« 「坂の上の雲」と「奇胎の四十年」 | トップページ | 「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」の「しなやかさ」 »

2009年10月 6日 (火)

坂の下のドブ

  
    前回、われわれは「坂の下のドブ」に向かって、厳しい現実を歩んでいると書いた。前代未聞の不況と政治的混迷、民間の活力喪失などなど、いったい、この「暗夜行路」は何に起因しているのだろうかと、時に深く考え込んでしまうことがある。

  歴史に「IF」はないというが、もしこれが存在しなかったならば、われわれはこれほどの混迷を経験せずとも済んだのではないか、と思うものがふたつある。ともに20世紀末のアメリカ合衆国が生み出したモノだが、ずいぶんと罪作りなものを考案してしまったものだとしみじみ思う。

  ひとつは「インターネット」。嘘か誠かは知らないが、核戦争下、一つの都市が全滅したとしても指揮系統を混乱させることなく、その他の都市間の軍事的コミュニケーションをとり続けるためにアメリカの科学者たちが考案したといわれているしろものである。発明の動機がどのようなものであったにせよ、上記のような目的には最適のシステムであることに変わりはない。中枢がなく、各節々が独立して神経細胞のように有機的に繋結している。

  このシステムがぶち壊した既存のシステムを数え上げればきりがない。まずは既存メディアである、テレビ、ラジオ、新聞、出版・雑誌が壊滅的打撃を蒙った。新聞社は新聞紙を印刷して販売するだけでは経営が成り立たず、テレビもラジオも番組を電波に乗せて配信するだけでは会社が成り立たないところにまで追い込まれている。

    もはやこれまでのビジネス・モデルが成り立たなくなったのはこの業界に留まらない。レコード会社、映画会社、百貨店などの小売業など、間接的影響で衰退した業種を挙げていけばもっと膨大なものになるだろう。

    ぶち壊したのは、単にいくつかの業界だけではない。出会い系サイトやエロサイト、人殺し請負サイトや自殺幇助サイト、その他もろもろの出現で、それまでも無きに等しかった最低限のモラルもきれいさっぱり吹き飛んだ。流言飛語は日常茶飯事となり、名誉もプライバシーも白昼堂々毀損されている。もちろん、著作権も肖像権も知的所有権もへちまも実質的にはない。

    もちろんインターネットの「功」が皆無とは言わないが、それをチャラにしても余りある「罪」を膨大にかつ急激に世界にばら撒いたと私は考えている。

    アメリカが生み出したもうひとつの発明物は、これまでにも何回か書いたけれど、いわゆる「金融派生商品」である。最新の数学と金融工学を駆使した、金儲けの商品である。この商品群誕生の背後には「額に汗せずに大金を儲けることは善である」という非道な信念がうずくまっている。「労せずして誰かの大金を我が物とする」ということは、身も蓋もなく言えば、「誰かが汗水たらして稼いだ金をかっさらう」という行為に他ならない。

    そのような信念がアメリカに発生し、グローバルゼーションの掛け声とともに地球上に遍く行き渡ったとき、われらが世紀は失墜を始めたというわけである。「インターネット」と「金融商品」がタグマッチを組んだときには、この世で見たこともない、史上最悪の「商品」ができあがったのである。その傷からわれわれはまだ回復することができないばかりか、そもそも回復できるのかどうかさえ分からない。

    けだし、天罰である。

|

« 「坂の上の雲」と「奇胎の四十年」 | トップページ | 「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」の「しなやかさ」 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 坂の下のドブ:

« 「坂の上の雲」と「奇胎の四十年」 | トップページ | 「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」の「しなやかさ」 »