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2009年12月

2009年12月28日 (月)

「トイレの作法」試論

  
    消臭スプレーの話を書いたからなのか、トイレのことをあれこれ考えるようになり、いつの間にか、頭の形がTOTOのようになってきた。これから先はトイレ話を全面スプラッシュしたいと思う。尾籠な話も山盛りなので、その手のお話が苦手な方はそそくさとお引き取りいただきたい。誤って踏んづけると、滑ってころんで大変なことになっちゃいますよ・・・。

  女性の方々には想像もつかないことだが、長年にわたって、男性用小用便器を使用していると、たまに思いがけない出来事に出くわす。ご承知のように、百貨店や会社や映画館などでは、男性用小用便器は横にずらりと並んでいる。これは世界中(といっても知っているのは15カ国で、アマゾンの奥地やアフリカについては知らないが)どこでもそうなっている。

  その便器間の境目には小さな目隠しが設置されていることもあるが、たいがいは何もない。ジョジョーと排泄していると、見知らぬ誰かが隣にやって来て、やはりジョジョーとやっている。別に首を曲げて覗き込むわけではないのだが、なんとなく雰囲気で、その見知らぬ誰かの排泄行為は大体が自分と似たり寄ったりなのであるということは察知される。

    しかし。ときにぎょっとするような振る舞いをする御仁が隣に来ることがある。会社の同僚のS君は雑誌を持ってトイレにやってきて、雑誌を小脇に抱えた後、チャックを下ろし、下着の中から泌尿器をおもむろに取り出して、しかるのちに、再び両手で雑誌を持ちなおして読みふけりながら排尿するのである。

    うーむ、われわれ小物にはとても真似のできることではない。小物は小物ゆえ、両手できちんと目指す方向を良導してやらないと、あたり一面の惨劇を招きかねないのである。しかるに、S君は・・・・。いったいどうしているのであろうか。長いホースを便器の端にちょこんと乗せて、その豊かな自重でもって方向性を確保しているのであろうか。

    まことに興味深く、ちょっと覗き込んでみようかという誘惑にかられはしたが、さすがにそれも憚られ、「手離し排尿の奥義」はまだ見極められないでいる。

    かと思うと、ときどき、とんでもない奴が隣に来ることがある。女性の方々はこれまたご存知ないであろうが、男性諸氏は排尿後、淑女の皆様のように「紙で拭く」ということをしない。え、と驚かれるかもしれないが、残念ながらしない。では、どうするか。簡単なことである。尿道に残った出残りをしごき出し、かつ先っぽに残った「しずく」をぷるるんとはね飛ばし、「これできれいになった」ことにして、そそくさとホースを格納するのである。

  冷静に考えてみると、ちっとも「これできれいになった」わけではないと思うのだが、ここであんまり神経質になっても仕方ないので、とにかくそれでよしとするのである。この「しずく」のぷるるん行為は人によってまちまちで、下半身全体を上下にゆすり(オランウータンがウホッホと叫んでいる状態に似ている)、その動きにシンクロしてホースがたゆたい、結果しずくをはね飛ばす人がいるかと思えば、指先のみの動きで、厳密に言えば人差し指と中指の間にホースを挟んでぴゅっとしずくをとばす人もいてまちまちであるが、まあ、一般的に言ってそれらは常識的なぷるるん行為であると言っても差し支えないであろう。

  先日出くわした「戦慄のぷるるんオヤジ」はそんな常識的なものでは一向になかった。なんと、ホースの根っこを右手でしっかと押さえ、縄跳びの紐を360度振り回すようにブルルン、ブルルンとぶん回し始めたのである。王貞治の一本足打法も真っ青である。「テメー、このやろ。テメーのしずくが私のズボンやきれいに磨いた靴にかかるじゃねえか」とガツンといってやりたいのだが、なにしろこちらも最中であるから、はなはだ気合いが入らない。

