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2008年6月

2008年6月30日 (月)

黒いTシャツと「お尻バッグ」

  酔っ払っているので、くだらないことを書く。

  実は、黒いTシャツについてである。このブログをお読みのあなたにも思い当たる節はあるかと思うが、洗濯した黒いTシャツを着ると、その表面についた白いホコリ状のゴミが、ひどく気にならないだろうか? 私はとても気になる。細かい、綿ぼこりのようなものが全表面に付着していて、ずいぶんと貧乏臭く感じるのである。

  黒いTシャツだけではない。黒いスエードや別珍やコールテンなどはぜーんぶ、白いほこりが目立ってならぬ。しかも、手で払ってもちっとも取れない。ばかりか静電気がおきてなお強く付着したりする。気にし始めると、もう我慢できないほど気になる。

  アートディレクターの井上嗣也氏は、有名なおしゃれさんだが、以前、黒いコールテンのパンツについた白いホコリが我慢できず、ガムテープでビコビコ貼り付けて取り除いていた。あまりに力強く貼り付けていたものだから、突然、コールテンのうねごと取れてしまったことがあったらしい(笑)。そのくらい気になるものなのである。

  しかしである。黒いTシャツだからそんな白いホコリが目立つだけであって、実は、洗いざらしの白いTシャツにも同じような白いホコリはしこたまついているのである。皆さんは、そのことに思いを至したことがあるであろうか? クリーニングから帰ってきた白いYシャツも、白いシーツも、白いから分からないだけで、本当は白いホコリがうんざりするほど付いているのである。
そう思うと、本当にがっかりする。がっかりしませんか?

  閑話休題。
  アンテプリマというブランドはバッグが有名だが、今度、私がデザインした「お尻バッグ」が発売になる。それがどのようなものなのかは、六本木店でお手にとってご確認いただきたい。セクシーでキュートですから(笑)。

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2008年6月25日 (水)

みたび、「井上雄彦 最後のマンガ展」に

 しばらく更新していないと、早く更新しろ、という督促メールが知人から届けられる。趣味で始めたのに、なんだかいつのまにか、仕事みたいになってきた。確かに自分自身も、長らくお暇にしていると、夏休みの宿題を片付けていない中学生のように落ち着かない気分になってくる。
 
  多分、人はあきれるだろうが、またしても上野の森美術館に行ってきた。もちろん、「井上雄彦 最後のマンガ展」を見にである。週末の夜、閉館後に、関係者を対象に、内覧会が催されたのだが、ちゃっかり、そこにもぐりこんだのである。

  この内覧会は、同展を記録するDVDの撮影のために催された。不特定多数をビデオにおさめるのは具合が悪い。ならば、関係者を呼び集めて、記録しておこう、ということらしい。入り口で、撮影されることを潔しとしない方は申し出てほしい、そのことを知らせるための腕章を手渡すので、と告げられる。だが、そんなひとは一人もいなかったように思う。

  入り口で入場の順番を並んでいると、井上氏のインタビューをしたり、一緒に旅をしてレポートを書いたりしているI氏を紹介される。初対面だが、「実はこれで3回目の鑑賞なんです」と告げる。「しかも、前の2回では泣いちゃいました」と恥ずかしながら告白すると、「あ、あの母子像のところでしょ」とすぐに指摘される。「はあ、そうなんです・・・」。
 
  なんのことはない、関係者の間では、あの「母子像」のコーナーは、泣かせどころとして周知のことだったのである。そこにしっかりはまっている自分のことを考えると、すこし複雑な気持ちになる。

  内覧会で、井上氏本人にお会いできるやもしれぬと、ひそかに期待していたが、残念ながらお目にかかることはできなかった。もっとも、お会いできたとしても、何をどう話していいのか困ったかもしれない。「感動して泣いちゃいました」と、いい歳をしたおっさんに話しかけられても、井上氏も困惑しただろう。

