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2009年10月26日 (月)

立花隆氏と佐藤優氏の博覧強記について

  
    文春新書から「ぼくらの頭脳の鍛え方」という、派手なタイトルの新刊が出た。サブタイトルが「必読の教養書400冊」。筆者が立花隆氏と佐藤優氏。帯には<「知の巨人」と「知の怪物」が空前絶後のブックガイドを作り上げた>と、ずいぶんと大きく出た惹句が踊っている。その横に立花、佐藤両氏の写真が載っている。

    立花氏は髪も薄く白くなり、おなかがぽっこり出ていて、金正日のお兄さんみたいな風貌である。一方の佐藤氏は手足の短い5頭身の「起き上がりこぼし」のような按配である。どっちが「巨人」でどっちが「怪物」かは明示されていないが、なんとなく想像はつく。「怪物」呼ばわりされるのはあまり嬉しくないのではなかろうか。

    それはともかく、この両名は恐るべき読書家であり、かつ蔵書家でもある。立花氏は仕事場に35000冊、佐藤氏は15000冊。尋常な量ではない。普通の人間なら一生かかっても読み終えないほどの量である。このふたりが、まず、自分の本棚から「知的欲望に満ちた社会人へ」向けてそれぞれ100冊ずつセレクト。次に、「すぐに役に立つ、すぐ買える」文庫と新書をそれぞれ100冊セレクト。計400冊のブックガイドとなっている。おまけに、それぞれの書物についてふたりできめ細かく対談しているあたりが凄い。このふたり、いったいどれだけの本を渉猟し、かつ頭に叩き込んできたのかと、凡人は気が遠くなりそうになる。

    こんな荒業ができるのも、このご両人が、超人的な「本読み」だからなのだが、私は以前、このふたりは「特殊な映像記憶の持ち主」なのではないかと書いた(09年4月15日付け)。
http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/index.html
   
  引用してみる。

<その一人が内田樹氏で、氏は、たぶん養老孟司氏との対談本でだったと思うが(読み終わった本は捨てるか古本屋に売るので、今手元になくて確認できなくて申し訳ないのだが)、「自分は中学くらいまでは、教科書は見開きごと、映像で頭の中に入っていた」と語っている。「だから、試験のときも、その映像を呼び戻せば、たちどころに回答が分かった。しかし、その能力も高校に入ると消えてしまった」と喋っている。氏の博覧強記の秘密はその辺にあるのかもしれない。
    もうひとり、そうではないかと思われるのが、佐藤優氏。氏の、学生時代のことを書いた本を読むと(これまた売り飛ばしてしまって書名を挙げられないが)、京都の中華料理屋に仲間と入って食事をする場面が出てくるのだが、その時に回想的に列挙されるメニューが実にリアルなのである。
  
    おそらく、佐藤氏はそのシーンを書いているときには、その場面が頭の中にはっきりと映像として甦っているに違いない。しかもディテールまで克明に・・・・。なにも、食事のメニューだけではない。氏の回想的部分の文章の詳細さは、全く尋常なものではないのである。
  
    もうひとり、これは自分で目撃したのではっきりと尋常なことではないと断言できるのが立花隆氏の読書法。私は学生時代にアルバイトで、立花氏の「日本共産党研究」の資料整理を手伝ったことがある。その時、締め切りの夜になると、氏は執筆前に7,8冊の資料本を読まなくてはならなくなる。すべて神田で入手してきた共産党関連の古本だが、これを黙々と読む。
  
    いや、それは読む、というようなものではない。むしろ「ページをめくり続ける」と形容したほうが適切かもしれない。見開きを数秒間にらみつけて、またページを繰る。そんなふうにして、ぱらりぱらりと本を読んでいく。高さ30センチほどの本も当然ながら、一晩で読了することになる。
  
    初めてその行為を目撃したとき、「そんな馬鹿な、眺めているだけで中身が頭に入るのものだろうか?」とはなはだしくいぶかしんだものだった。しかし、本の内容はしっかりと、氏の頭の中に入っているのだった。それもヴィジュアルとして記憶されているのだった。驚いたのは、原稿を書いている最中に、立花氏が、これこれの本の大体この辺の右ページの最初の方にこういうことが書いてあるからそのページを開いてくれ、と我々に注文してきたことだった。ページを繰るとその通りのページが確かに現れた。>
  
  こんな「サヴァン症候群」的能力の持ち主だからこそ、このようなブックガイドを編むことができるのではなかろうか。このおふたり、自分たちに可能なことは他人にもできると思っておられるのか、同書の中で、こんなアドバイスがなされたりしている。

<読みさしでやめることを決意した本についても、一応終わりまで1ページ、1ページ繰ってみよ。意外な発見をすることがある。>(P245 立花隆による「実戦」に役立つ14カ条)

  こんなことも、映像記憶的に書物を読むことができるから言えるわけで、凡人にはこれができない。「1ページ、1ページ繰る」だけでは何にも頭に入って来ないのである。しかし、佐藤氏はこの指摘が外務省での後輩の教育に際して大いに役立ったと述懐している。

