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2009年8月

2009年8月24日 (月)

「サブウェイ123 激突」と「強欲資本主義」

 
    先日、映画「サブウェイ123 激突」(トニー・スコット監督)を観た。映画そのものは特筆すべきものは特になし。地下鉄を乗っ取る犯人役をジョン・トラボルタが、運行司令室の職員をデンゼル・ワシントンが演じていて、そのふたりの熱演ぶりは、まあ、特記しておいていいかもしれない。が、まあその程度なのである。

  話は実に単純で、あるグループが地下鉄を乗っ取り、警察がその一味を追い詰める、というだけのもの。単純といえばこれほど単純な展開はない。その中で唯一面白かったのが以下のシーン。

  地下鉄を乗っ取った一味の企みは、「地下鉄乗っ取り事件」で株価を急落させ、金(ゴールド)を暴騰させることによって、瞬時に大金を手にすること。実に今時の知能犯なのだが、事件の冒頭ではまだ、捜査陣はその一味の素性をつかむことができない。

    捜査が進展して、やっと犯人たちのプロフィールがおぼろに見えてきたときに、捜査陣にひらめきが走る。「犯人はウォールストリート・ガイズだ!」と叫ぶのである。これを聞いて、私はほほう、と思った。

「ウォールストリート・ガイズだ!」は、訳してみれば「証券業界の野郎たちだ!」くらいになるだろうか。つまり、このろくでもない事件の犯人は証券業界の野郎どもだ、とスクリーンの上で捜査陣は大見得を切るのである。

  私がほほうと思ったのは、現在のアメリカ合衆国では、「証券業界の野郎ども」はすっかり「悪者」のカテゴリーに分別されてしまっており、そのことに違和感を抱く人々は決して多くないのだなと実感したからである。それはまるで、9.11事件以降のイスラム原理主義者(イスラム教徒)のようでもある。

  思えば、1987年に公開された「ウォール街」(オリバー・ストーン監督)では、監督の意図はともかく、証券マンが実に魅了的に描かれていた。この映画をNYで観た私はチャーリー・シーン演じる証券マンのファッションがかっこいいと思い、すぐにズボン吊りを買いに走り、しばらくそれをして出社していたおっちょこちょいでもあったが、ウォールストリート・ガイズがそれほど、かっこよく描かれていたのである。

  それから二十数年。ウォールストリート・ガイズは地に落ちた。このたびの金融危機の元凶となったのだから、無理もないが、まるで「悪の象徴」のようでもある。

    が、それもむべなるかなと思ったのは、文春新書の「強欲資本主義 ウォール街の自爆」(神谷秀樹著)に記された彼らの所業を知ったからである。こういうときのために自業自得という言葉はあるのではないかと思わざるをえない。何度も書いたことだが、今回の金融危機のすべての源は、アメリカ合衆国の金融業界に端を発する、「楽をして大金を儲けることは良いことである」という信憑がグローバルに瀰漫したからであると思っている。

    同書には、米国金融関係者のこんな言葉が引用されている。

<「・・・・・ウォール街がぶち壊している産業はホテルだけではないよ。今すべての産業で同じことが起こっている。投資といっても、所詮は安く買い、出来るだけ早く高値で売るために使っている金だ。彼らには将来を築くための投資を十分にする気持ちなどないよ。買い叩いて、コストを削って見かけのキャッシュフローを増やして売り払うことしか頭にない。しかもほとんど他人の金でそれをやる」>(P120)

  ウォールストリートで日本人として20年以上金融ビジネスに携わった人物の見聞だけに、書かれていることに説得力がある。最近のウォールストリートのモラル・ハザードぶりには目を覆うものがあるとも書く。グローバル・スタンダードの美名のもとに、その価値観が日本にも流通しようとするだろうが、日本人は絶対にこのモラル・ハザードに侵されてはならぬ、と神谷氏は力説する。

  そのモラル・ハザードぶりを、こんな風に、一口キャッチフレーズ風にして紹介している。

<曰く「借りた金で今日を愉しむ」、「借りた金で投機する」、「貸せる金は融資基準をいくら下げても貸し込め。そのローンを束にして売ってしまえば、不良化しても自分の損にはならないから」、「ノンリコースで借りた金は、返せなくなったら担保物件の鍵を渡せば終わり。値上がり益は僕のもの、値下がり損は君のもの」、「連帯保証など怖くない。眠り口銭(手数料)が入ってくる」といったものである。>(P155)

  ウォールストリート・ガイズの悪辣振りをもっと知りたい方はどうぞ、同書をご覧いただきたい。

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2009年8月19日 (水)

母が壊れていく

 

 このお盆休みは、郷里・和歌山で過ごした。ひとり住まいの、80歳の老母の様子を見るためというのが一番の目的である。

  母の日常生活が楽になればと、バリアフリーの「離れ」を新築した話は何度も書いたけれど、帰ってみると、母は相変わらずおんぼろ母屋で生活している。台所や風呂に行くのに、いちいち階段をヨッコラショと下りてサンダルをはかなければならない不自由さがあるはずなのに、「なんだか落ち着かない」という理由で「離れ」にはなじもうとはしない。彼女にとって新しい環境になじむことはもう苦痛なのかもしれない。

  かくてはならじと、食事は「離れ」の食卓でとることにした。妹が食事を用意し、3人で食事をする。そんなことを数日続けたある日の夕食で、母親が突然、「ここで食事をするの初めて」と言い出した。最初は、なにかの冗談を言っているのかと思った。「初めてって、どういうこと?」「だから、この離れで食事をするのは初めてっていうこと」

「ちょと待ってよ。昨日もおとついも、その前も、ずっとここで食事をしてるじゃないの」
「そう?」
「そうって、昨日はここできしめんを食べたし、その前は3人ですき焼を囲んだじゃないの。お肉を3種類買ってきて、ここに並べたでしょ」
「そうだったかなあ・・・・・」

  母は困った顔してうつむいた。いたずらがバレた子供のような顔である。母が近過去の出来事を次々と忘れている、ということは妹から教えられていた。しかし、よくよく観察していると、「忘れている」というよりは、むしろ最初から「記憶に入って行っていない」ようにも思える。つい昨日のことがきれいさっぱり記憶に残っていない。まるで白紙状態なのである。

  そう言えば、私が帰省した時、妹が「お母さんは、お兄ちゃんのことを<よっちゃん>だと思っているよ。<よっちゃん>が来る、<よっちゃん>が来る、って言ってたから。驚かないでね」と耳打ちしてくれた。<よっちゃん>というのは母の弟である。弟と自分の息子がごちゃごちゃになってしまっているのである。

「お母さん、どんどんもの忘れが激しくなって来ちゃったね。でも昔のことなら大丈夫かな。教育勅語は言える?」
「えっ? 教育勅語ね。朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我ガ國軆ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス。あとは忘れた・・・・」
「ふーむ、覚えてるね。じゃあ、天皇陛下の名前は?」
「神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安・・・・・」
「うーん、昔覚えたことはまだ多少は残っている。じゃあ、昨日の夜のデザートで果物のゼリーを食べたけど、それを半分残したことは覚えてる?」
「えー? 私、ぜりー嫌いだもん。そんなもの私、食べた?」
「そうか、覚えてないか・・・」

  小さくなってちじんでしまったような母はソファに腰掛けたまま、老人性紫斑であちらこちらに内出血した枯れ枝のような細い腕を2本膝の上に置き、うつむいて困惑してしまっている・・・・・。

  記憶できないことを責めても仕方ないので、もう何も言わないことにした。こうして人は老いていくのかと思った。

    一緒に食べたすき焼のことも、食後のデザートがおいしかったことも、窓の外の夕焼けが驚くほど美しかったことも、いかなる事柄も、もう、母の記憶の器には収められることはない。ということは、過去を振り返りながら、「お母さん、あのときに食べたすき焼はおいしかったね」「ホテルのカフェの大きな窓の向こうに見えた夕暮れの様子はきれいだったね」と言って、想い出を共有することはもうできない、ということなのだ。

  母と私の間には、もはや、すき焼を食べているその瞬間、夕日を眺めているその瞬間しか共有することはできない。そう考えると、私は深くうなだれてしまう。「想い出を共有することはもうできない」ということがこんなに辛く、淋しいことだとは考えてもみなかったのだ。

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2009年8月14日 (金)

おじさん化のメルクマール その2

 

 この単語を使うようになったら、その人はもうおじさん、という話を前回書いた。
  

   そのことについてある人に説明していたら、
「うーん、なるほど。確かに背広とかズボンとか、まだ言っているようじゃ、しっかりおじさんかもね」
「え、じゃ、なんて言えばいいの?」
「背広はジャケット。背広の上下はスーツ、あるいはセットアップ。ズボンはパンツでしょ。背広っていうのは、英国のサビルローという地名から来てるんだよね」
「はあ」
「あ、すごいメルクマールがひとつあるよ」
「なんでしょう?」
「映画<卒業>ってあったでしょ。ダスティン・ホフマンが主演の。あの主題曲を歌っている男性2人組みの名前はなんでしょう?」
「あ、あれね。そりゃ簡単だわさ。サウンド・オブ・サイレンスとか歌っている2人組でしょ」
「そう。その名前は?」
「ずばり、答えます。<サイモンとガーファンクル>です!」
「ぎゃはははは、おやじっ! サイモン「と」ガーファンクルなんて言っているのは正真正銘のおじさん。聞いてごらん、今の若い人に。みんな<サイモン・アンド・ガーファンクル>って答えるから」
「え、いつから呼称が変わったの? 卑怯じゃないか! こんちくしょー」
「がははは、おやじー!」

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2009年8月11日 (火)

おじさん化のメルクマール

  

     男はいつから「おじさん」になるのか?


  興味深いテーマである。歳とった男たちは、全員が自分だけは「おじさん」ではない、と盲信してやまない。「髪の毛は乏しくなったけど、ハートは高校3年生のままだもんね」、と妄言を弄して恥じるところがない。
  まあ、この「恥じるところがない」というのもおじさん化の一兆候ではあるのだが・・・。

  ある昼休み、会社のおじさん連中と食事に行った先で、おじさん話に花が咲いた。

「あのさ、さっき君、<目方>って言わなかった? <目方>なんて今時誰も言わないよ」
「じゃあ、なんていうんだよ」
「<体重>に決まってるだろうが」
「そうか、そうなのか。確かにこの前、ハンガーのことを<衣紋かけ>と言って、若い女の子に笑われたな」
「うーん、確かに、それはおじさん言葉だな。これを言ったらおじさんだというおじさん言葉って、他にはどなものがあるかな?」
「パンティ!」
「えっ、パンティはおじさん言葉なのか?」
「そりゃそうだろう。今はブラとショーツだ」
「なんでお前がそんなこと、知ってんだよ」
「なんでだろうねえ・・・」

「散髪屋さん!」
「え、それもおじさん言葉なの? じゃあ、なんて言うのよ?」
「床屋でしょ」
「床屋? 床屋ってその方が、おじさんだろうが。江戸時代じゃないんだぜ」
「理髪店でしょ」
「そんなこと言うやつはいない!」
「でも、パーマ屋さんって言わない?」
「パーマ屋さん? うーん、美容院じゃないの?」
「でも、<今、お母さんはパーマ屋さんに行ってて留守です>って言わない?」
「言わない!」
「あと、デパートのことを百貨店って呼んで、おれは馬鹿にされた」
「<この前、ちゃんねえとワイハに行って、フーゴルしたんだけど、そのちゃんねえがデパガでさあ>なんて言ってたらおじさんだな」
「そんなシーラカンスみたいなやつはもういないだろう」
「TBSあたりにいるんじゃないかな」

  こんなことをいつまでも喋ってるのがおじさんなのかも。

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