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2009年6月

2009年6月28日 (日)

映画「剱岳 点の記」と「キャデラック・レコード」

   
    6月17日、有楽町の朝日ホールで映画の試写会があった。映画のタイトルは「剱岳 点の記」。監督はかの有名な映画撮影カメラマン、木村大作氏である。長年、著名な監督と組んでフィルムを回してきた木村氏が、満を持して取り組む大作である。原作は新田次郎。

  試写会にはなんと、浩宮皇太子殿下もご臨席。開幕直前に数人のSPに伴われて来場。ど真ん中にお座りなったと思ったら、すぐに映画が始まった。

  さて、その出来具合は? 申し訳ないが、前人未到の退屈さ、であった。あるいは、壮大なる駄作というべきか。こんな物を、わざわざ皇太子殿下をお呼びして、お見せしてよろしいものなのであろうか。殿下は確かに山好きだそうだが、だからといって・・・・。

  このブログを始めるに当たって、悪口は書くまい。何がダメ、これがダメ、こいつが馬鹿、などということは決して書くまいと心に誓っていた。そんな否定的なことを書くぐらいならば、もっと肯定的なこと書くべきだと思っていたからである

  その割には悪口が多いのではないか、と思われる方は、私の日常的悪口の嵐を知らないからそんなことが言えるのであって、じつはこれでも随分抑えているのである。

  まあ、そんなことはどうでもいいか。今回は例外。書かずにいられないのだ。どこがどう駄作なのか。簡単に言えばドラマがないのである。ドラマが効果的に描かれていないのである。これはひとえに監督の責に帰すべき問題だと思う。剱岳をはじめとする山々は、四季の風景の中で、美しく捉えられている。貴重な映像、印象的なシーンはいくつもある。が、肝心のドラマがないためにちっとも心にひっかかってこないのである。

  そんな中でも、香川照之の演技は光っているが、役者が一人輝いているだけではどうしようもない。それにしても、木村大作は長年にわたって有名監督のもとで映画製作に関わってきたはずなのに、いったい、そこから何を学んで来たのか、と思わざるを得ない。

  数日後、アメリカ映画「キャデラック・レコード」を観た。傑作である。登場人物の一人ひとりが際立っている。そうなのだ、映画は人間が描かれていないとダメなのだ。喜び、苦しみ、怒り悲しむ人間の姿がくっきりと描かれていないと、映画は映画として成立しないのだと、つくづく思い知らされた。

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2009年6月17日 (水)

CHANELと「津軽」、そして「マレー戦記」

● 15日、銀座で、ミッキー・ローク主演の映画「レスラー」を観る。生理的にも痛い映画である。喝目すべきは、ストリッパー役のマリサ・トメイ。四十数歳の、悲しみが滲む肉体を惜しげもなく晒し、かつ情感溢れる演技を見せる。彼女に匹敵する日本の女優を挙げることができない。アメリカの役者の層の厚さを思う。

● 16日、代々木体育館でCHANELの秋・冬物のショーを見る。さすがに世界のトップブランドだけあって、ファッション関係のジャーナリストの主だったところが勢ぞろいする。逆だな。ここに勢ぞろいした方々が、日本のファッション・ジャーナリストの代表格である、というべきか。10年以上この手のイベントに出席していると、たまに会う皆さんが、少しずつ年老いていることが分かる。なんだか、すこし悲しい。とともに、ブランド・ビジネスの底が抜けてしまった現在、今後どのようなビジネス・モデルを彼らは描こうとしているのか、と複雑な思いでショーを眺める。服そのものはあいも変わらず、シャネルである。

● 17日朝9時。三鷹の太宰治文学サロンで元NHKアナウンサーだった山根基世さんの朗読を聴く。朗読したのは太宰の「津軽」。プロの朗読というのはこういうものか、と驚かされる。マイクを通さない、山根さんの語りを聞いていると、朗読で重要なのは「間合い」「呼吸」なのだな、と分かる。面白いのは、朗読しながら体がゆらゆらと揺れること。ピアニストやバイオリニストが演奏中に身悶えするように、体が動く。なのに「力み」はどこにもない。

