« 立花隆氏と佐藤優氏の博覧強記について | トップページ | 夏目漱石夫人と猫 »

2009年11月 4日 (水)

湯船で谷崎潤一郎を読む悦楽

 
   朝風呂に入るようになってかれこれもう30年以上が経つ。夏場はバスタブに入らずにシャワーだけですませるのだが、今みたいに寒くなってくると湯船につかり、蓋にタオルを敷いてその上に両手を乗せて読書にふけることとなる。

   これが本当に楽しい。夜、ベッドの中に入って本を読むことも楽しいが、生温い朝風呂につかりながらの読書もまた格別の愉楽である。ベッドも湯船もどちらもこじんまりしていて温かい、という共通点があるが、こういう環境で本を読むことが好きなのかもしれない。

   さて、今日は何を読もうかなと、本棚を眺めていたら「谷崎潤一郎随筆集  篠田一士編」(岩波文庫)が目に付いたのでさっそくこれを手にしてバスルームへ。読み始めたら、あまりに面白くてやめられなくなってしまった。汗だらだら。

   何が楽しいといって、一番は「グルーブ感」。昔の正しい日本語で綴られているのに、作者の興が乗ってくると、なんともいえない「うねり」が文章に現われ、そのリズムに身を委ねていると(文字通り素っ裸で委ねているわけだけど)、はなはだいい気分になってくる。例えばこんな具合。

<(・・・・)閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。そうしてそれには、繰り返していうが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻りさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。私はそういう厠にあって、しとしとと降る雨の音を聴くのを好む。殊に関東の厠には、床に長細い掃き出し窓がついているので、軒端や木の葉からしたたり落ちる点滴が、石灯籠の根を洗い飛び石の苔を湿おしつつ土に泌み入るしめやかな音を、ひとしお身に近く聴くことが出来る。>(「陰翳礼賛」P176-177)

「グルーブ感=文章の躍動感」は、また感性の躍動感でもある。よくもまあ、そういう風に感じるね、そういう風に飛躍できるね、とちょっぴり病的な感性の躍動に感心していると、<私は神経衰弱の激しかった時分>(P186)という一文が出てきたので、なるほど「ちょっぴり病的な」感じというのは、そんなところから来ているのかもしれない、と妙に納得してしまう。

  谷崎潤一郎のもうひとつの魅力は、江戸っ子らしい「歯に衣を着せぬ」物言い。晩年は関西を偏愛した作家だが、根っこはちゃきちゃきの江戸っ子である。

<実際、瀬戸内海地方の夕なぎなどに来合わせたら、ほんの少しビールを飲んでさえ直ぐ体じゅうがねとねとして、浴衣の襟や袂は脂じみ、臥ころんでいながら節々がほごれるようで、そういう時には全く慾も得もなく、房事のことなど考えてもウンザリする。>(「恋愛及び色情」P62)

<京橋の大根河岸あたりだったと思う、鏡花のひいきにしている鳥屋があって、鏡花、里見、芥川、それに私と四人で鳥鍋を突ッついたことがあった。>

  鏡花は衛生家で、用心深く、よく煮えた鶏肉しか食べないのだが、谷崎はよく煮え切らないうち食べてしまう。

<(・・・・)鏡花は、だから予め警戒して、「君、これは僕が喰べるんだからそのつもりで」と、鍋の中に仕切りを置くことにしているのだが、私は話に身が入ると、ついうっかりと仕切りを越えて平らげてしまう。「あッ、君それは」と鏡花が気がついた時分にはもう遅い。その時の鏡花は何ともいえない困った情けない顔をする。(・・・)その顔つきがまたおかしくて溜らないので、時にはわざと意地悪をして喰べてしまうこともあった。>(「文壇昔ばなし」P272)

  こういうお茶目なところも魅力のひとつである。

|

« 立花隆氏と佐藤優氏の博覧強記について | トップページ | 夏目漱石夫人と猫 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 湯船で谷崎潤一郎を読む悦楽:

« 立花隆氏と佐藤優氏の博覧強記について | トップページ | 夏目漱石夫人と猫 »