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2008年10月 7日 (火)

サブプライムとソロスとショーン・コネリー

  このところの世界の株価はもう大変なことになっている。いわずと知れた、米国発のサブプライム・ローン禍が世界に遍く行き渡り、各国の銀行や証券会社、保険会社がにっちもさっちもいかなくなった挙句の大異変が株価に反映している次第である。

  どうしてこんなことになったのか? 我々日本人は、それについては身にしみて知っている。80年代に土地バブルが強烈に破裂した経験は、忘れたくともなかなか忘れられない。

  簡単に言えば、当時、市場にじゃぶじゃぶに溢れた資金は、土地などの不動産に向かい、その値段はどんどこ揚がった。株価もそれに連れてどんどこ揚がった。生まれたものはいつかは死ぬ。揚がったものはいつかは落ちる。そんな簡単なことを忘れて、老いも若きも有り金はたいて、ついでに借金までして不動産を買いあさったのである。当然のように待ち受けたピークで、風船ははじける。あとは、転がり落ちるまでである。

  このたびのサブプライム・ローン問題も同様。このまま土地や家屋は値上がりし続けるであろうという根拠のない臆断で、一般市民までが、返せる当てもない金額を銀行から借り入れて不動産を購入。値上がりしたら返済すればいいや、と思っていたところに突然天井が現れ、夢のプランは崩壊。

  しかもである。あろうことか、この一般市民の返せる当てもない借金を「証券化」して、何がなんだか分からなくして(まるで牛乳にメラミンを混入するように)世界中にばら撒いたもんだから、被害は何倍にも拡大して世界中の金融界を混乱に陥れたのである。

  冷静に考えれば、そりゃ、混乱に陥りもするだろうよ、と呟かざるを得ない。みんなでこぞって欲をかき倒したんだから、天罰も下ろうというもんである。以前どこかに書いたけれど、全員が汗水たらしてお金を稼ぐことを放棄し、「できるだけ努力しないで、手持ちのお金を増や」そうとすれば、世の中、立ちいかなくなるのが当然なのである。

  ヘッジファンドや、投資銀行や、世界の大銀行が行ってきたことは、「汗水たらしてお金を稼ぐこと」ではなく、「手持ちの資金をあっというまに何倍にもするチャンスをお金で売り買いすること」だったからである。金融工学だとかデリバティブだとかかっこいいことを言っているが、これって、本質的にはパチンコや宝くじや競馬競輪となんら変わるところがないのである。

  でだ、パチンコを例にとればすぐに分かることだが、ゲームに参加した人間全員が儲かるなんてことは絶対にない。誰かが儲かれば、同じ分だけ誰かが損をすることになっている。実に単純な話なのである。要は、「誰がババをつかむか」という話なのである。

  そこで、話は冒頭に戻る。アメリカでも日本でも、株式相場がしっちゃかめっちゃかになっている。9月に入ってからのダウの日足を見るともう笑うしかない。ありえないグラフを描いている。通常の株価のグラフがなだらかな上り下りの坂道だとすると、ほとんどジェットコースター状態で、しかもところどころでレールがなかったりしている。90度上昇したかと思うと、地上に向かって真っ逆さまに墜落している。もう、インサイダーだろうが株価操作だろうがなんでもあり。矢でも鉄砲でも持ってきやがれ、こんちくしょー、という恐るべき相場になっている。

  誰が、こんちくしょーと叫んでいるかというと、恐らくは、断末魔のヘッジファンドであり、血を流す投資銀行であり、苦しみのた打ち回る世界の大銀行であり、このドサクサで大儲けしてやろう企む世界の大金持ちたちである。その内実はうかがい知ることができないが、なんとか生き延びようとみんなが壮絶な戦いを戦っている、のだろうと想像する。生き延びられなければ死ぬだけだから、もはやインサイダーや株価操作で訴えられようがどうしようが、そんなのはへの河童なのであろう、と思う。

  と思いつつ、いったいヘッジファンドっていうのは、どうなっているんだろうかと手に取ったのが、「ヘッジファンド 世紀末の妖怪」(浜田和幸著 文春新書)という本。平成11年に刊行された本で、90年代末の、アジアの通貨危機を米国のヘッジファンドがいかに仕組んだか、を描いたもの。筆はもっぱら、ジョージ・ソロスという米国のヘッジファンド界の妖怪を描くことに割かれているが、その妖怪振りというか、悪者ぶりというか、が実に面白く描かれている。

  ソロスは1930年、ハンガリーの首都ブダペストで、ユダヤ人の両親のもとに生まれた。ナチス占領下のブダベストをたくみに逃げ回り九死に一生を得る。彼の父親は「ドイツ軍が侵入してきた非常事態の下では、法律などあってなきがごときものだ。戦時下においては、通常のルールは意味を失う。平時に通用したような考えを一切捨てなければ生き残れない」と言って、息子ソロスに、偽造身分証明書を与え、他家に養子に出してしまう。

  戦後、ソ連の支配下に入ったハンガリーを逃れ、ひとりロンドンへ。その後、どういういきさつでそんなことができたのかは不明だがロンドン・スクール・オブ・エコノミクスという名門大学に入学。そこで、著名な哲学者、カール・ポパーに出会い、「開かれた社会」という思想の虜になったのだという。(P81-81)

  へえーと思うしかない。というのも、ソロスは後に「オープン・ソサエティ」という慈善団体を作り、世界中で、ほとんど内政干渉的策謀というしかない活動を続けるからである。何がどう影響するのかは、実にわからないものである。

  で、笑われるかも知れないが、今日書きたかったことは株価の話でも、ソロスの話でもなかったのである。もっとくだらないことを書こうと思って書き始めたのだが、そこにたどり着くまでにずいぶん、時間を費やしてしまった。

  この「ヘッジファンド」を読んでいて、「マネー・ロンダリング」という言葉に出くわし、そういえば、かねがねこの言葉に違和感を抱いていたんだったなということを思い出したのである。

  マネー・ロンダリングとは、もちろん、「資金洗浄」である。Money Launderingである。なにの、ホテルのクリーニング・サービスは「ランドリー・サービス」という。Laundry Service。なんで一方が「ロンダリング」で他方が「ランドリー」なのか。マネー・ロンダリングというなら、ロンドリー・サービスというべきではないのか、と思っているうちに、そういえば、小学生のときに習ったローマ字の表記にヘボン式というのがあったけど、どうしてオードリーはヘップバーンなんだろう。オードリー・ヘボンなんじゃないか、と思い立ち、そういえば、と次々に「そういえば」が来襲し、Luxuryはラクシャリーとしか言わないのに、どうしてラグジュアリーなんだろうか、とかショーン・コネリーはSean Conneryなんだから、どうみても、シーン・コナリーだろうと思い、しかし、Sean Pennはなんでショーン・ペンなんだろうと、不可解はますます拡大していくばかりなのであった。

  今日はこれにて終わり。

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