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2008年12月29日 (月)

眉毛を焦がしながら

  今日は朝8時半に起床。昨夜は、さすがに一人で700キロ運転した疲れが出たのか、9時ころには落睡。約11時間眠った計算になる。いつもは5、6時間睡眠なのに、トイレにもいかずに11時間はすごい。自分を褒めてあげたい。よくぞ、お漏らしをしなかったね、と。
  妹が作ってくれた朝ごはんを食べた後は、鍬と鋤を持って畑へ。半径1メートルほどの浅い穴を堀る。なんのためにかというと、物を燃やすためである。
  「離れ」は築60年ほどで、すでに廃屋状態。もうつぶして新たに小さな平屋を建てるしかあるまい、ということになって目下、屋内に蔵された、いるのかいらないのか分からない、ほとんどゴミといっていいようなもろもろを整理している最中なのである。で、いらないものは畑でがんがん燃やす。都会だとこうはいかないが、なにしろ和歌山の山の中であるからして、派手に燃やしても誰にも迷惑はかけない。
  廃屋の中は、ほとんど、ワイドショーに出てくる「ごみ山おばあさん」の家の中のようである。どうしてここまでほっぱらかしにしていたのか。なぜ、明らかにいらないように思える品物を始末しなかったのか、皆目分からない。わが母上の気性がそうさせるのだろう。とにかく掃除や整理が苦手、というか、その手のカテゴリーに類する作業については、とにかく我関せずなのである。
  思えば、私が物心ついたころからそうなのだから、小さいころからほこりだらけの中で生活していたことになる。たとえば、コタツだが、脚が一本折れて3本脚になったことがある。普通のお母さんならば電気屋へ持っていって直すだろうが、わが母上は違う。みかん箱を適当にかまして、それでよしとするのである。もちろん、1ヶ月でも2ヶ月でもこたつの中を掃除するということはない。
  あるいは掛け布団。普通は布団カバーに入れて、汚れたらカバーをはずして洗濯するのだが、わが母上は違う。あごの当たる部分に、どこかでもらった安いタオルを縫い付けて、それでよしとする。一度縫い付けるわけだから、そうそう頻繁に取り替えるわけにもいかず、タオルが真っ黒になるまでそのままである。社会人になるまで、それはそういうものだと思っていた。しかし、何かの機会に、世間はどうも違うらしいということを悟って、子供のころはずいぶんとひどい生活を送っていたものだと、驚いたことがある。
  そんなわけだから、冷蔵庫や押入れは恐ろしいことになっている。その恐ろしい離れの中に妹は土足で上がりこみ、不要と思われるものを段ボールにばかすか詰め込み、私がそれを受け取って、畑でばかすか燃やすという段取りなのである。
  立ち上る炎の中に次々と不要物を投げ込んでいたが、ときどき思いがけないものが出てきて投げ込むのをためらう。妹を出産するときの母上の日記や、新婚まもないころの、私を出産する際の母親の「自由日記」帳、ずぼらなわりになぜかこれだけは几帳面にためこんでいた昭和30年代からの家計簿、そしておどろくべきことに私が小学1年生のときに書いた絵日記や、小学2年生のときに入院した際にいろいろと書き込んでいたノートなどが出てくるのである。これらはさすがに炎の中に投入するのがためらわれ、キープしておく。
  しかし、キープいておいてどうするのか、と自問自答する。自分が死ねば、だれもこんなものをほしがりはしないだろう。そんなものを保存しておいてどうするのか、と。しかし、すぐに思い直す。自分が死ねば、自分ではない誰かが、何かの機会に、同じように炎の中に投げ込んでくれるだろうと。それまでは、とっておけばいいのではないかと。
  結局、人が死ぬということは、その肉体が焼失させられるだけではなく、その人が大事にとっておいたノートや思い出の品もともに焼かれるということなのである。そして、その人を知る人、その人のことを記憶にとどめる人たちが順番にこの世から退出していって、次第にその人の記憶もこの世から消えうせ、最後にはその人が本当にこの世に存在したのかどうかさえ分からなくなる。はかないとえばこれほどはかないこともない。
  などということを、大きな炎を見つめながら、ときに眉毛を焦がしそうになりながら、ぼんやりと考える、2008年の師走なのであった。

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