  何にも言えなくて、ただ、この「戦慄のぷるるんオヤジ」側ではない方向に身をよじって避け(といっても何しろ最中なので、慎重にツツツと逆サイドに両足を寄せ)、前代未聞の災禍から身を守ろうとするばかりなのであった。

  さて、こんな珍妙な体験を積み重ねるうちに、私は「トイレにおける人の所作」について色々と考えるようになった。もっと正確に言うと「トイレでの作法を人はどうやって学ぶのか」に思いを至すようになったのである。

「トイレでの作法を人はどうやって学ぶのか」。これについては男性も女性もないのだが、振り返って考えてみると、実はこのことについて、私はきちんと学んだという記憶がない。ナイフとフォークを使っての食事のマナーについては学校で確かに学んだが、大小便の排泄方法とその後の処理について、義務教育課程では誰も何も教えてくれなかったのである。

    もっと言うと、食べること、排泄すること、眠ることなどなど、人の一生において数限りなく繰り返される一連の行為について、義務教育は実に不思議なことに、なにほどのことも教えてはくれないのである。本来ならば、その意味や適切な方法や知恵について、人生の先達たちが教授してくれてもよさそうなものだが、そのことについては誰も配慮してくれない。因数分解やモル数や源氏物語や三権分立については教えてくれたけれど、「適切なぷるるん行為」については誰も教えてはくれなかったのである。

    そしてどうなったか。誰もその適切な方法を教えてはくれないにもかかわらず、どなたにも事態は切迫する。しかたなく我々は、まだ物心のつく前から、必死でそれまでの短い人生経験を参照しながら、まるで孤児のように、なんとか独力で事態を解決し、乗り越えてきたのである。

    ことは単に「ぷるるん行為」だけではない。まだ幼い我々を待ち受けているのは、「小」だけではなく、情け容赦なく「大」の試練も襲い掛かる。かちんかちんで切れちゃいそうなときはどうすればよろしいのか。しゃびしゃびでひっきりなしに間歇的に溢れ出そうなときはいかに対処すればよろしいのか。事後、どのように拭けばよろしいのか。前から? 後ろから? 紙はどのくらい重ねておけば指の安全は確保されるのか? 清拭後は、紙を視認し、まだ拭き足りないのか、もうこれでよろしいのかを判断する? どのくらい拭けば「よし、これでよし!」となるのか。

    いたいけな子供たちは、このすべてを一人ぼっちで、対応してきたのである。考えてみれば涙ぐましい試練であると言わざるを得ない。するとここで、「いや、小さい頃に親に教わっただろう」という反論をする方がいるかもしれない。確かにオムツが取れた頃に、親はいくつかのアドバイスをしてくれたかもしれないが、そんなことあなた、覚えていますか?

    あらゆる人は、人生のごく初期に両親から「排泄のマナー」について教えられたかもしれないが、そんなものは比喩的に言えば2,3歳のころに「あいうえお」を教わるだけで、あとは自力で哲学書を読めるようになるようなものではないのか。だいたい、男性の「ぷるるん行為」について、女親が適切な指導ができるとはとても思えないではないか。

    かくして、人は、おのがじし、トイレという密室の中で他者からの指導や影響を受けることなく、その一生を使って、独力で、自らの経験と発意と知恵のみで「トイレの作法」をあみ出し、進化させてきたのである。密室ゆえに相互の影響もない極めて独自な進化である。まるでガラパゴス諸島で、生物たちが他の地域とは全く違う進化を遂げたように、各自、個室でユニークな進化を遂げたのである。

    前述の「戦慄のぷるるんオヤジ」などは、そのいい例である。しかし、これはあくまで「小」の方の話であって、男性の「小」はOPENな環境下で遂行されるため、まだしも相互の影響や学習の機会が保たれていて、腰を抜かすほどの進化とはなりえていないように思う。

    驚愕の進化は、個室でこそ遂げられる。男性の「大」、女性の「小」「大」「その他」は想像するに(想像するしか手立てはないのだが)、「想像を絶する」進化を遂げているに違いないと思う。

    常識的に考えて「そっちの方向に進化しちゃまずいだろう」という進化でさえ、それを阻止し、押し留める要因が皆無なため、カンブリア紀の生物のように多彩で爆発的なものになっている可能性は大きいのではなかろうか。

    しかし、その「進化の驚愕的多様性」について、我々はついに知る機会はない。なぜなら、よっぽどの物好きたちが、自らの進化について赤裸々にカムアウトしない限り、知りえない事柄だからである。

    そんなこと、誰もしませんわね。

    しかるに、なぜ私が「トイレにおける作法は独自に進化する」という考えにとらわれたかというと、ごくまれに「自らの作法」と「他者の作法」が違うということを知る機会を持ったからなのである。

    もう何十年も前のことだが、会社の女性用トイレの前を通りかかったとき、その中から「カランカランコロンコロン」という音が高らかに聞こえてきたことがあった。今から思えばその音はトイレットペーパーホルダーの金属製のカバーが、ホルダーが取り付けられているタイル壁に勢いよく当たって奏でる音だったのであるが、そのときにはまだ、なぜカバーが勢いよく壁に当たるのかが分からなかったのだ。

   それからしばらくして、会社の作業台で残業夕食のラーメンを何人かで食べていたときのことである。その作業台の上には、口を拭いたり、台を拭いたりするためにトイレットペーパーがひとつコロンと置かれていたのだが、一人の女性が食べ終わるや、そのトイレットペーパーを手に取って両腿の上に置き、両手でペーパーの端をつかんで両手をクルクルと猛然たるスピードで回し始めたのである。うまく説明しにくいのだが「カイグリカイグリトットノメ」を行うときの手の動作と同様の動きである(もっとわかんないか)。

   その時、私は「わお、トイレットペーパーをそんな風に勢いよく大量に取り出す人がいるのか!」と驚いた。私のそれはもっと静かで慎ましやかなものだったからである。驚いて聞いてみた。

「あのー、トイレでもそうやって勢いよく紙を取り出してるの?」
  彼女はちょっと困惑し、顔を赤らめて「うん」と答えた。

    なるほど、あの「カランカランコロンコロン」はそういう理由だったのか、と得心するとともに、紙の取り出し方ひとつとってもこれほどに自分と違う人がいるのかと驚くことにもなった。

    もう一回の体験は、何かの拍子で(多分、銀座のクラブでだったと思う。話すことが何もなくなったので、やけっぱちでその話題を唐突に持ち出したような気がするが、何しろ酔っ払ってのことなので正確には思い出せない)、「お尻を拭くときは前からか後ろからか」という下らない問いかけを周囲の若い女性たち(ホステスなんですけどね)に投げかけたことがあった(それも複数回)。

「前からか後ろからか」というのは、「前から後ろに向って拭くのか、後ろから前に向って拭くのか」という下らない問いかけではない。手を前からもっていくのか、後ろから持っていくのか、というもっと上質な質問だったのであるが、彼女たちは「はあ?」という顔をして、「そんなの、後ろからに決まってるじゃないの」と応答したのである。

  私は驚いた。「え? 後ろ? あのね、手をどちら側から持っていくのかという話だよ。前ならば、両脚の間に、つまり股間に空隙があるからすんなりそこから差し込めるよね。でも後ろだったら、便座にピッタリくっついているお尻を少し持ち上げて隙間を作り、そこから手を持っていくんだよ。わかってんの? そんな面倒なことをしてまで、後ろなの?」「そうよ」「・・・・・・・・」

  私はまたしても、驚愕した。私には「前」しか不可能なのである。腕が短いので、とても後ろから回しこむことなど不可能なのである。もう五十数年間、ずーーーと「前」からであって、それ以外に選択肢はない。私にとっては「前」が常識だったのであるが、しかし、目の前にいるこの人たちにとってはそんなことは全くの「非常識」だったのである。

   そんな経験を通して、私は、少なくとも「トイレの個室での作法」は人によって全く違う。1000人いれば1000通りの「その人にとっての常識」があるのだ、ということをしみじみと悟ったのだった。

