逆説的事況を生き抜くことである。
  自分を理解してくれる人間や共感できる人間と愉しく暮らすことを求めるなら、結婚をする必要はない。結婚はそのようなことのための制度ではない。そうではなくて、理解も共感もできなくても、なお人間は他者と共生できるということを教えるための制度なのである。>(内田樹著「街場の現代思想」文春文庫 P157-162)

  会場がシーンとしたね。そこに居合わせたどなたもが、主賓のくせにこいつは何を言ってるんだ、という顔をしていた。しかし、申し訳ないけれど、私は「本当のこと」を喋ったに過ぎない。このようなシチュエーションでは、ほとんどの人はステレオタイプな、当たり障りのないご挨拶に終始してしまう。だがそのとき私は、人生の新たなステージに足を踏み出すふたりに「本当のこと」をきちんと伝えておきたかったのである。「気休め」を言って、若いふたりを惑わすようなことだけはどうしても避けたかったのである。


  そうはいっても、私は、やっぱり愚かでしょうか? 内田先生!

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2008年5月29日 (木)

白馬にのった王子さま?

 「ギネスブック公認、世界最大の恋愛マッチングサイト」という触れ込みの、「まじめな出会い系サイト」、マッチ・ドットコムの街中広告が、今、東京の街角のあちらこちらにドーンと貼り出されていて、これが結構、面白い。誰が考え付いたのか知らないが、私の大好きな「いたずら心」に満ちていて、見かけると思わず笑みが浮かんでしまうのだ。

 広告の大きさは、畳2枚分くらい(たぶん)。全体がピンク色で、そこに白ヌキ文字で、大きくコピーが書かれている。そのコピーのそばには埴輪の馬みたいな、白馬のイラストが小さく載っている。広告の意図は、「マッチ・ドットコムを利用して、素敵な彼氏に出会おう」というもので、当然ながら、独身の女性に向けたものと思われる。そのどでかい広告が東京の街角のあちこちに掲げられているのだが、面白いのは、掲載されている場所によってコピーが違っているのである。
 東京に住んでいる人でないと、その面白さは分かりにくいかも知れないが、こんな内容である(コピーはメモを取ったわけではないので正確ではない。おおよその内容でお許しいただきたい)。

 ●赤坂見付の駅のそばのビルに掲示。
「白馬に乗った王子さまを 赤坂で見つけられると思うのは アサハカだ」

 ●新宿・歌舞伎町の入り口付近のビルに掲示。
「白馬に乗った王子さまは 新宿では 絶滅しました」

 ●青山・骨董通り入り口のビルに掲示。
「白馬に乗った王子さまは 今 高級車に乗って左折したけど もう見えない」

 私の予想では、この第2弾として、男性向けのコピーが記された広告が登場するだろうと思う。この夏くらいに。たとえば、こんな具合に。

●新宿2丁目のビルに掲示。
「かぼちゃの馬車に乗ったシンデレラだ と思っても ひげが生えていたりするので よーく注意してね」

●渋谷の109の近所のビルに掲示。
「かぼちゃの馬車に乗ったシンデレラは ナンパされて 連れて行かれた」


●池袋の雑居ビルに掲示。
「かぼちゃの馬車に乗ったシンデレラが 池袋の出会い系カフェにいるわけないじゃん」

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2008年5月28日 (水)

石川セリさんの「八月の濡れた砂」

  昨夜、六本木ミッドタウンの中にある「ビルボードライブ東京」に出かけた。石川セリさんの久々のコンサートを聴くためである(今回のコンサートは彼女の最新アルバム「Re:SEXY」を記念してのもの)。

  セリさんとは、アンテプリマの荻野いづみさんを介してお近づきになった。私にとっては、何といっても「八月の濡れた砂」の石川セリであり、井上陽水夫人でもある。「お近づき」とは言っても、なんだか、緊張してしまうのである。4年ほど前に、六本木グランド・ハイアットのレストランで一緒にお食事をする機会があったのだが、当方の緊張などどこ吹く風、セリさんはいたってざっくばらんな女性であった。

  食事をご一緒した翌日だったと思うが、セリさんは心臓のトラブルで緊急手術しなくてはならない身の上となり、以降、音楽活動からは遠ざかっておられた。そのセリさんの久々のコンサートであるからして、大いに楽しみにして出かけたのは言うまでもない。

  オープニングはジャズの名曲、「LOVE LETTERS」。私が大好きな曲である。私のIPODにはこの曲が2曲入っている。1曲は、シンニード・オコナーのもの(アルバム「Am I Not Your Girl?」に収録)、もうひとつはペギー・リーのもの(アルバム「Peggy Lee Best One」に収録)で、どちらも、鳥肌が立つほど素晴らしい。その名曲を、セリさんはパリのキャバレーの踊り子風の衣装で歌い始めた。