  ご本人にはお目にかかれなかったが、井上夫人を遠くから見かけた。そして、驚いたのは、その足元に二人の小さな男の子がまとわりついていたことだった。井上ジュニアであるその少年たちは、背格好から想像するに多分、双子である。母親のそばに立つその二人の少年を見ていてすぐに理解したのである。
 
  あの母子像は、自身の子供と妻なのではないか、と。母親の胸に顔を埋めて、気持ちよさそうに眠っている武蔵は、他でもない、井上雄彦のわが子なのではないか、と。そういえば、会場の入り口に掲げられた小さな男の子の絵を、私は武蔵の幼少期の肖像だと思い込んでいたが、よーく眺めてみると、井上雄彦その人に顔が似ている。そうである、あれは、わが子に違いない。

  そこまで思い至ったときに、悟ったのである。井上雄彦にとっての武蔵と小次郎は、今、母の足元でじゃれている二人の男の子にほかならないのだと。

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2008年6月19日 (木)

エルメス主催「眩惑のインド」の夕べ

 このところ妙に上野づいていて、昨夜は、上野にある旧東京音楽学校・奏楽堂でおこなわれた「眩惑のインド」なるイベントにお招きいただいた。ご招待下さったのは、あのエルメスさんである。エルメスは毎年、その年のテーマ(星だとか川だとか)を設定するのだが、今年のテーマは「眩惑のインド」。そういえば、今年はカルティエもインドがテーマだから、ラグジュアリー・ブランドはこのところ、妙にインドづいている、といっていいかもしれない。

 その背景には、おそらく成長目覚しいインドの経済力があるに違いない。ビンボー日本は見切って、もっとお金を持っている国を相手にしようということである。多分、今後はブラジル、ロシア、中国、そして中東の産油国がテーマに浮上すると予言しておいてもいい。

 さて、イベントであるが、これがすごかった。イベント自体は2部に分かれていて、まず第一部は、先に書いたが旧東京音楽学校の奏楽堂で行われた。この奏楽堂というのが、明治23年に、日本で最初に建てられた木造の西洋式音楽ホールで、レトロもレトロ、国の重要文化財に指定されている。なのだが、今も日常的にコンサートが行われているのだから、驚くべき話である。震災と空襲からよくぞ生き延びたもんだと思う。

 上野の地は明治維新後、日本の芸術教育の中心地と定められ、明治9年には東京美術学校、明治12年には東京音楽学校が設立された。戦後の昭和24年、この二校が合体して東京藝術大学に。だからこの奏楽堂も本来は現在の東京藝術大学の敷地の中にあったのだが、老朽化激しいため、解体され、現在の上野公園内に移設されたという。

 奏楽堂の天井は、多分音響効果を考えてのことだろうがかまぼこ状にくぼんでいる。資料によると、壁や床下に藁やおがくずを詰め込んで遮音を図っているという。
 そのホールで昨夜演奏されたのは、「オペラ 隅田川」!
「隅田川」とは、今から600年ほど前に、世阿弥の息子、観世十郎元雅が戯曲化したもの。話の大筋は、人買いにさらわれた愛児の行方をもとめて京から下ってきた母親が、武蔵の国の隅田川のたもとで、はからずもそこで我が子の最期を知るという、救いのない話である。

 この能楽を、現代語風歌詞に書き下ろしたのが、伝説のロックバンド「ハッピーエンド」の松本隆氏。作曲が千住明氏。舞台中央に千住氏がタクトを持って立ち、オーケストラをバックに3人のソリストが歌う。演奏時間は約1時間。オペラ風に作曲された西欧風メロディにのせて日本語の歌詞を歌うのだが、はっきりいって、残念ながら、何を言っているのかさっぱり分からない。どうやら日本語らしい、ということしかわからず、先に書いたあらすじも、パンフレットを見ながらでないと皆目分からない。