● 最近はまっている戦記物を読み次いでいる。読了したのは河出書房から昭和42年に刊行された「マレー戦車隊」(島田豊作・著)。現在のマレーシアにあたる「マレー」の北部に上陸、シンガポールに向けてイギリス軍、インド軍らと死闘を続けながら捨て身で南進する島田戦車隊の戦いぶりがヴィヴィッドに描かれている。アジアン・リゾートと呼ばれてお気楽なリゾート地として紹介されるアジアの各地で、筆舌に尽くしがたい日本軍の血みどろの戦いが繰り広げられていたことを知ると、なかなか心安らかにリラックスできるものではいな、と思う。

● 続けて、昭和17年、朝日新聞社より刊行された「マレー戦記」(酒井寅吉・著)を読む。酒井氏は朝日新聞記者。従軍記者である。戦中の刊行であるため、国民の戦意を萎縮させるような話は全くない。その手の話は全くないものの、同僚の従軍記者の戦死場面などが描かれると、その場から逃げ出したくなるような、厭戦気分がにじみ出ている。興味深かったのは、日本軍兵士の中にあった、英軍の決死の斬り込み隊に対する崇敬の念。死を覚悟して攻め込んでくるは白人兵たちを全滅させた後に、「実に騎士道魂とでも呼ぶべきものがある」と丁寧に弔ってやるシーンには感動する。

    日本兵の玉砕覚悟の攻撃について。読んでいると、玉砕攻撃の背後には「生きてこのまま過酷な死闘を続けるよりも、いっそ死んだほうが楽でいいや」というようなカジュアルな感覚が兵士の間に醸成されていたことが分かる。なるほど、そういう感覚だったのか、と納得する。

  もうひとつ。兵士の背嚢などにマスコットなどがぶら下げられていたという事実。まるで、携帯ストラップみたいだなと思う。ノラクロなんかがぶら下がっていたのだろうか?

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2009年6月16日 (火)

内田樹の再婚と、映画「レスラー」

  またしても、アクセス数が急増している。いつもは20程度なのが、昨日6月15日には、なんと100を越えた。理由ははっきりしている。ほとんどの来訪者が「内田るん」あるいは「内田樹 披露宴」の検索ワードでひっかかって、「るんちゃん『論座』に載る」のエントリーにお越しになっている。

  
    なぜ突然、そんなことになったのか? これも理由ははっきりしている。6月13日に内田樹氏が教え子と再婚したからである。神戸女学院大学の中にあるチャペルで式を挙げたと、ご本人がご自身のブログで開陳されているから間違いのないことだろうと思う。

  この再婚話を聞いて、すこしがっかりした。いや、人様の慶事を知って落胆したというのは、いささか礼を失した話なのだが、実は私は、内田樹という、この偏屈で弁が立ち、森羅万象一切合切を論じずには止まぬ、という気配を漂わせるめんどくさいオヤジが、ひとり孤独にどのように老いていくかに、大いに興味があったからなのである。

  89年に一人娘を引き取って離婚した話は、これもご本人のブログで知った。氏の文章を読むにつけ、こりゃ、一緒に住むのは並大抵の努力ではかなわんな、と思わせるアクの強さを私は感じ取っていた。悪い人ではない。悪い人ではないが、一緒に生活するにはタイトだぞ、と。だからいずれ、一人娘はどこかに嫁ぎ、ご自身はふさわしい配偶者を得ることもなく、偏屈なジジイとして、老いさらばえていくに違いない。

  おしゃべりな老学徒の無残な晩節をこの目でしかと見届けてやろうと、楽しみにしていたのである。

  しかるに何事であるか! 教え子と再婚! そりゃないだろ、セニョール! とケーシー高峰みたいな口ぶりで憤慨するしかないではないの。しかも相手は、神戸女学院大学の卒業生ですぜ! 東海林さだおの漫画なら、ショージ君が机をこぶしでどんどん叩いているはずである。

