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2009年1月 1日 (木)

2009年元旦

  元旦は朝から北西の風が強く吹き、ときに氷雨、あられが舞う、ろくでもない天気になった。ここ数日来、眉毛を焦しながら一生懸命続けていた畑での「不用品償却作業」もしばし中止して、コタツでのデスクワークにとりかかる。

  が、寒い。ぼろ日本家屋は隙間だらけで、北風がすーすー通り抜けていく。暖房は足元のコタツのみ。はーと息を吐くと、白く見えるほどに冷え込んでいる。和歌山というと南国のイメージを持つ人々が多いが、それは海沿いの地域の話であって、ひとたび山奥に入ると、山陰に遮られて、日の出は遅く、日の入りは早い。日照時間が極端に短いため、南国とは思えない底冷えに見舞われる。

  山裾にあるに中学校に通っていたころは、真冬でも教室には暖房もなく、寒暖計を見ると、しばしば氷点下を指し示していた。こうなると手がかじかんで鉛筆を持てなくなる。いくらはーっと息を吐きかけて暖めても温まるものではない。休み時間には給食を作る部屋から出ている煙突に手を当てて必死になって温めたものだった。

  居間の窓から北方を眺めると真妻山が見える。頂上では、雪が吹雪いているのが見える。寒いわけである。

  時々雨が小止みになるのを待って、少しだけ焚き火をする。何しろこの冬休み中に燃やし尽くさねばならないので、のんびりもしていられないのである。祖父は学者であり、教育者でもあったので、恐るべき分量の原稿を書き残している。何十冊ものノートや膨大な量の原稿用紙が突然現れる。それを次から次へと炎の中にぶち込むのだが、時々は気になって読んでしまう。読み始めると、つい面白くて、あられに打たれながら、焚き火のそばに立ち尽くしながらページを繰り続けることになる。

  このブログでもいつか記したことがあるが、安岡正篤氏という思想家がかつており、戦後の首相のご意見番として隠然たる力を揮ったという趣旨の話だったと思うが、その安岡氏とも交誼があったらしく、手紙が残っている。こんなの燃やしていいのかな、と思いつつもやっぱりとっておいても仕方ない、二人ともすでにこの世にはいないのだから、と自分に言い聞かせつつ、書簡を火にくべる。

  明日のブログででも、祖父がどのような原稿を書いていたか、書き写してみよう。もし、この時代に彼が生きていたなら、原稿を書くのがむやみに好きな人だから、きっとブログを活用していたに違いない。燃やしてしまうと、永遠にこの世から消え去ってしまう文章も、ネット世界に残しておけば、おそらく半永久的に地球のどこかに残り続けるのではないか、という淡い期待が心のどこかにあるからでもある。子孫としての、ある種の供養でもある。

  このブログを読みに来てくださっている極少数の皆様にむけて。皆様にとっても、今年が良い年になりますように、心よりお祈り申し上げます。

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