 日本語は、オペラのメロディに乗りにくい。まして、「ここはこの世の果ての川 竜の涙もきらきらと 武蔵の国と下総分けて 大地をうねる隅田川 墨絵色の隅田川」などというすぐには咀嚼しがたい言葉が並ぶと、聞き取り不能になってもしかたない。日本語のイントネーションとオペラの楽曲とは相性が悪いのではないか、という風なことを、隣に座ったコンデナスト・ジャパン社長の斎藤和弘氏に述べると、彼は「しかも、メロディの一音に日本語の一音をのせようとするから、間延びしてなお分かりにくい」という感想を述べる。

 なぜ、「隅田川」がインドと関係あるのか? と問うと、斎藤氏答えていわく、「川でしょう。現世と彼岸を分かつものが川、という観念がインドにつながる。しかし、残念ながら、京の都から武蔵の国に下ってきた人が隅田川にぶつかって、川の向こう岸にわが子の墓を見つけるとなると、墓は川の東側になる。西方浄土の逆だから、ここが残念なところ」
 
  なるほどね。
 
  このコンサートの後、場所を奏楽堂の向かいの、法隆寺宝物館に移す。この宝物館というのが、これまた凄いのである。明治11年に奈良の法隆寺から皇室に献納され、戦後に国に移管された7、8世紀の宝物を300点ばかり収納・収蔵している建物なのである。平成11年には谷口吉生氏設計の新宝物館が建てられたが、今回は、エルメスさんがこの建物を借り切って、一夜限りのタージ・マハル廟風のしつらえを作り上げてしまったのである。
 

  古風な日本の屋敷の門をくぐると、そこで靴を脱ぐ。はだしになって、広大に敷き詰められたカーペット、絨毯の上を歩く。宝物館の前庭に大きく広がる池には蓮かと見まがう造花が浮かべられ、宝物館のエントランスには立派な絨毯が敷かれ、大きくて立派なインド風クッションがいくつも置かれている。5人がけほどのシートがいくつも用意されていて、おのおのそのクッションに座り込んでインド料理をいただく仕掛けである。
 シートの中央には赤ワイン、白ワイン、ビールなど、各種飲み物が用意されている。そんなのをちびちびやりながらカレー風の食べ物をいただく。いつも食べてるインド料理となんだか感じが違うなあと思っていたら、なんでもこの夕べのためにアラン・デュカスが作ったという。さすがに、エルメスさんはやることが違う。気分はほとんどマハラジャである。 
 
  斎藤氏と、よしなしことをぐだぐだ喋っているうちに、夜はどんどんふけていくのだった。                  

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2008年6月16日 (月)

「ブルータス」井上雄彦特集に拍手

「ブルータス」最新号が「緊急特集 井上雄彦」を組んでいるというので、急ぎ手に入れてざっと見てみた。うまいね、ブルータスは。上野の森美術館で「最後の漫画展」を開催中の、このタイミングで井上特集を組んでみせる、というのが。なんでも23万部も刷ったそうな、噂では。そんなに刷る男性誌、最近は聞いたことないからね。

 井上ファンを自認する、多忙の内田樹を井上のスタジオにまで連れて行って写真を撮っているし、井上のアメリカへの旅にも同行してるし、「未公開ネーム&メモ」や、展覧会入り口に掲げられてある人相の悪い武蔵の「ポスター」までおまけでつけてある。がんばったね、編集者は。

 さて、その記事の中で美術史家の山下裕二氏が語っている話が面白かったので引用しておきたい。美術館で井上雄彦の筆を使用した漫画を初めて見たとき、「これはすでにアートである」と感嘆したのだが、似たような感懐を山下氏も述べている。

<はっきり言って、これほどの線が引ける日本画家は、第二次世界大戦以降ひとりとして存在していません。井上さんは存命日本人画家の誰よりも画力がある。習うでもなく、独力でここまで「筆ネイティブ」に迫る画力を身につけた人が現代にもいるんだと、心底感心しました。>

「筆ネイティブ」とは、鏑木清方や上村松園あたりを最後に絶滅してしまった、「物心ついた時から筆を握り、筆で描くことが血肉化している人」のこと。

<僕はプロであることを突き詰めていった末に出てくる「すごみ」というものが大好きですが、井上さんも自分で自分を鍛え上げてしまった人。毎週の締め切りに追われ、大勢の読者を満足させなければならないマンガ家であるがゆえに、ネイティブに遜色ないほどの筆力を短期間で身につけることができたのでしょう。ホント、びっくりです。>

