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2008年10月23日 (木)

デューク・エリントンから村野藤吾まで

  

  仕事が異常な立て込みようで、とても更新している余裕がない。まったく情けない。備忘録として急ぎ足で最近の話を箇条書きにしておきたい。

● 10月21日、丸の内のコットンクラブでデューク・エリントン・オーケストラを聴く。メンバーたちは、実に楽しげに自由にスイングしている。オーケストラの真横で聴いたのだが、彼らの私語やささいなしぐさを仔細に観察することができた。彼らはプレーしながら、自分たち自身が心から楽しんでいるように見える。「ヤー」とか「イエー」とか「ナントカカントカ」とか演奏中に掛け声をかけたり、隣のプレーヤと目配せをしたり、話をしたり、ビールで喉を潤したり、実に闊達である。

  これを見て感じたのは、「我々日本人は、きっと永久に、このスイングの軽快な感じや、恐るべきリズム感を身に着けることはできないだろうな」ということだった。途中でスペシャルゲストで登場したオマー・エドワーズの驚異的なタップダンスを目撃して、日本に生まれ日本語で育ち、日本文化の中で生活している人間にはこのリズムは絶対に刻めまい、と確信した。

  それは、アメリカで生まれ、英語圏で育ち、その文化に浸っている人間が、浪曲や演歌の「こぶしまわし」の、肉体化した理解に到達できないだろう、ことと同様である。

● 在米の映画評論家でありコラムニストである町山智浩氏の新刊「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」を面白く読む。この本は、別のタイトルを付けるとすると「アメリカ人はどこまでバカか?」というものになるだろう。アメリカに住み、異文化を背景に持つコラムニストの眼差しで彼らの日常を注視しているからこそ、その驚くべき「異常さ」が浮き彫りにされる。

  そうだったのか、と勉強になったのはこんな部分。

<アメリカにおける保守とリベラルの対立は、日本における右と左の対立とかなり違う。・・・・共和党が堅持する、アメリカの伝統的な保守思想は「自由主義」である。信教の自由を求めてヨーロッパから逃げてきた人々の国だし、イギリス国王の重税からの経済的自由を求めて共和制を勝ち取った国だからだ。ところが「自由主義」を英語で言うとリベラリズムだ。実はアメリカのイデオロギー抗争は、いろんな種類の自由主義のせめぎあいなのだ。

  まず、経済における自由主義とは、自由市場で勝手に競争させておけば世の中はよくなるとういう考えだ。・・・・だから市場経済に関して政府は放っておけ。政府の権限は小さければ小さいほどいい。
  アダム・スミスは経済を「神の見えざる手」が操るのだと唱えた。この古典的自由主義は、プロテスタントの信じる「予定説」、この世のすべては神の思し召し、という考えと結びついた。つまり自由放任経済は神への信仰に支えられているわけだ。
  ところが実際は、経済を放任していると暴走する。

  ・・・・実際、1929年に大恐慌が起こったが、当時のフーヴァー大統領(共和党)は「神の見えざる手」を信じて、市場に何も介入しないで景気回復を待った。・・・・・フーヴァーに代わって就任したF・D・ルーズベルト大統領(民主党)は革新的な景気打開策をとった。・・・・ニューディール政策である。かくして民主党は、富を貧しい者に分配すること、つまり「平等」の実現を党是として確立した。
共和党の「自由」、民主党の「平等」、この対立する二つのイデオロギーは、アメリカを動かす右と左の両輪だ。>(P164-165)

  なるほど、だから共和党・ブッシュ政権は金融市場をかくも無残な状態になるまで「神の見えざる手」に委ねてきたのか。いったいどういう理屈でヘッジファンドらの暴走を看過しているのかはなはだ理解に苦しんだが、神様におまかせ、ということであれば分からぬでもない。なにしろ、本気で「神様」を信じているんだから。

 ノーベル経済学賞受賞のジョセフ・スティーグリッツ氏(米コロンビア大学教授)は先ごろ米国議会で証言。「金融危機を招いた最大の原因は、とにかくFRBがなんにもしないで金融市場を放任し続けたことが大きい。今後は、もっと監視を強化せねばならない」と述べたらしい。町田氏の共和党と民主党との対立の図式の中でこの証言を聞くと、じつに飲み込みやすい。

● 先日、汐留にある「松下電工汐留ミュージアム」へ、茶道家の千宗屋氏と一緒に出かけ、建築家・村野藤吾の仕事の足跡を辿る展覧会を見た。会場にはセピア色なった設計図が何枚も掲示されていたが、何よりも驚いたのは、村野の細部への偏執的なこだわりであった。そのこだわりは随所に垣間見られるのだが、一番驚いたのは、ある建築物の壁にかけられる掛け時計の文字盤までが、「原寸大」で設計されていたことである。はっきりいって、目をむいた。そこまでやるの! 時計の針の形状、数字の大きさと書体、盤面の中央に描かれた動物をモチーフにした絵。これだけですさまじい労力である。しかし彼が設計しているのは建物全体である! そのために、いったいどれだけの時間が費やされたのかを考えると気が遠くなる。「神は細部に宿りたまう」と確かにいうけれど・・・・。

   村野は1891年、佐賀県唐津で生まれている。江戸時代の職人的集中力を感じざるを得ない。

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