 2曲目は新曲「ひまわり」。そして、3曲目が「八月の濡れた砂」。この曲のイントロが流れ始めると、もう心の奥底でさざなみが立ち始める。それが、いったいどういうものなのか、説明するのはとても難しい。この曲は1971年の8月に公開された藤田敏八監督の同名の映画の主題曲としてリリースされた。作詞は吉岡オサム、作曲はむつひろし。この歌を歌うセリさんはこのとき、19歳だった。
  そして、この映画を見終わって、71年の8月の炎天下、焼け付くような新宿の雑踏をさ迷い歩く私も19歳だった。どこに向かって歩けばいいのか、何を目指せばいいのか、何も分からず、ただ、あてどない焦燥感に炒られるようにして西新宿をうろうろしていたのである。この曲のイントロが流れると、一挙に当時の自分に舞い戻り、穏やかな心持ちではいられなくなる。涙がこぼれそうになる。70年代に青春を送ったことのある人ならば、なんとなく共有できる感情ではないかと思う。
 
  熱くて、息苦しい、殺伐とした70年代だったのである。

  大病を乗り越えて、思うように声が出ないセリさんは、声を振り絞るように、全身を使って歌う。

  私の海をまっ赤に染めて
  夕日が血潮を流しているの
  あの夏の光と影はどこへ行ってしまったの
  悲しみさえも焼きつくされた
  私の夏は明日もつづく

  確かに「私の夏」はその後も続き、学校を卒業し、無事に社会人にもなった。ある日あるとき、打合せで立ち寄った東京プリンスのトイレで用を足していると、隣に藤田敏八監督が立った。我々映画ファンは監督のことを、「ふじたびんぱち」と呼び習わしていたが、びんぱちと並んでおしっこをすることになったのである。
  ああ、このおっさんが「八月の濡れた砂」を作ったのか思いながら、便器を見つめていたことだった。
 
  びんぱちは、1997年8月に65歳で亡くなった。「八月の濡れた砂」の公開から、きっかり26年後のことだった。

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2008年5月21日 (水)

中国の大地震のニュースの中で

 中国四川省での大地震の記事を新聞で読み続けているが、当然のことながら、胸が痛む話が多い。こんな大規模な自然のカタストロフは人類の歴史が始まって以来、なかったのではないか。
 もちろん、広島・長崎での原爆投下による被害はこの比ではないが、それは人為的なカタストロフである。

 そんな悲劇的ニュースをのなかで、心が動かされる話に出会った。日本から派遣された救助隊(日本国際援助隊というらしい)のニュースである。おそらくは、詳報はないが、派遣された彼らも面食らうほどの被害の甚大さと、情報の錯綜と、言葉の壁などが多々あったに違いない。にも関わらず、彼らは、献身的に救助に当たったことは、送られてくるニュースで知ることができる。


 心が動かされたのは、その献身的救助振りについてではない。そうではなくて、「その献身的救助振り」を目の当たりにした中国の人々やメディアが、日本の救助隊に対して、心から感謝している、その様子をニュースで知って心が動かされたのである。
 日本の救助隊が救出した被害者はいない。十数人の遺体を瓦礫の下から搬出しただけであった。その中に、「母と赤ん坊」の遺体があった。やっとの思いで見つけ出したもののすでにこと切れていた母子の遺体を前に、救助隊員は全員が整列して黙祷を捧げたのだった。その模様はメディアによって撮影され全土に報じられたのだが、中国の人々はこれにいたく感動したらしい。

<中国人民は、この恩を絶対に忘れない>
 と、いろんなブログが書き記し、同様の感想がニュースで報じられている。それを知って、私はいささか心を動かされ、それはそうかもしれない、と思ったのだった。
 
  国と国との付き合いにはいろんなレベルのものがある。政治的・外交的関わり合いもあれば、文化的・学術的交流もある。しかし、日本の国際援助隊が中国国内で行った活動は、そのようなレベルには属さない。表面的には、隣国の窮状に手を差し伸べるという、政治的関与なのだろうけれど、今回のこの一件を見て、これはそんなものではなくて、もっと人の心の奥深いところで作用する「交流」なのだと思ったのである。
 数十人の隊員は、紆余曲折はあったものの、いち早く現地に駆けつけ、まさに身を削るようにして救助にあったった。政治家はよく、「汗を流す」という言葉を使って「奮闘努力する」ことを表現するが、そんな空疎な表現ではなく、隊員たちは文字通り、「汗も涙も流し」て隣国の被災者を必死で、助けようとしたのである。ただ、数千億円の援助金を送るだけ、というのとは分けが違うのである。