  しかもですよ、内田氏は結婚についてこんなことを書いている。

<結婚がオススメなのは、それが「不幸」な経験、「受難」の日々を約束してくれるからである。結婚とはごくたまに愉しいこともあるが、総じて「エンドレスの不快」によって構成されている。(略)
 結婚とはひとことで言えば、「他者と共生すること」である。一緒に暮らすその他者と、あなたは気持ちが通じないこともあるし、ことばが通じないこともあるし、相手のふるまいのひとつひとつが癇に障ることだってある。そしてこう思う。「この人が何を考えているのか、私には分からないし、この人も私が何を考えているのか、分かっていない」 
  それでオッケーなのである。(略)
  結婚とは「この人が何を考えているのか、私には分からないし、この人も私が何を考えているのか、分かっていない。でも、私はこの人にことばを贈り、この人のことばを聴き、この人の身体に触れ、この人に触れられることができる」という逆説的事況を生き抜くことである。
  自分を理解してくれる人間や共感できる人間と愉しく暮らすことを求めるなら、結婚をする必要はない。結婚はそのようなことのための制度ではない。そうではなくて、理解も共感もできなくても、なお人間は他者と共生できるということを教えるための制度なのである。>(内田樹著「街場の現代思想」文春文庫 P157-162)

  この文章も、卒業生の彼女に向けて、この偏屈ジジイが書いていたかと思うと、引用しながらも腹が立つ! しかも、一ひねりしたラブメッセージなんじゃないかと思うと、余計に腹が立つ。

  と、人さまの孤独な老後を観察する楽しみを奪われた腹いせに色々と書き散らしたが、ここからが本論である。

  季節に春夏秋冬があるように、人の人生にも春があり、夏があり、秋が訪れ、その後に冬が来る。誰もその転変を止めることはできないし、避けて通ることもできない。ミッキー・ローク主演の話題の映画「レスラー」を観て思ったのは、まずそういうことだった。

  事情は、プロレスラーも同様である。盛夏の筋力や体力は年とともに衰える。いくらホルモン剤や筋肉増強剤や鎮痛剤を服用しても、痛めた関節をいくらテーピングしても、ある朝、秋霜は訪れる。突然の異変に驚愕させられるけれど、その霜柱は、これから訪れる厳冬の前触れにすぎないのだ。

  はじける筋肉や疲れを知らない体力が横溢していた真夏の記憶があるレスラーにとって、忍び寄る老いは素直に甘受できるものではない。しばしの狼狽の後、徐々にそのことに慣れていくしかないことがらなのだ。しかも、身の回りを見渡せば、頼るべき何者もいないことに気づき、日々の生活は暗転する。妻は早々と傍を去り、一人娘は、レスラーとして戦いの日々に埋没しているうちに放擲してしまっている。

  いまさら娘にすがったところで、顧みられるわけがない。どの面下げて、のこのこやってきたのかと蔑まれるのが関の山だ。老いて傷んだ寂寥の身の上を、心優しいストリッパーに預けてみても、相手には相手の寂寥と、負うべき重荷がある。とても他人の重荷まで背負うほどの雅量も愛もないことは、馬鹿にでも分かる。しかし、分かっていても、すがりつくしかない孤独がわが身を覆いつくす。

  そうなったプロレスラーはどうすればいいか?

