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2009年4月15日 (水)

写真を撮るように本を読むということ

  
    ラジオの読書の番組で、ナビゲーターの児玉清さんが、リスナーからの「どうすれば本を早く読むことができるようになりますか?」という質問に答えて、いつものように、あー、それはですねえ、という紳士的な口調でこんな風に語っていたのを聞いて驚いた。

「それはですねえ、カメラで写真を撮るように読めばいいんですよ。見開いた2ページをぱっと頭の中に入れちゃう。そうすると、大体分かりますよ。新聞なんかもぱっと見て情報を頭の中にいれるでしょ。それと同じです」

  それを聞いて、ははあ、児玉さんもレインマンなんだ、と思った。レインマンというのは1988年に公開された映画のタイトルで、サヴァン症候群の人物を主人公にした物語。ダスティン・ホフマンが主人公を演じていた。

    いや、もちろん、児玉さんがサヴァン症候群に罹患しているといいたいわけではない。そうではなくて、とても特異な能力を備えている人なんだなあということが分かったということなのである。その証拠に、児玉さんは誰でも「カメラで写真を撮るように読む」ことができるものだと思っている。しかし、そんなことができるわけないじゃないの、というのが私を含めて、ごくごく普通の人の反応なのではなかろうか。

    その前に「サヴァン症候群」説明しておかなくてはいけない。ウィキペディアの解説によると、<知的障害や自閉性障害のある者のうち、ごく特定の分野に限って、常人には及びもつかない能力を発揮する者の症状を指す。「savant」は、フランス語で「賢人」の意味である。>

    あわてて断っておくと、当然ながら児玉さんが知的障害者であるといっているわけではない。むしろ、「常人には及びもつかない能力」をお持ちだと言いたいのである。サヴァン症候群の人びとが備えている超人的能力というのは、これまたウィキペディアを引用すると、

<●特定の日の曜日を言える(カレンダー計算)。ただし通常の計算は、1桁の足し算でも出来ない場合がある。
●航空写真を少し見ただけで、細部にわたるまで描き起すことができる。映像記憶。
●楽譜は全く読めないが、1度聞いただけの曲を、最後まで間違えずにピアノで弾くことができる。
●書籍や電話帳、円周率などを暗唱できる。内容の理解を伴わないまま暗唱できる例もある。
●芸術性の非常に高い作品(絵画、彫刻など)を作ることができる[1]。
●並外れた暗算をすることができる。 >
  
    この中の「映像記憶」というのが、児玉さんの言う「写真を撮るように本を読む」という能力のことで、実は、この能力を備えている、あるいはどうも備えているように思えるという人が、確かにときどきいるのである。
  
    その一人が内田樹氏で、氏は、たぶん養老孟司氏との対談本でだったと思うが(読み終わった本は捨てるか古本屋に売るので、今手元になくて確認できなくて申し訳ないのだが)、「自分は中学くらいまでは、教科書は見開きごと、映像で頭の中に入っていた」と語っている。「だから、試験のときも、その映像を呼び戻せば、たちどころに回答が分かった。しかし、その能力も高校に入ると消えてしまった」と喋っている。氏の博覧強記の秘密はその辺にあるのかもしれない。

    もうひとり、そうではないかと思われるのが、佐藤優氏。氏の、学生時代のことを書いた本を読むと(これまた売り飛ばしてしまって書名を挙げられないが)、京都の中華料理屋に仲間と入って食事をする場面が出てくるのだが、その時に回想的に列挙されるメニューが実にリアルなのである。
  
    おそらく、佐藤氏はそのシーンを書いているときには、その場面が頭の中にはっきりと映像として甦っているに違いない。しかもディテールまで克明に・・・・。なにも、食事のメニューだけではない。氏の回想的部分の文章の詳細さは、全く尋常なものではないのである。
  
    もうひとり、これは自分で目撃したのではっきりと尋常なことではないと断言できるのが立花隆氏の読書法。私は学生時代にアルバイトで、立花氏の「日本共産党研究」の資料整理を手伝ったことがある。その時、締め切りの夜になると、氏は執筆前に7,8冊の資料本を読まなくてはならなくなる。すべて神田で入手してきた共産党関連の古本だが、これを黙々と読む。
  
    いや、それは読む、というようなものではない。むしろ「ページをめくり続ける」と形容したほうが適切かもしれない。見開きを数秒間にらみつけて、またページを繰る。そんなふうにして、ぱらりぱらりと本を読んでいく。高さ30センチほどの本も当然ながら、一晩で読了することになる。
  
    初めてその行為を目撃したとき、「そんな馬鹿な、眺めているだけで中身が頭に入るのものだろうか?」とはなはだしくいぶかしんだものだった。しかし、本の内容はしっかりと、氏の頭の中に入っているのだった。それもヴィジュアルとして記憶されているのだった。驚いたのは、原稿を書いている最中に、立花氏が、これこれの本の大体この辺の右ページの最初の方にこういうことが書いてあるからそのページを開いてくれ、と我々に注文してきたことだった。ページを繰るとその通りのページが確かに現れた。
  
    そんなことが一度ならずあった。
  
    世の中には、つくづく、もの凄い人がいるものだとその時に思った。それ以来、その手の方々は私の中では「レインマン」とカテゴライズされ、私の人物帳にはそのように登録されている。児玉清さんも今日からその仲間入りである。

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