「まさかの友こそ、真の友」ということわざがある。自分が窮地に陥ったときに、篤い友情を示してくれる友こそ、真の友と呼ぶにふさわしい者なのだ、という意味だが、国と国、国民と国民との関係も同様なのだな、と思わざるを得ない。必死になって自身の肉体を酷使するようにして尽くしている日本の救援隊の様子を注視していた中国の人々は、おそらく本当に「このことを一生忘れないだろう」と思う。
 
  そして、中国の人々が、おのずと、そのような感情を抱くようになってしまった我が国の援助隊の活躍に対して、一人の日本人として「どうもご苦労様でした。ありがとうございました」と頭を下げたくなるような気持ちさえ、しているのである。

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2008年5月15日 (木)

旨い店にめぐり合う方法

 アンケートで思い出したけど、以前、料理雑誌からのアンケートで「いい店の条件とは」というお題をいただいたことがある。その返答に、
<トイレが汚い店に旨い店なし!>
  と書き送ったところ、すぐに編集部から電話がかかってきて、「それはいったいどういう意味なのか? インタビューしたい」と所望されたので、ライターの方にお会いして思うところを述べたことがあった。
  どういう意味もこういう意味もないのである。ただ一言。「出口のことを真剣に考えている店は、入り口のことも大事に考えている」ということである。

  戦後の英国の社会福祉政策のスローガン、「揺り籠から墓場まで」にならって言えば、「口唇から肛門まで」である。口唇から肛門までは、非常に長いけれど、1本の管でつながっている。食物はこの管の、長い旅路を歩むのだが、その過程で、食物の摂取者にさまざまな快感と恩恵を施す。入り口では味覚に快感を与え、中ほどでは実質的な栄養を施し、出口では、うーーん、出口では、いさぎよい退出によって摂取者に別種の快感を提供する。
  出口での配慮が行き届いている店は、入り口における気配りもなかなかのものなのである。
  つまり、そういうことである。
  だから、その店がいい店かどうか、旨い店かどうかは、メニュを見る前に、便器を見ればよろしい。足元がじくじく濡れていたり、便器の中が清潔でなかったり、便座の裏に何やら怪しいものがくっついていたり、トイレット・ペーパーが安っぽいものだったり、化学的な臭気芬芬の消臭剤が置いてあったりした場合には、用を足した後、「ちょっと用事を思いつきました」といって、店を出てしまえばよろしい。長居は無用である。

  この知見は、数多くの失敗とコンフリクト(自慢じゃないが、店屋での狼藉は普通の人よりはいささか多い。何しろ腹が減っているから、すぐに暴れてしまう)の末に、我が物とすることができた。
  先日、机の周りを整理していたら、このインタビュー記事が載った雑誌がたまたま現れた。「料理王国」の、その記事にはこんなことが書かれている。我ながらいいことを喋っているじゃないの、と思ったので、記しておきたい。

<それから、こんなことは誰も言わないでしょうから、この際僕が言っておきます。「トイレが汚い店に旨い店なし」。独断的ではありますが、トイレがきれいな店は「旨い店」です。「出口」について細やかに配慮する店は「入り口」に関しても完璧なもの。タバコの煙が充満している店もダメですね。そんな店に行くのは時間とお金と胃液のムダです(笑)。
 結局、レストランは人と人との関係。店と客とは、ボルトとナットの関係みたいにひとつじゃ成立しない存在です。料理人、サービス、客とでよりよい関係を作っていくのが「いい店」「いい客」を育てることになるんじゃないかと、僕は思います。>

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2008年5月13日 (火)

変なアンケート

  妙なアンケートが来た。今会いたい人は誰か、とか朝食は何を食べているのか、とか。知人からのものなので、懇切丁寧にお答えする。しかし、こんなことに誰が興味を示すのだろうか? 分からん。といいながら、回答を再録。

●いま、会ってみたい人は誰ですか?

  うーん、難しいねえ。会ってみたいけど、会うのはちょっと恐いなあ。思い切って告白すると、女優の尾崎奈々に会いたい! って言っても誰も知らないだろうなあ。
  和歌山の山深い田舎の中学生だった頃、毎週楽しみにしていたTV番組が「娘たちはいま」。TBSの番組で、調べてみて分かったんだけど、1967年放送のナショナル劇場だったんだなあ。
  曽野綾子原作で、井手俊郎脚本。吉永小百合がTV初出演(子役時代を除いて)という謳い文句でスタートした番組だったんですね。出演者は、吉永のほかに八千草薫、野添ひとみ、石坂浩二。で、その中の一人が、娘役の尾崎奈々さまで、毎週ブラウン管に抱きつくようにして見つめていたのだった。
  もう、ほとんど恋していた、といってもいいかもしれない。

