« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月

2009年7月26日 (日)

アメリカ住宅の玄関ドアはなぜ内開きなのか

  あづいっ! とてつもなく暑い。脳みそが煮えそうになるほど暑い一日を、八王子の山の中で過す。朝の早くからゴルフである。なんとかいいスコアを出そうと集中していられたのはスタートするまでで、いざ始まると、なんでこんな暑い日にこんなところでこんなことしているんだろうと、後悔の念が生じ始める。しかも、金払ってこんなことしてるんだもんな、馬鹿なんじゃなかろうか、と・・・・。

  強烈な日差しにじりじり焼かれながら、そういえば、アメリカの南部の暑さはこんなものではなかったなあと思い出した。十年近く前、真夏に、米国南部でゴルフをしたことがあった。その日は、摂氏に換算すると40度を越していて、湿度が30パーセントほどだった。日中、ゴルフ場には誰もいない。そんな猛暑の中でゴルフをするアホは誰もいなかった。そこへ、ゴルフをしたいばっかりのアホ日本人がカートに乗って出撃して行ったのである。

  米国南部の猛暑の苛烈さをただちに思い知った。カートを走らせると、当然ながら顔に風が当たる。暑いときに風が吹くと涼しく感じるものだが、摂氏40度を超えると事情は違う。熱い風呂に我慢して入っているときにかき混ぜると熱くて死にそうになるのと理屈は同じ。風が熱いのである。どんな風に熱いかというと、タンクロ-リー車くらいの巨大なヘアードライヤーでゴーっと熱風を当てられているような具合なのである。

  湿度がないから、皮膚がぱりぱりに乾いていく。人間の丸干しができそうな勢いである。特に唇がぱりんぱりんになって切れそうになる。グリセリンでも塗らないと粘膜がもたないのである。

  米国の、そんな暑さのことを思い出しているうちに、米国の住宅の玄関ドアがなぜ内開きなのかについて、実に納得できる理由を見出した。以下に記すのは、「なぜ米国の住宅の玄関ドアは内開きにならざるをえなかったのか」についての仮説である。以前、加治将一氏のエッセイを読んでいたら、「それは、FBIが足で玄関ドアを蹴破って中にはいるためである」というジョークが出てきたが、以下はジョークではない。あくまで仮説であるけれど。

  ちなみに書いておくと、日本の玄関ドアは一戸建てもマンションも基本は外開きである。推察するに、狭い住宅事情のため、内開きにすると玄関に脱ぎ捨ててある靴やブーツをなぎ倒してしまうからではなかろうか。  

    さて。18世紀、欧州から船に乗って移住してきた欧州人にとって、南部アメリカの猛暑はただごとではなかっただろう。猛暑は日中だけのことではない。夜になっても和らぐことはなく、締め切った室内では眠ることも簡単ではなかったに違いない。エアコンなんてあるわけないしね。

    アメリカ映画を観ていると、南部の農民が、玄関ドアを出てすぐのベランダみたいなところ(映画「グラン・トリノ」でイーストウッドが缶ビールを何本も飲んでいた場所)で、ベンチに腰掛けて夕涼みしているシーンがよく出てくるが、そうでもしないと耐えられなかったのだろうと思う。

    もちろん、いつまでも夕涼みをしているわけにいかないから、夜もふけると室内に入る。当然、めちゃめちゃに暑い。窓や玄関ドアを締め切っていてはとても耐えられるものではない。そこで窓を開け、玄関ドアも開けざるをえない。するとどうなるか? 無数の虫が室内に乱入してくることになる。ハエ、蚊、ごきぶりどころかバッタや蛾などがぶんぶんやってきただろう。なにしろ家のまわり中、畑か原野か湖沼なわけだから。

    これは堪らん、と網戸を取り付ける。窓に網戸を取り付ける。これは簡単な作業である。窓の外側に網戸を付ければいいだけである。問題は玄関ドア。網戸は室内側に付けるべきか、外側に付けるべきか。当然、外側である。室内側に付けると、網戸の向こうにあるドアを開けるたびに、網戸も短い時間だが開けざるを得ない。その瞬間、虫が闖入してくるのである。