   死ぬしかないのである。汗がほとばしり、筋肉が悲鳴を上げるあの夏の日の記憶の中で、爆発しそうな心臓を抱かえながらロープ最上段から身を投げるしかないのである。「スラムダンク」の桜木花道がそうであったように、人生の盛夏の記憶の中で、自らの人生の幕を引くしか手はないのだ。「老い疲れた自分にとって、世間はリングの上より辛かった」と一人ごちながら・・・。

 だがしかし、知性のプロレスラー、内田樹はそうはしなかった。これも、知性のなせる業なのだろうと思う。知性の力も、記憶力も、想像力も、体力も気力も衰えた晩年の自分のために、再婚という、実に羨ましいアジールを自らの力で用意したのである。まあ、おめでとうございます、と言うしかないが、最後っ屁をひとつ。

  会ったことも話したこともない、その新妻に一言。あのね、この偏屈ジジイと同じ一つの屋根の下に暮らすのは楽じゃないと思うよ。いや、まあ、確かに余計なことですけど・・・。

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2009年6月15日 (月)

母の口笛

    週末を利用して帰省。「離れ」の建て替えも完了したので、その様子を見がてらの帰省となった。でも一番の目的は、改築時に同時に作った花壇に花や木を植えること。

  造園の知識などなにもないので、本で色々と調べて、「香りがいいこと」「役に立つこと」の2点に絞って品種を選ぶことにした。

  結局植えたのは、オリーブ3本、ブルーベリー2本、ライラック、山椒、ラベンダー、ローズマリー、バジル、オレガノ。果たしていったい何本がこの南紀の地に根付くのか。オリーブなんかはぴったりだと思うんだけど。

  朝、新しいベッドで目覚めると、窓の外でいろいろな鳥がさえずっている。東京で生活しているときには、そんなことに全く気がつかなかったのだが、その鳥同士がコミュニケーションを取り合っていることに初めて気付いた。

  ピピピと一匹が鳴くと、それに呼応するようにピーピッピと別の一匹が鳴く。それがあちらこちらで繰り返される。ああ、こいつらは会話を楽しんでいるんだと分る。

  81歳の母は、夕方、ひとりゆっくりと、川端を散歩する。するとそれを待ちかねたように、うぐいすがやってきて、ホーホケキョと鳴くんだそうである。それに応えて口笛でホーホケキョと応えると、また相手も鳴き出す。

  そんな具合で、母は、朝な夕なに、口笛で鳥たちに語りかけている。一人住まいの寂寥と無聊に迫られてのことなのか、そのへんはよく分らないが、今朝もまた、母の口笛が田園に響く。

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2009年6月 8日 (月)

みなさん、ありがと。1万だ!

    ただ今、2009年6月8日、午後7時15分。
  なんと、総アクセス数が10000を記録。嬉しい!
  でも、今は何かを書く気力がないから、これだけ。
  みなさん、ありがとうございました。

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2009年6月 4日 (木)

シギラベイサイドスイート アラマンダの休日

  
    08年の1月からコツコツ書いてきたこのブログも、もうすぐ総アクセス数が1万になる。よくぞ、続いたなあ、と思うと同時に、どこの馬の骨だか分からないおっさんの世迷言をよくも1万回も読んでくれる人がいたもんだ、と驚く。

  前回、羽田空港の不便さについて、カーッとして書いたので、肝心のことを書くのを忘れた。何をしに宮古島まで行ったのか、について書きそこなったので、補足を。

  南西楽園の宮古島シギラリゾート「シギラベイサイドスイート アラマンダ」というホテルが4月25日にオープン。そのお披露目にご招待されての宮古島行きだったのである。このリゾートホテルは全室にプライベートプールが完備。BRAVATのシンプルな浴槽につかり、ガラス張りの浴室の外を眺めると、すぐそこにプライベートプールが青い水面をきらめかせている。

  プールではあるけれど、なにしろプライベートであるから、浴室からそのままフリチンでプールに入るもよし。プールの向こうにはゴルフ場、そしてその向こうには紺碧の太平洋が広がる。浴室にはシェードがあって、外からの視界を遮蔽することができるけれど、こちとら、別に見られて困るようなものは持ち合わせていないので、堂々と開陳。

