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2009年11月23日 (月)

岸恵子とへちまタワシと本間雅晴中将

●前項のタイトル「机上の脅威」というのは中学生のときに観たフランス映画「頭上の脅威」(Le Ciel sur la tête) (1964) のもじりだったのだけど、そのことに気付いた人は多分誰もいなかったに違いない。フランス海軍の誇る新鋭空母クレマンソーと、未知の飛行物体との遭遇を描いたSF作品。当時軍事おたくだった中坊は、撮影に本物のクレマンソーが使用されていることにいたく感激したものだった。監督は、岸恵子の亭主(当時。1975年に離婚)だったイヴ・シャンピ。

   1975年に岸恵子が結婚のために渡仏する際には、「一羽の美しい鶴が海を渡っていってしまった」とみんなが大いに嘆いたという。確かにその嘆息も理解できるほどに、1960年に公開された市川崑の映画「おとうと」(Tendre et Folle Adolescence)に登場する岸恵子はたとえようもなく美しい。

   原作は幸田文。フランス語のタイトルがついているのは海外で公開された際のものに違いない。岸恵子の美しさはその後も衰えることなく、1972年の「約束」(斉藤耕一監督)では40歳の大人の女の色香と哀しみを、思う存分表出していた。すっかりやられてしまった私はこの映画を5回ほど観た。最後には新宿の映画館内にオープンリールの大きなテープレコーダーをこっそりと持ち込み、全部を録音。

   まるでフランシス・レイのように流麗な宮川泰の音楽だけではなく、セリフまで暗記してしまうほどに繰り返し繰り返し聴いたものだった。音楽だけではない。まるでクロード・ルルーシュのような映像も、当時の日本映画にはありえないもので、長いレンズを逆光の中で平然と使用するそのテクニックに惚れ惚れとしてしまったものである。

   1975年の3月の夕暮れ。パリ17区の公園の脇を歩いていた私は、偶然、岸恵子さんにばったり逢ってしまった。思わず目をむいて駆け寄り、「き、岸さん、ファンです・・・・・」。にじりよる私を岸さんは不安な目で見つめるのだった。

●会社の部下が先日のシルバー・ウィークに中東にヴァカンスに出かけた。女性の一人旅である。出かけた先が、レバノン、アラブ首長国連邦・・・・。そんなところにヴァカンスに出かける気持ちが分らないが、本人は「日本人が全くいないのでずいぶん珍しがられて、親切にしてもらいました」と意気軒昂である。部署の仲間に土産として石鹸を買ってきた。レバノン製の石鹸である。

 アラビア文字なので、それが洗濯石鹸なのか浴用石鹸なのかよく分らないのだが、匂いを嗅ぐといい香りがするので、多分これで体を洗っても大丈夫なのだろうと思い一個もらった。半径10センチほどの円形で、厚みが1センチほど。透明な石鹸をじーっと見つめていると、内部になんだか白い繊維状のものがつまっている。

   なんじゃ、これは、とよく観察すると、どうも「へちまタワシ」のようなのである。つまり丸い石鹸の中にヘチマが入っていて、石鹸をそのまま体にこすりつけると、石鹸がすこしづつ後退してタワシが露出し、体をごしごし洗ってくれるという寸法なのだ。ヘチマたわしにいちいち石鹸を付けるのが面倒なので、ええいっ、一緒にしてしまえ、というアイデアなんだと思う。

   これを観て、「うーん、ヒズボラの国だけあって、やることがズボラだね」とダジャレを飛ばしたが、誰にも受けなかった・・・。

   次に考えたことは、「ヘチマたわし」は極めて日本的な産物だと思っていたけれど、レバノンの石鹸がこういうことになっているということは、ひょっとして「ヘチマたわし」のルーツは中近東なのかもしれない、ということだった。ヘチマは胡瓜に似ている。胡瓜の「胡」の字は中国から見て西域、中近東あたりを指す文字である。

   胡麻も胡坐も胡椒もすべて原産地は中近東である。そこで「へちま」を調べると、「糸瓜」の別名とあり、原産地はインド。日本に入ってきたのは江戸時代とある。まあ、推測はほぼ的中したことになる。

   驚くべきことはこの次に記すことである。「ヘチマ」は「糸瓜」と書き、「いとうり」と呼ばれたが、そのうちに「とうり」と呼ばれるようになった。「と」の「うり」ということである。ところで、「と」は「いろは」の順番で言うと「へ」と「ち」の間に位置する。「へ」「ち」「間」。かくして、「とうり」は「へちま」となったんですと。知ってました?