 確かに、私も、上野でホントにびっくりした。

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2008年6月10日 (火)

もういちど「井上雄彦 最後のマンガ展」へ

  またしても、上野の森美術館に出かけ、「井上雄彦 最後のマンガ展」をもう一度展覧してみた。

  なぜ、泣いてしまったのか、そのことを確認しに出かけたのである。ちょっと体調が悪くて、気が弱くなっていたからなのか。それとも、展示された漫画の力が強烈だからなのか。
「なんたって、今日は2回目だから、もう泣かないぜ」と自分に言い聞かせつつ、ゆっくりと会場を見て回る。泣くわけないじゃないか、たかが漫画だろ、泣くわけない、泣くわけない・・・・。

  だめだ。「母親に抱きしめられた幼児の武蔵」の絵のところにくると、やっぱり涙が滲む。なぜ、「母と子」の図像に自分はこんなに弱いのか。何か、自分では察知できていない大きなトラウマがあるのではなかろうか、と思ってしまう。

  そして、その次の展示コーナーには、左右に大きく広がる浜辺の絵が掲げられている。足元には本物の砂が敷き詰められている。


  その浜辺で、少年の小次郎がにこやかに武蔵を待っている。
  どうしたんだよ、遅かったじゃないか、というような懐かしい表情で。
  少年の武蔵は、小次郎にエスコートされるようにして、冥界に向かう。
  さあ、行こう、と誘われて。
  二人の少年の姿は、浜辺の彼方に小さくなっていく。
  
  この叙情に、自分はとても打ち克てない。

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2008年6月 9日 (月)

「井上雄彦 最後のマンガ展」を観に行く

  上野の森美術館でやっている「井上雄彦 最後のマンガ展」に行ってきた。というのも、10日間ほどかけて「バガボンド」28巻(今のところの全冊)を夢中になって読破。その27巻目か28巻目に、この催し物の案内があって、妙に気になったからである。
 まず、美術館で「バガボンド」の展示会をやる、というのがいったいどういうことなのか興味がわいたのと、それと同時に、どなたかのブログを読んでいたら、「井上雄彦の展覧会を見た帰りに、上野駅に続く橋の上で落涙した」という記述があって、美術館の展示物を見て思わず泣いてしまった、という人物がいることに驚いたからである。これは、観に行くしかあるまい、と思い立ち、平日の早朝、ひとり上野に出かけたのだった。

 開館直後というのに結構な観客でにぎわっていた。20代のファンと思しき若者たちが、原画を食い入るようにみつめている。上野の森美術館そのものが1冊の本のように見立てられ、そこで、「武蔵の死」をテーマに一話の物語が展開されている。この展示会場のために書き下ろされた、濃密な物語である。マンガ誌を読むように、展示は右から左に流れるように工夫されている。

 入場するとすぐに、弁当箱くらいの大きさの絵が掲げてある。多分、赤ん坊のころの武蔵の絵である。以降は、生まれ育った故郷の風景や、武蔵の人生に関わった多くの人々(その多くは切り殺された人たちであるが)の肖像が登場する。なかには、大きな日本画のアートとして十分に通用するであろう、筆で描かれた「武蔵立像」もある。その筆遣いは、もはや漫画のレベルではないようにも思える。

 その展示された絵を見続けているうちに、自分の心に思わぬことが起きた。

  今まさに死に行かんとする武蔵に対して、冥界の父親が問う。まだ、この世の未練を断ち切れぬお前に必要なものはなんなのだ。「あと、何が、欲しいのだ?」 そして、次の展示コーナーにさしかかると、そこには「赤ん坊を抱きしめて立つ母親」の巨大な絵が何枚か掲げられていた。その場所はひときわ照明が明るく(感じられた)、なんとなく幸せな雰囲気が漂っている。赤ん坊の武蔵。幼児期の武蔵。子どもの頃の武蔵。どの武蔵も、母親に抱きしめられて、幸せそうに見える。とても穏やかに見える。この絵を見た途端に、この穏やかな空気に包まれているうちに、胸が熱くなり、涙がこぼれおちてきてしまったのである。