    従って、玄関の網戸は外側に付ける。そうすると、玄関ドアは自ずと、内開きにせざるを得ない。なぜなら、外開きだと、網戸まで開けなくてはならなくなるからである。内開きならば、外気を入れたいときには玄関ドアを内側に開けて、ドアがばたんと閉まらないように何かをかませておけばそれで用は足りる。かくして、アメリカの玄関ドアは内開きが主流となったのである。エアコンがあまねく完備し、害虫駆除が徹底された現在でも、それは変わらない。

    そういえば、やはりアメリカ映画を観ていると、ちょっと貧しい南部の平屋の家を訪ねるシーンなどには、訪問者はまず、網戸を開けて、それから扉をコンコンとノックするシーンが出てくる。あるいは、網戸を開けると、すぐに室内で、玄関扉が開いているシーンもあったような気がする。

    彼らが枕元に保身用の銃を用意しておかなければならなかったのも、窓や玄関を開け放っておかなければ耐えられない気候があったからなのではなかろうか。普通の一戸建ての家の1階なのに、窓を開けたまま眠っているシーンにも出くわしたような気がする。ずいぶんと無用心なんだなあ、と思ったりしたものだった。

    以上はあくまで仮説。どなたか、真説をご存知であれば、是非、ご教示いただきたい。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月12日 (日)

長崎ゴルフ旅行

 久しく更新を怠っていた。なんだか、妙に忙しい、というか気ぜわしくて、なかなかPCに向かって文章を書く気になれなかった。書く気にはならなかったけれど、ゴルフは一生懸命こなしている。先週の週末も、ただゴルフをするためだけのために長崎まで出かけた。メンバーはいつもの通りのアホメンバーである。ゲンチャン、ロールス・イトウ、ジーコマ。平均年齢は多分60歳くらい。

  金曜日の夕方に羽田を出発。夕食時に長崎着。さっそく夕食に。まずは市内、思案橋の近所の中華料理屋、康楽へ。これで、カンロと読む。安くてうまい。腹が減っているせいもあるのかも知れないが、もうありとあらゆるものを頼み、吐きそうになりながら食べる。ここ2、3年こんなに食べたことはない。「まるで欠食児童みたいだね」と言って笑いながら食べる。「でも、今の若者に欠食児童って言っても通じないよな」と誰かが応じる。

  もうこれ以上食べられない、というところまで食べてデザートに突入。杏仁豆腐を頼む。うまい! よーしもう一杯食べよう、と2杯目に挑戦。これを食べた後に、さらにおもちを油で揚げて、お砂糖をまぶしたものを新たに注文。もう、我ながら、正気の沙汰とは思えない。食べ物がもう喉のところまで来ているような気がする。普通の街の中華料理屋さんで決して高額な料理ではないのに4人で2万2千円食べる。

  うつむくと吐きそうになるので4人で上を向いてホテルまで歩く。部屋に入ったと途端にベッドに転がり込み、ベルトをゆるめ、ズボンを脱ぎ、そのまま気を失ったように眠る。当然ながら、風呂に入る余裕はない。翌朝まで爆睡。

  翌朝は、レンタカーで野母崎ゴルフクラブへ。半島の突端にある、素晴らしいゴルフ場である。すべてのホールから海を臨むことができる。爽やかである。スコアについては、あまり語りたくない。全然爽やかではない。やっぱり昨夜の食いすぎがたたっていると思う。ボールを1ダースほど失った、という事実のみを記しておきたい。

  2日目の夕食は、茂木にある料亭・二見でいただく。活魚料理を死ぬほど堪能する。小さなどんぶりの中に潮水。そのなかに30匹くらいの芝エビがうようよしている。こいつを指でつまんで醤油をちょいとつけて頭からバリバリ食う。口の中で暴れる前に噛み潰す。「おれ、だめ、こういうの・・・・」と64歳のジーコマが言う。何言ってんだよ、いい年して、と思うけれど黙って食べる。

  やはり吐くほど食べる。何しろ、絶対食べきれないほどの量が出てくるんだから。てんぷらも鯛の焼いたのも、お刺身も食べきれないほどなのに、なぜかサツマイモの茹でたのやゆで卵まで出てくるものだから、食べきれる分けがない。またしても上を向いてホテルに帰り眠る。風呂に入る余裕はあった。

