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2008年5月28日 (水)

石川セリさんの「八月の濡れた砂」

  昨夜、六本木ミッドタウンの中にある「ビルボードライブ東京」に出かけた。石川セリさんの久々のコンサートを聴くためである(今回のコンサートは彼女の最新アルバム「Re:SEXY」を記念してのもの)。

  セリさんとは、アンテプリマの荻野いづみさんを介してお近づきになった。私にとっては、何といっても「八月の濡れた砂」の石川セリであり、井上陽水夫人でもある。「お近づき」とは言っても、なんだか、緊張してしまうのである。4年ほど前に、六本木グランド・ハイアットのレストランで一緒にお食事をする機会があったのだが、当方の緊張などどこ吹く風、セリさんはいたってざっくばらんな女性であった。

  食事をご一緒した翌日だったと思うが、セリさんは心臓のトラブルで緊急手術しなくてはならない身の上となり、以降、音楽活動からは遠ざかっておられた。そのセリさんの久々のコンサートであるからして、大いに楽しみにして出かけたのは言うまでもない。

  オープニングはジャズの名曲、「LOVE LETTERS」。私が大好きな曲である。私のIPODにはこの曲が2曲入っている。1曲は、シンニード・オコナーのもの(アルバム「Am I Not Your Girl?」に収録)、もうひとつはペギー・リーのもの(アルバム「Peggy Lee Best One」に収録)で、どちらも、鳥肌が立つほど素晴らしい。その名曲を、セリさんはパリのキャバレーの踊り子風の衣装で歌い始めた。

 2曲目は新曲「ひまわり」。そして、3曲目が「八月の濡れた砂」。この曲のイントロが流れ始めると、もう心の奥底でさざなみが立ち始める。それが、いったいどういうものなのか、説明するのはとても難しい。この曲は1971年の8月に公開された藤田敏八監督の同名の映画の主題曲としてリリースされた。作詞は吉岡オサム、作曲はむつひろし。この歌を歌うセリさんはこのとき、19歳だった。
  そして、この映画を見終わって、71年の8月の炎天下、焼け付くような新宿の雑踏をさ迷い歩く私も19歳だった。どこに向かって歩けばいいのか、何を目指せばいいのか、何も分からず、ただ、あてどない焦燥感に炒られるようにして西新宿をうろうろしていたのである。この曲のイントロが流れると、一挙に当時の自分に舞い戻り、穏やかな心持ちではいられなくなる。涙がこぼれそうになる。70年代に青春を送ったことのある人ならば、なんとなく共有できる感情ではないかと思う。
 
  熱くて、息苦しい、殺伐とした70年代だったのである。

  大病を乗り越えて、思うように声が出ないセリさんは、声を振り絞るように、全身を使って歌う。

  私の海をまっ赤に染めて
  夕日が血潮を流しているの
  あの夏の光と影はどこへ行ってしまったの
  悲しみさえも焼きつくされた
  私の夏は明日もつづく

  確かに「私の夏」はその後も続き、学校を卒業し、無事に社会人にもなった。ある日あるとき、打合せで立ち寄った東京プリンスのトイレで用を足していると、隣に藤田敏八監督が立った。我々映画ファンは監督のことを、「ふじたびんぱち」と呼び習わしていたが、びんぱちと並んでおしっこをすることになったのである。
  ああ、このおっさんが「八月の濡れた砂」を作ったのか思いながら、便器を見つめていたことだった。
 
  びんぱちは、1997年8月に65歳で亡くなった。「八月の濡れた砂」の公開から、きっかり26年後のことだった。

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