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2008年9月 9日 (火)

「グスタフ」を巡って

  
    アメリカの南部に上陸したハリケーン「グスタフ」は、「カトリーナ」ほどの勢力には育たず、さしたる被害も与えなかったようである。まずはめでたし、めでたしである。
  
    ニュースで、そのハリケーンの名前が「グスタフ」と聞いて、おお、今度は男名前なのか、と思った。「グスタフ」のファースト・ネイムで思い出すのは、マーラーかクリムトぐらいで、なんだか東欧の暗い情念を感じさせる不気味な男名前である。
  
    その昔、アメリカでは、ハリケーンはすべて女性の名前を授けられていた。日本でも、敗戦後しばらくは、台風の名前に女性名を当てていたことがある。「キティ台風」だとか「ジェーン台風」「ルース台風」なんて呼んでいたのである。日本を襲う台風の名前が、である。占領下というのは、時にとんでもないことが起こるものだと思う。
  
    台風の女性名の話になると思い出すことがある。
  
    高校時代の英語の授業のときだった。担当の米谷正典先生が、あるとき、生徒にこう尋ねたことがあった。

「どうして、アメリカ人はハリケーンに女性の名前をつけたのだと思う?」
  
    そう言って、米谷先生は生徒たちの顔をうかがった。私は、ごく自然に、はいっと手を挙げて、

「来襲するハリケーンが、できることなら女性のように従順で穏やかで温和なものであるように、という祈りをこめてのことだと思います」
  
    そのとき、16歳の私は素直にそう思い、そう答えたのだった。それを聞いて、米谷先生は苦笑しながら、「おまえは、えらいフェミニストやなあ・・・」と小さく呟いた。それから苦虫を噛み潰したような顔になって、

「そら違う。予想外に荒れ狂い、手が付けられんからやで・・・・」
  
    米谷先生が、田舎の高校生を前にしてそう語ってから、もう、何十年も経つ。米谷先生には3人の小さな娘さんがおられたが、今頃は、みんなもう立派な中年になっていることだろう。当時、先生は家に帰ると4人の女性に囲まれて暮らしておられたのであるなあと、今になって思う。
  
    台風を女性名で呼ぶ風習は、日本では昭和20年代後半には廃れ、アメリカでも1979年には「性差別的である」という理由で、男女の名前を交互につけるようになった。つまり、ほとんどの方々は、台風の荒れ狂いぶりを見て、無意識のうちにごく当然のようにして女性の名前を冠してしまっていたわけである。
  
    しかし、と思う。                               
    人生の最終コーナーにさしかかった今でもなお、私は台風に女性名を冠したのは、「女性のように心優しい、寛容で穏やかな台風でありますように」という人々の祈りをそこにこめてのことだったのだと信じたい。女性というのは、そのようなものであるのだと信じ続けたい気がする。

    そんな話を仲間に披露すると、みんな、馬鹿じゃないの、という顔をして私の顔を覗き込む。特に当の女性たちは鼻でせせら笑う。つられて私もヘラヘラ笑いをして見せるけれど、そんな風にふるまいながらも、心のどこかで、「まだ出会ってはいないけれど、従順で温和な、心温まる女性がこの世のどこかにきっといる。絶対にいるはずである」と信じきっている自分がいる。

    笑いたければ笑えばよろしい。

    内田樹氏の新著「こんな日本でよかったね」を読んでいたら、こんな一説に出くわした。

<端的に言えばレヴィナスのいうところの「女性的なもの」、柔和さ、ぬくもり、癒し、受け容れ、寛容、慈愛、ふれあい、はじらい、慎み深さ・・・・といった「贈与的ふるまい」の重要性からおそらく目をそらすことができないのである。それがどれほど近代家族イデオロギーの中で手あかのついてしまった概念であったとしても、やはり親しみの場は、そのような「女性的ふるまい」抜きには成り立ち得ないであろう。(略)     
「女性的なもの」の本質は「無償の贈与」である。見返りを求めない贈り物のことである。>(P224-225)
  
    もう一度、笑いたければ笑えばよろしい。 世のフェミニズムに厳しい視線を送る内田氏だが、ご自身は、なかなかのフェミニストなのだろうと思う。     
  
    先週末、江東区森下の居酒屋「山利喜」で飲み会を決行した。居酒屋なんてのは大嫌いなのだが、なぜかこの店はOKなのである。メンバーは私一人が男性。他の5人は全員仕事の付き合いのある女性たちである。年のころは30代~40代。ビールを飲み、もつ煮込みをすすり、ワインを傾け、ガツをかじりながら大声で馬鹿話を交わしていると、なんとも言えない、安らかな気持ちに包まれている自分を発見する。 なぜだかは分からない。
  
    もしメンバーが3、40代の男性だったならば、私は絶対に、こうはならなかったに違いない。

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