内田樹の再婚と、映画「レスラー」
またしても、アクセス数が急増している。いつもは20程度なのが、昨日6月15日には、なんと100を越えた。理由ははっきりしている。ほとんどの来訪者が「内田るん」あるいは「内田樹 披露宴」の検索ワードでひっかかって、「るんちゃん『論座』に載る」のエントリーにお越しになっている。
なぜ突然、そんなことになったのか? これも理由ははっきりしている。6月13日に内田樹氏が教え子と再婚したからである。神戸女学院大学の中にあるチャペルで式を挙げたと、ご本人がご自身のブログで開陳されているから間違いのないことだろうと思う。
この再婚話を聞いて、すこしがっかりした。いや、人様の慶事を知って落胆したというのは、いささか礼を失した話なのだが、実は私は、内田樹という、この偏屈で弁が立ち、森羅万象一切合切を論じずには止まぬ、という気配を漂わせるめんどくさいオヤジが、ひとり孤独にどのように老いていくかに、大いに興味があったからなのである。
89年に一人娘を引き取って離婚した話は、これもご本人のブログで知った。氏の文章を読むにつけ、こりゃ、一緒に住むのは並大抵の努力ではかなわんな、と思わせるアクの強さを私は感じ取っていた。悪い人ではない。悪い人ではないが、一緒に生活するにはタイトだぞ、と。だからいずれ、一人娘はどこかに嫁ぎ、ご自身はふさわしい配偶者を得ることもなく、偏屈なジジイとして、老いさらばえていくに違いない。
おしゃべりな老学徒の無残な晩節をこの目でしかと見届けてやろうと、楽しみにしていたのである。
しかるに何事であるか! 教え子と再婚! そりゃないだろ、セニョール! とケーシー高峰みたいな口ぶりで憤慨するしかないではないの。しかも相手は、神戸女学院大学の卒業生ですぜ! 東海林さだおの漫画なら、ショージ君が机をこぶしでどんどん叩いているはずである。
しかもですよ、内田氏は結婚についてこんなことを書いている。
<結婚がオススメなのは、それが「不幸」な経験、「受難」の日々を約束してくれるからである。結婚とはごくたまに愉しいこともあるが、総じて「エンドレスの不快」によって構成されている。(略)
結婚とはひとことで言えば、「他者と共生すること」である。一緒に暮らすその他者と、あなたは気持ちが通じないこともあるし、ことばが通じないこともあるし、相手のふるまいのひとつひとつが癇に障ることだってある。そしてこう思う。「この人が何を考えているのか、私には分からないし、この人も私が何を考えているのか、分かっていない」
それでオッケーなのである。(略)
結婚とは「この人が何を考えているのか、私には分からないし、この人も私が何を考えているのか、分かっていない。でも、私はこの人にことばを贈り、この人のことばを聴き、この人の身体に触れ、この人に触れられることができる」という逆説的事況を生き抜くことである。
自分を理解してくれる人間や共感できる人間と愉しく暮らすことを求めるなら、結婚をする必要はない。結婚はそのようなことのための制度ではない。そうではなくて、理解も共感もできなくても、なお人間は他者と共生できるということを教えるための制度なのである。>(内田樹著「街場の現代思想」文春文庫 P157-162)
この文章も、卒業生の彼女に向けて、この偏屈ジジイが書いていたかと思うと、引用しながらも腹が立つ! しかも、一ひねりしたラブメッセージなんじゃないかと思うと、余計に腹が立つ。
と、人さまの孤独な老後を観察する楽しみを奪われた腹いせに色々と書き散らしたが、ここからが本論である。
季節に春夏秋冬があるように、人の人生にも春があり、夏があり、秋が訪れ、その後に冬が来る。誰もその転変を止めることはできないし、避けて通ることもできない。ミッキー・ローク主演の話題の映画「レスラー」を観て思ったのは、まずそういうことだった。
事情は、プロレスラーも同様である。盛夏の筋力や体力は年とともに衰える。いくらホルモン剤や筋肉増強剤や鎮痛剤を服用しても、痛めた関節をいくらテーピングしても、ある朝、秋霜は訪れる。突然の異変に驚愕させられるけれど、その霜柱は、これから訪れる厳冬の前触れにすぎないのだ。
はじける筋肉や疲れを知らない体力が横溢していた真夏の記憶があるレスラーにとって、忍び寄る老いは素直に甘受できるものではない。しばしの狼狽の後、徐々にそのことに慣れていくしかないことがらなのだ。しかも、身の回りを見渡せば、頼るべき何者もいないことに気づき、日々の生活は暗転する。妻は早々と傍を去り、一人娘は、レスラーとして戦いの日々に埋没しているうちに放擲してしまっている。
いまさら娘にすがったところで、顧みられるわけがない。どの面下げて、のこのこやってきたのかと蔑まれるのが関の山だ。老いて傷んだ寂寥の身の上を、心優しいストリッパーに預けてみても、相手には相手の寂寥と、負うべき重荷がある。とても他人の重荷まで背負うほどの雅量も愛もないことは、馬鹿にでも分かる。しかし、分かっていても、すがりつくしかない孤独がわが身を覆いつくす。
そうなったプロレスラーはどうすればいいか?
死ぬしかないのである。汗がほとばしり、筋肉が悲鳴を上げるあの夏の日の記憶の中で、爆発しそうな心臓を抱かえながらロープ最上段から身を投げるしかないのである。「スラムダンク」の桜木花道がそうであったように、人生の盛夏の記憶の中で、自らの人生の幕を引くしか手はないのだ。「老い疲れた自分にとって、世間はリングの上より辛かった」と一人ごちながら・・・。
だがしかし、知性のプロレスラー、内田樹はそうはしなかった。これも、知性のなせる業なのだろうと思う。知性の力も、記憶力も、想像力も、体力も気力も衰えた晩年の自分のために、再婚という、実に羨ましいアジールを自らの力で用意したのである。まあ、おめでとうございます、と言うしかないが、最後っ屁をひとつ。
会ったことも話したこともない、その新妻に一言。あのね、この偏屈ジジイと同じ一つの屋根の下に暮らすのは楽じゃないと思うよ。いや、まあ、確かに余計なことですけど・・・。
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コメント
また離婚でしょ(笑)。
投稿: りえ | 2009年7月21日 (火) 22時54分