« 九州のセンス | トップページ | 埴谷雄高さんて、どんな人でしたか? »

2009年3月 7日 (土)

有明がんセンターに行く

 

   先日、雨のそぼ降る中、有明のがんセンターに行ってきた。豊洲からゆりかもめに乗って広大な埋立地を見晴らしながら進む。がんセンターというのは俗称で、正確には癌研究会有明病院というらしい。おどろおどろしい名前だなあ。

   1月25日に書いたように、この20年ほど髪を刈ってくれていた床屋のおやじが肺がんになり、がんセンターに入院しているのでその見舞いにでかけたのだ。手に見舞いの品の「ビリケンの貯金箱」を持って。

   なぜビリケンなのかは1月25日の「ビリケン」をお読みいただければ、分る。何としても、ビリケン人形を届けないではいられなかったのだ。たまたま知人にビリケン人形を製作している人がいたので、事情を話して送ってもらったのである。

   ビリケンの頭のところにスリットが入っていてコインをちゃりんと入れられるようになった貯金箱なのだが、なにも病床で貯金をしなさいよ、という意味ではない。ビリケンの足の裏をなでて、幸福を呼び込んでほしかったのだ。ビリケンは「福の神」なのだ。

  病院はまだ新しく広々として清潔だった。パジャマを着た入院患者が歩き回っている。若い人も老人も、男も女もいる。よく見るとみんなおそろいの縦縞のパジャマを着ている。まあ、横縞だと強制収容所みたいになっちゃうから縦縞なんだろう。 がんセンターに入院する患者というのは悲歎にくれた暗い顔をしているに違いないと思っていたが、全然そんなことはなく、みんな淡々と動き回っている。

   病室に行こうとエレベータに乗り込むと、二人の女性の入院患者が一緒に乗り込んできた。老人の女性が若い女性に目で挨拶し、にっこり笑う。若い女性もそれを受けてひとことふたこと言葉を交わし、またにっこり笑う。エレベータは静かに上昇し、穏やかな日常の時間が流れている。

  床屋のおやじは治療中で病室にいなかった。看護師さんが待合室で待ってればすぐに戻ってくるので待っていてください、というので待つことにする。テレビが置かれ、何冊もの本が本棚に収まっている。この本の持ち主だった人たちは今どうしているんだろうか、という思いが頭をかすめる。大きな自動販売機が備えられていてかすかにモータの音がしている。 大きな窓の向こうには広大な埋立地が広がる。細かな雨が降り続け、世界は渺茫としている。

   しばらくすると、おやじがなんだかモニターみたいなものをガラガラ転がしながら帰ってきた。目が合うと、オッという顔をして笑う。元気そうである。

「いやいや、悪いね、こんなとこまで来てもらって」と言いながらおやじは隣の椅子に座って、タリーズの野菜ジュースを飲み始める。

「もうずっと放射線治療。見てよこれ」と、治療計画表みたいなものを見せてくれる。毎日放射線を照射し、その治療が終るとその日のところにチェックが入る。もう2週間ほどのチェックが入っている。

「なんだ、こりゃ、夏休みのラジオ体操の出席表みたいだな」と軽口を叩いてみせる。

「このまえCT撮ったら、肺のがん、6センチだって。これを放射線ですこし小さくして、それから手術。小さくなる可能性は40パーセントくらいなんだって。でも、胃の上のほうにもがんがあるらしくて、肺の前に胃をほとんど取らなくちゃいけないなんだよ、まいっちゃうね」   おやじはそんな話をにこやかに話す。

「病室の隣の奴が咽頭がんとかでこの前手術して戻ってきたら、あごのとこまで切られちゃって、舌も半分になっちゃってね。そいつが一生懸命話かけてくるんだけど、何しろ舌が短くなっちゃってるから何言ってるかわかんない。最近やっと少しづづ分るようになったけど。こいつが喋ると唾やらなんやらが一杯飛んできたねえんだ。おい、唾飛ばすなっていうんだけど、全然治らないね。そいつがもうすぐ退院するんだけど、退院したら新橋の飲み屋に行って一杯やるんだとさ。嬉しそうな顔してそう言いやがんだよ」  

 ビリケンを渡すと、顔がほころんだ。「お、いいねえ。足の裏をなでればいいんだろ。よし、ベッドの脇に置いとこう」   

   じゃ、そろそろ、帰るわ、というと、おやじは見舞いに貰ったマンゴをひとつくれた。また来るからね、というとおやじは笑って手を振った。  

 病院の外に出て、細かな雨を頭に浴びながら駅まで歩いた。人はなんの前触れもなく、不運に見舞われる。誰を恨むことも、誰かのせいにすることもできない。ただ、突然、不運はコンコンとドアをノックしてやってくる。 そんな不運の突然の訪問をいったいどのように受け止めるのかで、その人の人柄が分るなあ、と考えながらゆりかもめに乗り込んだ。

|

« 九州のセンス | トップページ | 埴谷雄高さんて、どんな人でしたか? »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 有明がんセンターに行く:

« 九州のセンス | トップページ | 埴谷雄高さんて、どんな人でしたか? »