 聖母像、なのだろうか。
 血で血を洗う、凄惨な人生を辿ってきた武蔵の最後の最後の一瞬に、頭をよぎったのはこんな母親の記憶だったのかもしれない、と思うと、濁りきったおっさんの心にも一種のカタルシスが訪れたのである。美術館の要所要所に配置された監視員に悟られぬようにあわてて涙をぬぐいながら、「歳をとって涙もろくなっちゃったのかなあ」と思いつつ、背中をまるめて外に転び出たのだった。いったい、なんで涙が出てくるんだろうと不思議に思いつつ。

 が、次に驚いたのは、自分のすぐ後ろから出てきた、どこの誰だか知らない若い女性の観客も同様に泣いていたのである。目頭を赤くはらしていたのである。井上雄彦の絵には、人を泣かせる何らかの力があることをその時にしっかりと理解させられたように思う。

 売店で、展覧会のカタログやDVDや単行本などを大人買いして、じっくり読んでいるうちに、井上雄彦の絵がなぜ、人を感動させるのか少しだけ分かった気がした。そのことについて書き始めると長くなるので、一言だけ書いておくと、井上は、いつも「本気である」からなのだと思う。仕事に手抜きがない。全身全霊をこめて一つのことに打ち込む。たぶん、漫画家にならなくても、彫刻家だろうがサラリーマンだろうが、何になっていたとしても、彼は一家を成していたことだろうと思う。真摯に物事に対処する、その「生きる姿勢」に感動してしまうのである。

「SLAM DUNK」の連載が終了した後、04年12月に、神奈川にあるすでに廃校となってしまった高校の教室を利用して、その後の「SLAM DUNK」について、3日間だけのイベントを行っている。二十数枚の黒板にその後の彼らについての漫画を描いたのである。その模様を、手に入れたDVDで知ったのだが、井上は何日もかけて黒板に向かう。立って描くわけだから手がしびれてくる。時に腕を振りながら、数日間かけて描ききる。開催日当日、井上は陰に隠れて、ファンたちの反応をこっそり見つめている。ほほえましい光景である。

  私が感動したのは、実はイベント終了時の井上のふるまいだった。
  イベントが終わり、夜が訪れ、人っ子一人いなくなった教室をひとつひとつ巡りながら、彼は、苦心して黒板に描いた漫画を消し始めたのである。「こうすることでしか、自分の気持ちを納得させられないから」と。そのままにしておけば、自然に消え去っていくであろう、その絵を、一点一点、いとおしむように消して回る彼の姿を見ているうちに、やはり私は胸をつかれたのである。

  そして、この漫画家はただものではない、と強く思ったのである。

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2008年6月 3日 (火)

結婚とは何か?

  先日の日曜日に、一緒の職場で働く若い女性の結婚式があった。そのしばらく前に別の結婚式があり、主賓の挨拶で、あまりに「本当のこと」を私が語ったせいで、会場が静まりかえった、という話はすでに書いた(5月30日の項)。今回は、前回の反省から、内田先生の本を朗読することはやめて、自分自身の声で語ることにつとめた。何を語ったか。思い出せる限りをここに採録しておきたい。

  <さて、披露宴の席でご挨拶をする際に、必ず喋っていることがらがあります。今回も、そのことについて申し述べたいと思います。
  まず、始めに申し述べたいのは、結婚式にのぞむ
若い二人は、「結婚」と「幸せ」あるいは「幸福」を同じものだと思い込んでしまっている、ということです。結婚する若い二人ですから、当然気持ちは舞い上がっているでしょうから、そのように思い込むことは仕方のないことなのですが、結婚生活31年を過ごした一人の先輩から言わせもらえば、それは全く別の概念なのです。「結婚」と「幸福」は、似ているかもしれないけれど、全く違う。トマトと柿ぐらい違うものなのです。