小生、当時15歳。尾崎奈々さまは19歳。


  なんと可憐な女性がこの世の中にいるものなのか、と恋焦がれ、満たされぬ思いを、野球のボールにぶつけるしかなかった中学生時代。彼女との出会いが、その後のわたくしの女性観の大きな部分を形作ったといっても過言ではないと思います。
  憧れた女性でいうともう一人、ティナ・ラッツという人がいて、この二人がいる東京に何が何でも自分は行かねばならぬ、と決心したんだから。それで、大学は東京に出てきたんだもんね。
  しかし、会いたい、といってもねえ、あの可憐だった奈々さまも、今年60歳ですわ。還暦。
  時の流れるのはなんと速いことか。往時茫茫。でも、学校で使っていた定規に、コンパスの針で「奈々」と刻んだ日のことは昨日のように覚えているんだよね。

●いつも、朝食は何を食べていますか?

  なんで、そんなこと知りたいの? 知ってどうすんのよ。果物だよ。正確に言うと、「りんご、イチゴ、バナナ」だな。以前はこれにブルガリア・ヨーグルトをぐわっしとかけて食べていたんだけど、総コレステロールの値が少し高いので、少しだよ、言っとくけど、それは控えてるの。で、りんごの種類は王林とふじ、だな。これがうまい。
  子どもの頃はデリシャスが好きだったんだけど。
  で、あとは紅茶。これは贅沢して、ロンドンのフォートナム・メイソンのダージリンのファーストフラッシュか、レア・ティにしています。旨いダージリンは本当に旨い。
  吉祥寺にある紅茶の専門店リーフルの紅茶も旨いぞ。すんごい高いけど。

●新しい習い事を始めるとしたら、何にします?

  ゴルフですよ、ゴルフ。ちゃんと基礎から習い直したい。
  ちゃんと、体幹で打てるようになりたい。手上げを直し、下半身をどっしり構えて、動かさないようにして上半身をねじり上げる。そのとき、手でクラブを上げないようにする。ゆーっくり上げる。で、おもむろに、下半身を始動させ、それにつられてクラブが下りてくる。その時、頭ができる限り動かないように。頭はビハインド・ザ・ボールですよ。
  しかも、腰をボールが飛んでいく方向にスウェイさせない。そうすると、ボールは必ずすべって右方向に行っちゃうからね。

 腰は、左腰が真後ろに引っ張られように「回転」させる。
  そんなスイングができるように、習い直したいねえ。
  誰か、きちんと教えてくれないかなあ。死ぬ前に85を切りたいなあ。


  山岡茂さんにぼろ勝ちしたい!

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2008年5月 8日 (木)

なぜ「2乗」なんだ?

  更新がままならぬ。4月29日に故郷の母親が緊急入院し、ゴールデン・ウィーク中はすっかり、その看病に忙殺された。すでに母も80歳。田舎の陋屋に一人住まいが厳しいことはよーく分かっているのだが。

  その後、仕事に戻ったのだが、なんだか忙しくてゆっくりと書く作業にいそしめない。情けない。書きたいことはあるのに、時間がない。更新のままならないこのブログを見て、知人たちは、おそらく硫化水素でも吸って、死んでるのじゃないかとほくそ笑んでいるだろうが、ところがどっこい、生きているのだ。時間がないだけなのだ。

 ブログの内容がこれだけでは淋しいので、急遽、「私には分からない」シリーズ第3弾(たぶん)! 発表。

  高校時代に物理の授業で、こんなことを学んだと思う。
<高い建物の頂上から球を落とし、その球が落下した距離を1秒後に測定し、さらに、2秒後、3秒後、と、1秒おきに落下距離を測定しつづけると、球が落下した距離は、経過した時間の2乗に比例して増加する>(ポール・デイヴィス著「幸運な宇宙」 P28)

  これを学んだときに、どうしてそんなに都合よく「2乗に比例」するんだろうかと思わなかっただろうか? 「2乗-1」でもいいし、「2乗+2の平方根」でもよかったはずなのに、なぜ、自然はそんなに数学に都合よくできているんだろうか、と。なぜ、そうなるのか、と尋ねても、計測してみるとそのようになるとしか言いようがない、という返事しか返ってこなかったはずだ。

  ニュートンの万有引力の法則も同様である。

<2つの物体のあいだに働く引力は、それらの物体の距離が離れるにしたがって、距離の2乗の割合で小さくなる>(同書 P29)

  またしても「2乗」である。なぜ、物理現象はそんなにきれいに構造化されているのか? 「私には分からない」。誰がそう仕組んだのか?
全くもって不思議ではないか。誰かうまく説明してくれないだろうか。調べてみたらそうだから、そうなのだ、というのは無しだよ。

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