●前項で、いろんな本を買い込んで収拾がつかなくなっているという話を書いたけれど、亀の歩みのごとくコツコツと楽しみながら一冊一冊読み進めている。立花隆氏や佐藤優氏のように「映像で読む」という芸当ができないどころか、一字一字声を出して読みそうな按配なので遅々として進まぬが、まあ、それも仕方ない。しかも浮気性なのであれを読み、これを読み、それにも手を付けるというだらしなさなのではなはだ効率はよろしくない。

   そんな中で、目下、夢中になっているのがジョン・トーランドの「大日本帝国の興亡」で、すでに第三巻目まで来た。古本(38年前に刊行)なので、文字のインクが色あせて灰色になっていて読みにくいことや、えらい黴臭いのが玉に瑕だが、面白いからまだ我慢できる。

   何が面白いといって、太平洋戦争の全貌を日米で発表された主な書物や文献を渉猟し、かつあきれるほど多数の関係者(今ではそのほとんどが鬼籍に入っている)にインタビューした後に執筆しているという、その内容の濃さである。この手法はその後、ニュー・ジャーナリズムに受け継がれ、デイヴィッド・ハルバースタムの諸作品に結実しているが、うむを言わせぬその猪突猛進的書きっぷりを見ていると、わが国のもの書きとは「スタミナが違う」と思わざるを得ない。

   そんな「大日本帝国の興亡」を読んでいて心に残ったことをここに書き残しておきたい。

   フィリピン攻略時、司令官として第14軍を指揮した陸軍中将・本間雅晴という軍人がいる。当初の攻略は順調で、第14軍はマニラ市を占領に成功するが。バターンでは米比軍の頑強な攻撃を受け、多数の死者を出し作戦に失敗する。
  
 その後、コレヒドール要塞から日本軍に投降した捕虜を別の地域に移動させるために、過酷な行軍を行い、7千人から1万人の捕虜が死亡したといわれている。いわゆる「バターン死の行進」と呼ばれるものである。

    その時、自らが捕虜になりかねない状況にまで追い込まれていたマッカーサーにとって、本間は許せぬ存在だったに違いない。戦後、マニラ戦犯裁判に、「バターン死の行進」の責任者として本間中将を召喚し、死刑を宣告する。

    本間は、若い時期に英国留学の経験もあり、陸軍きっての親米英派を自認しており開戦にも反対し、比島では陸軍中央から叱責を買うほどに善政を敷いた積りでいたが、復讐心溢れるマッカーサーの前ではどうしようもなかった。

    処刑は、1946年(昭和21年)4月3日午前0時53分、ちょうど4年前に陸軍第14軍司令官であった本間の口より総攻撃の命令が下された同じ月日、同じ時刻にあわせて執行された。当時、ほとんどの将校の死刑が囚人服で絞首刑であったのに対し、本間の場合は、略式軍服の着用が認められ、しかもその名誉を重んじて銃殺刑だった。(同じくマニラの軍事裁判で死刑判決が下された山下奉文の場合は囚人服を着せられたままの絞首刑)

    刑の執行を前に、本間は、次のように語ったという。

「私はバターン半島事件で殺される。私が知りたいのは、広島や長崎の無辜の市民の死はいったい誰の責任なのか、という事だ。それはマッカーサーなのか、トルーマンなのか」。

    本間雅晴中将は黒い頭巾をかぶせられ、柱に縛り付けられた。その時、刑場に本間の、「さあ、来い!」という、気迫のこもった声が響いたという。

    長い前置きになったが、その本間が死刑執行の寸前に、子供に宛てて書いた手紙が、この本には引用されている。この手紙に私は感銘を受けた。長くなるが以下に引用する。

<之は父が御身達に残す此の世の最後の絶筆である。父は米国の法廷に於て父の言ひ分を十分述べて無罪を主張した。然しこんな不公正な裁判でこちらの意見が通る訳はない。遂に死刑の宣告を受けた。死刑の宣告は私に罪があると云うことを意味するものに非ずして、米国が痛快な復讐をしたと云う満足を意味するものである。私の良心は之が為に亳末も曇らない。日本国民は全員私を信じてくれると思ふ。戦友らの為に死ぬ、之より大いなる愛はないと信じて安んじて死ぬ。(中略)

   これから世の中に立っていくに就いて

   常に利害を考ふる前に正邪を判断すること。
   素行上に注意し、汚点を残さぬやうにすること。
   一時の感情から一生の後悔を残さぬやう。

   之を更に繰り返して訓戒して置く。御身等の顔を見ずに死んで行く事は何としても一番大きな心残りである。然しこれも運命で致し方はない。(中略)

   いくら書いても名残はつきぬ。父は御身達が立派な人間として修養を積み人格を完成し世人の敬意を受けるやうな人となることを信じて且つ祈っている。(攻略)>

   昔の人は偉かったとしみじみ思う。彼らは死を贖って、この国の未来を次世代に手渡したわけだが、果たして、我々は彼らの負託に十分応えているだろうか。忸怩たるものがある。

<常に利害を考ふる前に正邪を判断すること。>

   身につまされないか?

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コメント

身につまされます。
こちらも合わせ、肝に銘じます!
<一時の感情から一生の後悔を残さぬやう。>

投稿: okite | 2009年11月24日 (火) 16時20分

先日はありがとうございました。お菓子、おいしかったです。昔の人はいいこと言ってますよね。われわれよりもずっとずっと大人だったと思わざるを得ません。

投稿: okiteさま 路傍より | 2009年11月25日 (水) 20時39分

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