<「この本、ダメだな」と思っても、一応最後までページをめくれ、という指摘もありました。驚いたのですが、モサド(イスラエル諜報特務庁)とか、KGBとか、対外諜報庁の連中の本の読み方、本の買い方と立花さんは一緒なんです。>(P12)

  さて、この本の中には面白い話があちらこちらにちりばめられているので、ランダムに抜書きしておきたい。

<立花 ネット空間にも、本になっているものより水準の高い論文などが山のようにあります。ただ、そういう水準のものに出会う確率は相当低い。グーグルでキーワードを入れて検索するにもやはり基本的な教養が必要です。
佐藤  (・・・・)私は情報屋ですから資料も何も持たないで、どれだけインプットできるかが勝負なんです。(・・・・)情報の世界で最後に勝負するときには、紙も何も持っていないですから。私の場合、インターネットだったら紙から吸収する情報量の二十分の一くらいしか入ってきませんね。やはり紙をペラッ、ペラッとめくらないと入ってこない。>(P55)

  
  立花氏は哲学については以下の本を推挙。
「形而上学」 アリストテレス 岩波文庫
「パンセ」 パスカル 中公文庫
「方法序説」 デカルト 岩波文庫
「ツァラトゥストラ」 ニーチェ 中公文庫
「永遠の平和のために」 カント 岩波文庫ほか
「論理哲学論考」 ウィトゲンシュタイン 岩波文庫ほか
「プラグマティズム」 W.ジェイムズ 岩波文庫

  こんな具合にずらりと並べて<誰でもこれくらいは手に取るべき。>とさらりと書く。いかにも立花氏らしい。「手に取ること」ぐらいは簡単にできるだろうけれど、読破するのは容易ではない。

  佐藤氏は、「フランス革命についての省察」(パーク 岩波文庫)、「なぜ私は生きているか」(J.L.フロマートカ 新教出版社)と「現代のヒューマニズム」(務台理作 岩波新書)の間に、どういうわけか、酒井順子の「負け犬の遠吠え」(講談社文庫)を挙げている。不思議である。しかも、その文章を大絶賛で、<同一律・矛盾律・排中律を見事に駆使して完璧な論理を打ち立てる。論理とは何かをしるためにも重要な本。>(P81-82)と手放しである。タイプなんだろうか?

  その佐藤氏、外務省に勤務していた頃、権力の中枢に位置する人物たちの様々な生態を目撃したという。例えば、こんな具合に。

<昔、赤坂の料亭で、鈴木宗男さんの前で「おしめ換えてくれ」とやる東大卒のキャリア官僚がいた(笑)。お腹を出すことによって、政治家に無限の忠誠を誓うんです。若い国会議員でも、「先生の前で隠すものはありません」と言って、素っ裸になって、オチオンチンを股にはさんで、山本リンダの「こまっちゃうナ」を歌っている場面も見ました。こういう官僚、政治家たちの姿を見たので、中江兆民のキンタマ酒がやはり政治の本質だと思うんです。>(P162)

  読んでるこっちが、こまっちゃうナだが、もうひとつ、にわかには信じがたい話を。

<佐藤 (・・・・)外務省のロシア語通訳はかなりひどい。ロシア政府の公式ホームページを観るとよくわかるんです。(・・・・)日本の要人とロシアの政府要人が会談をすると、そのときの冒頭取材の発言記録がホームページに掲載されるんです。日本側発言を観てみると、「通訳されたまま」というロシア語が出ている。どういうことかというと、メチャクチャなロシア語で、原発言がどうだったか、よくわからなかったという意味なんです。
立花  内容が理解できなかったから、そのまま載せたという断りなんですね。
佐藤  そうです。その日本側発言というのは、仮に日本語に訳してみると、こんな感じです。「あんたさん、ロシアの大統領さんだった。あたい、日本の首相だった。そのとき、二人話して、うまくいった。うまくいったのは何? それ、戦略的行動の計画ね」 これがロシア政府のホームページに出ている。国の恥です。>(P164)

  もしその通りならば、なるほど国の恥である。なぜ、こんなことが起きるかというと、外務官僚に、<通訳をできるようになりたいという動機がないんです。>というから、まさに病膏肓に入る、という気配である。大学生の知性が劣化しているだけではなく、官僚たちも充分退廃しているのかもしれない。

  この本を読んでいると、ああ、この本も読んでみたい、この本も手にとってみたいという気にさせられるから不思議である。最後に、「教養」について立花氏が興味深いことを喋っているので、引用しておきたい。

<教養というのは別の言葉で言えば、人類の知的遺産です。その場合、教養教育とは、知的遺産の財産目録を教えることになります。しかし、いかにしてその全体像を教えるか。私は、知の世界の果てがどうなっているか、それが想像できるような地点へ学生を連れていくことだと思っています。>(P240)

「知の世界の果て」か。刺激的な言葉である。

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