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2009年7月12日 (日)

長崎ゴルフ旅行

 久しく更新を怠っていた。なんだか、妙に忙しい、というか気ぜわしくて、なかなかPCに向かって文章を書く気になれなかった。書く気にはならなかったけれど、ゴルフは一生懸命こなしている。先週の週末も、ただゴルフをするためだけのために長崎まで出かけた。メンバーはいつもの通りのアホメンバーである。ゲンチャン、ロールス・イトウ、ジーコマ。平均年齢は多分60歳くらい。

  金曜日の夕方に羽田を出発。夕食時に長崎着。さっそく夕食に。まずは市内、思案橋の近所の中華料理屋、康楽へ。これで、カンロと読む。安くてうまい。腹が減っているせいもあるのかも知れないが、もうありとあらゆるものを頼み、吐きそうになりながら食べる。ここ2、3年こんなに食べたことはない。「まるで欠食児童みたいだね」と言って笑いながら食べる。「でも、今の若者に欠食児童って言っても通じないよな」と誰かが応じる。

  もうこれ以上食べられない、というところまで食べてデザートに突入。杏仁豆腐を頼む。うまい! よーしもう一杯食べよう、と2杯目に挑戦。これを食べた後に、さらにおもちを油で揚げて、お砂糖をまぶしたものを新たに注文。もう、我ながら、正気の沙汰とは思えない。食べ物がもう喉のところまで来ているような気がする。普通の街の中華料理屋さんで決して高額な料理ではないのに4人で2万2千円食べる。

  うつむくと吐きそうになるので4人で上を向いてホテルまで歩く。部屋に入ったと途端にベッドに転がり込み、ベルトをゆるめ、ズボンを脱ぎ、そのまま気を失ったように眠る。当然ながら、風呂に入る余裕はない。翌朝まで爆睡。

  翌朝は、レンタカーで野母崎ゴルフクラブへ。半島の突端にある、素晴らしいゴルフ場である。すべてのホールから海を臨むことができる。爽やかである。スコアについては、あまり語りたくない。全然爽やかではない。やっぱり昨夜の食いすぎがたたっていると思う。ボールを1ダースほど失った、という事実のみを記しておきたい。

  2日目の夕食は、茂木にある料亭・二見でいただく。活魚料理を死ぬほど堪能する。小さなどんぶりの中に潮水。そのなかに30匹くらいの芝エビがうようよしている。こいつを指でつまんで醤油をちょいとつけて頭からバリバリ食う。口の中で暴れる前に噛み潰す。「おれ、だめ、こういうの・・・・」と64歳のジーコマが言う。何言ってんだよ、いい年して、と思うけれど黙って食べる。

  やはり吐くほど食べる。何しろ、絶対食べきれないほどの量が出てくるんだから。てんぷらも鯛の焼いたのも、お刺身も食べきれないほどなのに、なぜかサツマイモの茹でたのやゆで卵まで出てくるものだから、食べきれる分けがない。またしても上を向いてホテルに帰り眠る。風呂に入る余裕はあった。

  翌朝の第二ラウンドに関しては、やはり、あまり語りたくない。多くのボールを失ったという事実のみを記して、詳細は省きたい。ゴルフが済むと、またしても夕食である。長崎最後の夕食かと思うと、もう死ぬほど食うしかあるまい、という気になる。この夜の支払担当は、この日のラウンドで一番成績が悪かったロールス・イトウ。その名前からも分るとおり、以前ロールスロイスに乗っていた、わがメンバーの中の最長老である。

「あんまり、チョウロウ、チョウロウと言うな! チョロしちゃうじゃないか!」というのが長老の精一杯のギャグである。最初の予定では江山楼でゴージャスな中華をいただく予定だったのだが、行ってみるとちっともゴージャスじゃないので、こりゃあかんと中華街を散策し、比較的高そうな店を見つけて乱入。支払はロールス・イトウだから、というのでみんな手当たり次第に高そうなものを注文する。フカヒレやら北京ダックやら、なにやらかんやらで、またしても嚥下した食物が首のところまでせりあがって苦しい。苦しいけれど、ほとんど正気を失っているので、あろうことかまたもやお餅を油で揚げてピンク色のお砂糖をしこたままぶしたデザートを食べる。苦しい。

  4人で上を向きながら歩いて、ホテルにたどり着き、眠る。

  こうして書いていると、なんだ、死ぬほど食ってゴルフをしただけか、と思われるかもしれないが、実はその通り。全くもってその通り。でも、散歩もしたよ。

  土曜日の朝、ゴルフができる嬉しさに、朝4時半に目が覚めてしまった。ゴルフの朝はいつもそうなのだが、遠足の朝の小学生のように気持ちが高ぶって寝てられないのである。仕方がないので風呂に入ってのんびりするがそれでもまだ5時半。朝食が7時からなのでまだ1時間半もキルすべきタイムがある。

  しょうがねえなあ、散歩でもするかと一人で、まずは唐人屋敷跡へ。17世紀初頭、江戸幕府は唐人の居住地区を制限した。行ってみるとなだらかな坂である。というか小山を登るような斜面がその居住区なのである。ずいぶんとひどい場所を与えたもんだなと思いつつうろうろする。もちろん、すでにそこに中国人が住んでいるわけではないが、なんとなく、エキゾテッィクな雰囲気が漂う。

  上水道、下水道はどうしたんだろうと気になって観察してみたが、多分上水道は井戸だったにちがいない。で、下水道は、立派なものが石で作られていた。それが今も機能している。山の上のほうから水が勢いよく流れ落ちてきている。屋敷跡の印象は香港の路地裏に似ている。山肌や、坂や小川などに逆らわず、そこに貼りつくようにして家々が建っている。いかにも中国である。

  そのあと、まだ時間があるのでオランダ坂に回った。こちらはオランダ人をはじめとする西欧人たちの居住区なのだが、こちらもやはり平坦な土地ではない。しかし、明らかに西欧風のたたずまいなのである。全くもって唐人屋敷跡とは気配が違う。民族が違うと、居住空間に対する考え方が違うのだろう、似たような土地を与えられても、かくも異質なものを作り上げるのだと驚いた。

  片や、その土地の自然の形状にへばりつくように住んでいたかと思うと、もう一方は、岩肌を火薬で爆破し、山肌を削り、「人の住む空間というのはこういうもんなんだよ」とばかり、力づくで居住地を快適に改造しているのである。雨が降ったらどろどろになる山道には矩形の石を敷き詰め、山肌には石を組み上げて土砂崩れがおきないように防御措置を講じ、道の側溝はきれいに削られた石で作られている。前者が自然に抱かれるようにして住む人々だとすると、後者は、自分達に都合のいいように徹底的に自然を作り変えて住む人々といっていいかもしれない。

  あちこち散策して思ったのは、江戸時代に長崎に生まれていたら面白かっただろうなあ、ということだった。観るもの聞くもの、味わうもの、すべてが新鮮だったに違いない。もし、マカオのように九州が殖民地化されていたとしたら、いったいどうなっていたんだろう、と石畳を踏みしめながら、朝の爽やかな空気を吸い込みつつ考えていた。

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