  翌朝の第二ラウンドに関しては、やはり、あまり語りたくない。多くのボールを失ったという事実のみを記して、詳細は省きたい。ゴルフが済むと、またしても夕食である。長崎最後の夕食かと思うと、もう死ぬほど食うしかあるまい、という気になる。この夜の支払担当は、この日のラウンドで一番成績が悪かったロールス・イトウ。その名前からも分るとおり、以前ロールスロイスに乗っていた、わがメンバーの中の最長老である。

「あんまり、チョウロウ、チョウロウと言うな! チョロしちゃうじゃないか!」というのが長老の精一杯のギャグである。最初の予定では江山楼でゴージャスな中華をいただく予定だったのだが、行ってみるとちっともゴージャスじゃないので、こりゃあかんと中華街を散策し、比較的高そうな店を見つけて乱入。支払はロールス・イトウだから、というのでみんな手当たり次第に高そうなものを注文する。フカヒレやら北京ダックやら、なにやらかんやらで、またしても嚥下した食物が首のところまでせりあがって苦しい。苦しいけれど、ほとんど正気を失っているので、あろうことかまたもやお餅を油で揚げてピンク色のお砂糖をしこたままぶしたデザートを食べる。苦しい。

  4人で上を向きながら歩いて、ホテルにたどり着き、眠る。

  こうして書いていると、なんだ、死ぬほど食ってゴルフをしただけか、と思われるかもしれないが、実はその通り。全くもってその通り。でも、散歩もしたよ。

  土曜日の朝、ゴルフができる嬉しさに、朝4時半に目が覚めてしまった。ゴルフの朝はいつもそうなのだが、遠足の朝の小学生のように気持ちが高ぶって寝てられないのである。仕方がないので風呂に入ってのんびりするがそれでもまだ5時半。朝食が7時からなのでまだ1時間半もキルすべきタイムがある。

  しょうがねえなあ、散歩でもするかと一人で、まずは唐人屋敷跡へ。17世紀初頭、江戸幕府は唐人の居住地区を制限した。行ってみるとなだらかな坂である。というか小山を登るような斜面がその居住区なのである。ずいぶんとひどい場所を与えたもんだなと思いつつうろうろする。もちろん、すでにそこに中国人が住んでいるわけではないが、なんとなく、エキゾテッィクな雰囲気が漂う。

  上水道、下水道はどうしたんだろうと気になって観察してみたが、多分上水道は井戸だったにちがいない。で、下水道は、立派なものが石で作られていた。それが今も機能している。山の上のほうから水が勢いよく流れ落ちてきている。屋敷跡の印象は香港の路地裏に似ている。山肌や、坂や小川などに逆らわず、そこに貼りつくようにして家々が建っている。いかにも中国である。

  そのあと、まだ時間があるのでオランダ坂に回った。こちらはオランダ人をはじめとする西欧人たちの居住区なのだが、こちらもやはり平坦な土地ではない。しかし、明らかに西欧風のたたずまいなのである。全くもって唐人屋敷跡とは気配が違う。民族が違うと、居住空間に対する考え方が違うのだろう、似たような土地を与えられても、かくも異質なものを作り上げるのだと驚いた。

  片や、その土地の自然の形状にへばりつくように住んでいたかと思うと、もう一方は、岩肌を火薬で爆破し、山肌を削り、「人の住む空間というのはこういうもんなんだよ」とばかり、力づくで居住地を快適に改造しているのである。雨が降ったらどろどろになる山道には矩形の石を敷き詰め、山肌には石を組み上げて土砂崩れがおきないように防御措置を講じ、道の側溝はきれいに削られた石で作られている。前者が自然に抱かれるようにして住む人々だとすると、後者は、自分達に都合のいいように徹底的に自然を作り変えて住む人々といっていいかもしれない。

  あちこち散策して思ったのは、江戸時代に長崎に生まれていたら面白かっただろうなあ、ということだった。観るもの聞くもの、味わうもの、すべてが新鮮だったに違いない。もし、マカオのように九州が殖民地化されていたとしたら、いったいどうなっていたんだろう、と石畳を踏みしめながら、朝の爽やかな空気を吸い込みつつ考えていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »