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2009年8月19日 (水)

母が壊れていく

 

 このお盆休みは、郷里・和歌山で過ごした。ひとり住まいの、80歳の老母の様子を見るためというのが一番の目的である。

  母の日常生活が楽になればと、バリアフリーの「離れ」を新築した話は何度も書いたけれど、帰ってみると、母は相変わらずおんぼろ母屋で生活している。台所や風呂に行くのに、いちいち階段をヨッコラショと下りてサンダルをはかなければならない不自由さがあるはずなのに、「なんだか落ち着かない」という理由で「離れ」にはなじもうとはしない。彼女にとって新しい環境になじむことはもう苦痛なのかもしれない。

  かくてはならじと、食事は「離れ」の食卓でとることにした。妹が食事を用意し、3人で食事をする。そんなことを数日続けたある日の夕食で、母親が突然、「ここで食事をするの初めて」と言い出した。最初は、なにかの冗談を言っているのかと思った。「初めてって、どういうこと?」「だから、この離れで食事をするのは初めてっていうこと」

「ちょと待ってよ。昨日もおとついも、その前も、ずっとここで食事をしてるじゃないの」
「そう?」
「そうって、昨日はここできしめんを食べたし、その前は3人ですき焼を囲んだじゃないの。お肉を3種類買ってきて、ここに並べたでしょ」
「そうだったかなあ・・・・・」

  母は困った顔してうつむいた。いたずらがバレた子供のような顔である。母が近過去の出来事を次々と忘れている、ということは妹から教えられていた。しかし、よくよく観察していると、「忘れている」というよりは、むしろ最初から「記憶に入って行っていない」ようにも思える。つい昨日のことがきれいさっぱり記憶に残っていない。まるで白紙状態なのである。

  そう言えば、私が帰省した時、妹が「お母さんは、お兄ちゃんのことを<よっちゃん>だと思っているよ。<よっちゃん>が来る、<よっちゃん>が来る、って言ってたから。驚かないでね」と耳打ちしてくれた。<よっちゃん>というのは母の弟である。弟と自分の息子がごちゃごちゃになってしまっているのである。

「お母さん、どんどんもの忘れが激しくなって来ちゃったね。でも昔のことなら大丈夫かな。教育勅語は言える?」
「えっ? 教育勅語ね。朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我ガ國軆ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス。あとは忘れた・・・・」
「ふーむ、覚えてるね。じゃあ、天皇陛下の名前は?」
「神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安・・・・・」
「うーん、昔覚えたことはまだ多少は残っている。じゃあ、昨日の夜のデザートで果物のゼリーを食べたけど、それを半分残したことは覚えてる?」
「えー? 私、ぜりー嫌いだもん。そんなもの私、食べた?」
「そうか、覚えてないか・・・」

  小さくなってちじんでしまったような母はソファに腰掛けたまま、老人性紫斑であちらこちらに内出血した枯れ枝のような細い腕を2本膝の上に置き、うつむいて困惑してしまっている・・・・・。

  記憶できないことを責めても仕方ないので、もう何も言わないことにした。こうして人は老いていくのかと思った。

    一緒に食べたすき焼のことも、食後のデザートがおいしかったことも、窓の外の夕焼けが驚くほど美しかったことも、いかなる事柄も、もう、母の記憶の器には収められることはない。ということは、過去を振り返りながら、「お母さん、あのときに食べたすき焼はおいしかったね」「ホテルのカフェの大きな窓の向こうに見えた夕暮れの様子はきれいだったね」と言って、想い出を共有することはもうできない、ということなのだ。

  母と私の間には、もはや、すき焼を食べているその瞬間、夕日を眺めているその瞬間しか共有することはできない。そう考えると、私は深くうなだれてしまう。「想い出を共有することはもうできない」ということがこんなに辛く、淋しいことだとは考えてもみなかったのだ。

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