 にも関わらず、若い二人は、「結婚」さえすれば、もれなく「幸せ」がついてくると思い込んでしまっている。それは、トマトを買っても柿がついてこないように、ついてこないものなのです。「結婚」という儀式はいわば、通過儀礼です。たとえ話をするならば、こんな話になります。甲子園で活躍した高校球児がドラフト会議の後にプロ野球球団に入団することになったとします。「プロ入団」というのは通過儀礼です。その儀礼さえ済ませたら、どんな球児も全員、スター選手になって、一軍で活躍できるというわけではない、ということはどなたにもお分かりいただけると思います。
 
 その世界で輝き、注目される選手になるためには、人一倍の苦労と、努力と才能と運が必要になります。そのことはすんなりとご理解いただけるかと思います。結婚も同様なのです。なんの努力もせずに、ただ結婚式をすませた、というだけでは人は幸福になれたりしないのです。そこで必要になるのは、努力であったり忍耐であったり、理解であったりします。二人の血のにじむような協力があって、初めて二人に「幸福」は訪れるのです。

 そのことを理解しないままに、結婚すると、すぐに「どうして私は他の人のように幸せになれないんだろう。結婚相手を間違えたかもしれない」という不安や不満がつのるようになります。それが高じれば、離婚や別居という不幸な結末が訪れるようになります。現に、こうして披露宴会場をざっと見渡せば、不幸な結末を迎えた方々が散見されます。前輪の覆るは後輪のいましめなり。いうまでもなく賢明なおふたりであろうから、こんなアドバイスは無用であろうかと思いますが、念のために力説申し上げる次第なのです。

  結婚というのはいうなればマラソンです。短距離走ではありません。日照りの日もあれば暴風雨の日もある。道がぬかるんでいることもあれば、乾燥しきっていることもある。ロング・ワインディング・アンド・ハード・ロードなのです。「途中下車」したくなることは数限りなくあります。そんな衝動を押しとどめるのが「結婚式」という儀式、あるいは制度である、ということにお気づきでしょうか?

 さきほど、教会でご親族の方々や友人知人が一堂に会して結婚式がとりおこなわれました。何も気がつかない若いふたりは、仲のいい人たちが集って自分たちを祝ってくれている、と勘違いしているかもしれませんが、結婚式の意味はそこにのみあるのではありません。ちょっと考えてみてください。なぜ、せっかくの日曜日に、みなさんお忙しいだろうに正装までさせて、ひとところに呼び集めて、賛美歌まで歌わせるのか。なぜ、牧師まで担ぎ出して、あまつさえ、イエスキリストまで借り出して、「夫婦の誓い」を強いるのか。

 もう、おわかりでしょう。そうです。結婚とは、そうまでして拘束しないとすぐにもろくも崩れ去るものなのです。「あれだけ遠くから親戚縁者かき集めて、神様の前で、健やかなときも病めるときも一生愛し続けますと誓ったんだから、もーやーめた、というのはちょっと言い出しにくいよなあ」といった抑止力として、結婚式は機能しているのです。そうでなければ、「式」は必要ありません。愛し合うふたりがそのまま、勝手に一緒に暮らせばいいことなのです。数年たってどうも気が合わないよねと気づいたときには、話し合ってそのまま分かれればいいのです。そのようなわがままを決して許さない、というのが「結婚」という制度そのものなのです。

  さて、いったい私は何を言いたいのか。そう、「結婚式」を通過したあなたがた二人は、これからの長い長い人生の道のりを、ふたり手を取り合って努力し、ときに涙を流し、ときに笑い声に包まれながら、歩み続けるしか術はない、ということを申し述べたかったのです。安直に幸福はもたらされはしません。二人で協力して、ふたりの力で、幸福をもぎ取るしかないのだ、ということを力説しつつ、ご挨拶とさせていただきます。

 ご静聴、ありがとうございました。アーメン。>

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