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2009年10月 8日 (木)

「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」の「しなやかさ」


    先日、新聞を見ていたら朝日出版社の単行本の広告が出ていた。そこに、東京大学文学部教授の加藤陽子氏の近著「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」の書名があり、なんと10万部が売れた、と特記してあるのを見て、ほほーと思った。このような本が10万部も売れるなんて、素晴らしいなと思ったのである。

    この本は、日本近現代史の専門家である加藤教授が、栄光学園の歴史好きな中学生・高校生17名相手に、クリスマスから正月までの短い休みを利用して、「日本人の戦争」について行った講義をまとめたものである。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変から日中戦争、太平洋戦争について噛み砕いた語り口で書かれている。

    その中には、生徒への適切な「問いかけ」と生徒からの卓抜な「応答」が含まれていて、とても楽しい。「戦争」に関して書かれた本は、そのほとんどが、ある史観、価値観をもって、現在時点から過去を振り返る形で記述されたものである。その論調の大概は、「非道な戦争」か「正義の戦争」かのどちらかであることは、戦争について書かれた本を読んだことがある人なら、つとに周知の話である。しかし、本書は全く違う。

    その昔、といっても40年以上前の話だが、NHKで「タイムトンネル」という米国の番組が放送されていた。時空を行き来できる渦巻状のトンネルがあり、現在を生きる主人公が、いきなり過去の「白熱した歴史的現場」に放り出されて、右往左往するというのが毎回の話だったように記憶している。例えば、ある回では、少年が南北戦争の真っ只中に放り出されてしまう。そこでは、歴史として整理された「南北戦争」が描かれているわけではない。頭上を鉄砲の弾が行き交う、「切迫した現在」としての「南北戦争」展開されているのである.

    この本はちょうどそのような形で、生徒たちを、あるときは日露戦争の直前に、またあるときは満州事変の渦中へと誘うのである。そこで加藤教授が生徒たちに披露するのは日本の近現代史の最新の研究から得られた知見である。満州事変の渦中に置かれた栄光学園の生徒たちは、とりあえずその後、歴史はどのように展開していったかは知らぬものとし、その時、その場所で、時の政治家や軍の幹部が持っていた現状認識と、これから解決せねばならない問題を与えられるのである。そして、「さあ、あなただったら、この時どういう決断をしたでしょうか?」と問われるのである。

    そこで求められるのは、教条主義的な、あるいはイデオロギッシュな判断ではない。あらゆる条件を勘案した後に導き出される理性的で合理的な解決策なのである。そんなやり取りを読み進んでいるうちに分かってくることは、どの戦争にせよ、一部の狂信的な軍国主義者によって、日本が誤った方向へ引きずり込まれていったというわけでは決してなかった、ということなのである。

    むしろ、当時の日本の政治家や官僚や軍の幹部は、ほとんどベスト&ブライテストと呼んでもいいような怜悧な頭脳をもった人々であった。にもかかわらず、あるいはだからこそ、日本は戦争に突入せざるを得なかったのだ、という具合に思えてくるのである。書名の「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」はそこから来ているのだと思う。

    現在時点から過去を断罪するのではなく、予断を排し、その歴史的事象が起こった時点にわが身を置き、その時のわが身を取り巻いたであろう状況と条件を深く考察し、しかるべき後に判断を下すこと。歴史から学ぶということは、まさにそういうことなのだと本書は教えてくれる。

    そういう意味で新鮮な1冊だったし、そのようなものの見方が10万人の読者をひきつけたという事実は感慨深いものがある。最後に加藤氏の「おわりに」の文章から、控えめだけれど強靭な言葉を引いておきたい。

<歴史とは、内気で控えめでちょうどよいのではないでしょうか。本屋さんに行きますと、「大嘘」「二度と謝らないための」云々といった刺激的な言葉を書名に冠した近現代史の読み物が積まれているのを目にします。地理的にも歴史的にも日本と関係の深い中国や韓国と日本の関係を論じたものにこのような刺激的な惹句のものが少なくありません。

   しかし、このような本を読み一時的に溜飲を下げても、結局のところ「あの戦争はなんだったのか」式の本に手を伸ばし続けることになりそうです。なぜそうなるかといえば、一つには、そのような本では戦争の実態を抉る「問い」が適切に設定されていないからであり、二つには、そのような本では史料とその史料が含む潜在的な情報すべてに対する公平な解釈がなされていないからです。これでは、過去の戦争を理解しえたという本当の充足感やカタルシスが結局のところ得られないので、同じような本を何度も読むことになるのです。このような時間とお金の無駄遣いは若い人々にはふさわしくありません。

  私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについて、その時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。また、現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去事例との対比を行っています。

  そのようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと私は思います。多くの事例を想起しながら、過去・現在・未来を縦横無尽に対比し類推しているときの人の顔は、きっと内気で控えめで穏やかなものであるはずです。>(P407-408)

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