  朝早く起床、シギラベイカントリークラブで18ホールをスルーでラウンドし、昼食を食べて、生ビールを2杯いただく。そののち、ふらふらしながら部屋に戻って、バスタブに身を沈める。1時間ほどぬるま湯の中でうつらうつらしたのち、アメニティとして用意されたロクシタンのボディクリームを体中に塗りたくり、そのまま素っ裸でベッドへ。滑らかなシーツの中へ、体を滑り込ませる。うーーー、極楽極楽。

  他の皆さんは、バスで宮古島を1周して観光スポットに行くらしいが、酔っ払った私は勝手にパス。寝るより楽はなかりけり、浮世の馬鹿が起きて働く、などと口ずさみつつ、熟睡。ハワイ島もそうだが、島にはなんだかとても体にいい「気」が横溢しているように思う。

  よく、重病の芸能人などが静養のためと称してハワイに出かけるが、それは本当にその通りなのではないだろうか。誰かにそう教えられたからそう思うのではなく、実際にその地で数日過ごすと、体にエネルギーがたまっていくような気がする。海を渡る風のせいなのか、あるいは海中から顔を出す島の磁場がそんな効果を生み出すのか、そこのところは分からないが、心身が整えられて元気になる気がする。

  この「シギラベイサイドスイート アラマンダ」にこもっていると、2年前の夏に出かけたモルディブのリゾートホテルのことを思い出した。その名はリーテラ、ワン&オンリー。もう、これ以上のリゾートホテルに泊まる経験は、私の人生には訪れないだろうという気にさせられたホテルである。

  毎日のルーティン化したモノトーンな人生の足取りとは対蹠的に、そこで過ごした1週間はカラフルな色彩で彩られて、記憶の中で屹立している。なぜ、急にリーテラのことを思い出したんだろうと考えたが、それは部屋の匂いだと分かった。木のフローリングの匂いなのか、麻のラグの匂いなのか、それとも南の島で作られた家具の匂いなのか、それは定かではないが、同じ匂いが漂っていたのだ。そういえば、部屋の作りもなんとなく似ている。

  リーテラの想い出で、生涯忘れえぬものは、漆黒の闇が島全体をすっぽり覆うような夜ふけ、2本の椰子の木にくくりつけたハンモックに寝そべって夜空を見上げたときの星空である。夜空の中に、キラキラと星が光っている、というようなものではない。大げさに言えば、満天にちりばめられた星と星の間を黒い夜空が埋めている、といった趣である。

  その時の星々には及ばないけれど、宮古島で見る星たちもなかなかに際立ったものだった。

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  読書メモ(最近読んだ本)

●「アンティキテラ 古代ギリシャのコンピュータ」(ジョー・マーチャント  文藝春秋)

1900年に、地中海の小島の海底から引き上げられたブロンズの塊。こびりついた緑青をはがすと、底からは沢山の歯車とギリシャ文字が現れた。それはまるで時計か計算機のように見えるが、そんなものが古代に製作できたのだろうか。数多くの科学者が次々に登場、その謎のブロンズの真相に迫ろうと悪戦苦闘する、その群像を描く。何よりも感服するのは、決して簡単ではない「歯車の仕組み」を映像ではなく、文章で説明しようとした筆者の執念。

●「ミッドウェー海戦」(牧島貞一 河出書房 昭和42年刊)

最近、戦記物にはまっている。名前は知っているけれど、その実際を良く知らない戦争の実際について、これを機にちょっと読んでおこうと思って手に取ったところ、はまってしまった。戦記物の筆者たちはみんな、生死の境を彷徨い、そののちついに生き残った強運の持ち主たちばかりである。当然といえば当然だが、生き残ったものだけが実録戦記を記すことができたのである。興味深いのは、この強運者たちの死生観はみんな共通して、面白いようにあっけらかんとしていることである。

●「新・作庭記」(丸山健二  文藝春秋)

和歌山の実家の庭に花壇でも作ろうと思って読み始めたが、全然「作庭記」ではない。作庭に仮託しつつ、身の回りの愚劣な人々やことどもに対する呪詛に満ち溢れた、まことに奇妙な本である。

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