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2008年12月30日 (火)

火にくべる

  今年もいよいよ押し迫り、あと一日を残すばかりとなった。

 今日は9時前に起床。朝食をすませてから、村の中央にあるお寺へ墓掃除に出かけた。菩提寺の名前は永福寺と称し、村の中央のすこし小高くなった場所に位置する。寺の入り口には、もっとも古い墓碑は1550年、室町時代のものであるという案内があるから、すでに460年ほどの歴史を持つことになる。この寺の横の小道を下に下りると正面に「藤原文具店」がある(というか、あった、と書くべきか。今はもう商いをしていないようにみえる)。この藤原文具店では中学・高校のころにノートや鉛筆を買ったものだが、実は藤原紀香さんのおじいさんの実家である。

  したがって、この永福寺は、紀香さんの菩提寺でもある。仕事でお会いしたときに、その話を紀香さんとしたことがあるが、そのときに「じゃあ、私たちは墓友ね」とにっこり微笑みながら言われて、なんだかうれしいような、不気味なような妙な気持ちになったことがあった。もっとも、紀香さんは陣内さんとご結婚されたから、もう永福寺は彼女の菩提寺ではなくなてしまったのだが・・・。

  このあたりは密教である真言宗がもっぱらで、しかも私の故郷では、今も土葬が行われている。亡くなると、シンプルな木の棺桶に納められ、みんなでその棺桶を担いで村を歩き、最後に寺に運び上げる。喪主は白い浴衣のような着物を着、荒縄を帯の代わりとし、頭に白い三角の紙をつける(例のお化けが頭につけているやつ)。墓穴は村人が交代で掘り、そこに棺桶ごと納め、上から土をかける。やってみると分かるが、「人を埋める」という行為はなかなか抵抗があって、最初に土をひとかけするのがためらわれる。親しい肉親に土をかけるのだからそれも当然だが、ふたかけめからはもう気にもならず、さっさと埋めていく。

  埋め終わると浜辺で人を埋めたときに小山ができるように、墓地に小山ができる。そこに鋭角に切られた竹をぶすぶすと一面に刺す。針山に針を刺す要領である。山から動物がやってきて遺体を穿り出して食べたりしないようにとの予防のためであろうと思う。

  数ヶ月がたつと、木の棺桶が腐って崩れ、小山が小さくなる。表面が平坦になる。そのころには、竹の代わりに石を並べ、表面を覆う。そんな墓が小山の一面にあり、別に墓標があるわけではないので、うっかりするとどこが自家の墓なのか分からなくなる。人ひとりを横にして埋めることのできるほどのスペースであるが、当然のごとく墓場のスペースは有限であるため、ひとつの家族が占有できるスペースは2箇所ほどである。つまり、同じ墓穴に時間差で同じ家族の者が何人も埋められることになる。

  20年ほど前に祖母が亡くなった。30年ほど前に亡くなった祖父と同じ墓所に埋めることになり、村人が墓穴を掘った。すでに30年が経つのに、祖父はタキシードを着た白骨となって現れた。棺桶に納めたときに化繊の布団にくるんで入れたので、まったく腐ることのない布団にきれいに守られて出てきてしまったわけである。祖父の骨をかき集め、祖母を埋めた上にその骨をかけて埋めなおしたという。

  そんなわけであるからして、墓掃除といっても、普通人々が想像するようなクリーンなものではない。小山の斜面に2箇所、石が並べられた墓があるのだがそこには枯葉が降り積もって汚いことになっている。この枯葉を一枚一枚手で除かねばならないのである。石と石の間に埋まった枯葉は石を取り除いてから拾い、また石をもとの場所に戻さねばならない。そんな作業を延々と続け、それが済んだら花を生け、線香を供え、それが済むと、お次は、ごく普通の墓地のように墓石が並んだ墓所の掃除に移る。寒いし、手は冷たいし、なかなか終わらないし、なかなかに辛い。なかなか辛いが、村人は皆、一年の終わりには先祖が眠る墓所をきれいに清め、そうして新たな年を迎えることになっている。

  墓掃除を済ませると、昨日の続き。畑で祖父母の遺品を燃やす作業に没頭する。風が強くて、火の粉が飛ばないように気を遣う。何時間も炎を見つめていると、人はいろんなことを考える。

  サツマイモを投げ込んで焼き芋を作ったらうまいのではないか。焼き芋というのは日本古来の食べ方のように思いがちだが、たぶんこれは太平洋の南の島でタロイモかなんかを同じようにして焼いて食べていた、その流れをくんでいるのではないか。そういえば焼き鳥もそのルーツをたどれば、シルクロードを通って遠くトルコやギリシャに行き着くに違いない、などと妄想は膨らむ。

  何時間も物を燃やし続けていると、周りの土の様子が変わってくる。それを見て、人が陶器を発明したのも、こんな経験が積み重なってのことに違いないと思う。比較的低温で、たまたま適した土がそばにあったときに、その焚き火のそばで素焼きの器のようなものができたに違いない、などと・・・・。

  祖父は漢学者だったので、沢山のノートが残されていて、そこに几帳面な文字でなにやら細かく記されている。丁寧に読めば何らかの知見を得ることになるのかもしれないが、残念ながら私にはそうしている時間もそれを読み解く知識もない。このまま保存しておいても、結局、だれも目を通すことはないだろう。そんなものを大事に保存しておいても仕方ない、燃やしてしまおう。そう自分に言い聞かせて、多数のノートや手紙や書や写真を火にくべる。なんだかとてもばちあたりなことをしているような気がする。祖母が大事に大事にとっておいた彼女の人生の伴侶の思い出を次々に炎の中に投込みながら、人の生の空しさを肌身にしみて感じてしまっている自分がいる。

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コメント

もうすぐ今年も暮れますが、来年もどうぞよろしくお願いいたします。

うちも真言宗です。
煩悩肯定というあり得ない仏教ですが
十善戒は、大切にしたいと思っております。

投稿: okite | 2008年12月30日 (火) 23時04分

「破戒」な男でございますが、来年もよろしくお願いいたします。

投稿: okiteさま 路傍より | 2008年12月31日 (水) 21時15分

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