  人は、その生涯を費やして、たった一人で、誰からの手助けをも受けることなく、孤独に、自らの「トイレでの作法」を確立していく。その作法は、人生の晩年ともなると、それなりの完成度を見せているに違いない。

  しかし、その人が一生を費やして辿り着いた「トイレでの境位」も、その人が死ねば同時に死に絶える。一生涯かかって完成させた「トイレの作法」は、誰にも伝承されることなく、無に帰するのである。そう、このブログをあなたが読んでいるたった今も、世界中で、様々な「トイレの作法」が消滅していっているのである。

  そうして、ここまで考えてきて分かることは、その人が死ぬことによって消え去ってしまうものは、何も「トイレの作法」に限らないだろう、ということなのである。思想も、哲学も、文学も、みなおなじように、泡のように消え去っていくもののように思われるのである。

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2009年12月21日 (月)

トイレの消臭スプレー随想

    会社のトイレに「消臭力」という名のスプレーが置いてある。

    もちろん、ナニの直後にシューっとして、ナニの臭いを和らげ、あとから来る人に不快な思いをさせないための物である。なかなか気の利いた商品であるが、これは私が近所のドラッグストアで買ってきて、会社のトイレに置いたものでもある。

    ナニの最中には何か読み物が必要である。新聞や雑誌などが最適であるが、ときとして持ち込むことを忘れたりする。

    そんなときには何でもいいから何か読むものはないかとあたりを見回す。どうしても見つからないときには、財布からお札を出してしみじみ眺めたり、クレジット・カードの裏側をじっくり読んだりする。

    先日もそうだった。たまたまスプレーがあったので手にとって細かく読んでみた。読んでいるうち、アレッと思うことがあった。商品名は「消臭力」なのだが、最後の「力」の下にカタカナで「リキ」と書いてあるのである。

「ショウシュウリキ」? 「ショウシュウリョク」じゃないのか。何でだろう。ショウシュウリキ、ショウシュウリキ、ショウシュウリキと口ずさんでいるうちに、おお、と思った。「長州力」のもじりなのか。それは凄い話ではないか。

    トイレの臭い消しのスプレーに「長州力」をもじって「消臭力」というネーミングにするなどというのは只者ではない。きっと関西の会社であろう、とスプレーの底を見ると「エステー株式会社」とある。どうも、関西系ではなさそうである。

    世の中には凄い人がいるものだと思いつつも、長州力の気持はいかばかりであろう、と思ってみたりした。

    その後に思ったことは、「消臭力」では一般名詞すぎて、商標が取れなかったのかもしれない、ということだった。そこで一計を案じて「力」を「リキ」と読ませる。そうすることで商標を確保する。実際は、そういうことなのかも知れない。

  というところまで考えたとき、扉をコンコン叩く音がして、「いいかげんにさっさと出たらどうなんだ!」とどやされた。こんなやつのためにスプレーを使用することはよそうと思った。

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2009年12月17日 (木)

内田樹「日本辺境論」を読んで分かったこと

  内田樹氏の「日本辺境論」(新潮新書)を読了。といっても、発売と同時に買って読み終えたので、読了したのは随分前のことなのだが、なかなか感想を書く気がおきなくて今日になってしまった。

  書く気がおきなかったのは、もちろん、あまり刺激的ではなかったからである。なぜ刺激的ではなかったかというと、その理由ははっきりしている。氏のブログをこまめにチェックしている「タツラー」(内田ファン)の身には、書かれていることの大半がすでに、氏のブログで読んでしまっていることだったからである。つまり、「この話、もう読んだことがあるよ!」という、はなはだ新鮮味に欠けた内容に思えたからである。

  やっぱり、書下ろしの新刊を上梓する場合には、その中身をちょろちょろ小出しにするべきではないのではないかと思わざるをえない。それは、言ってみれば、ある映画をロードショーで公開する前に、パート、パートをTVで小出しに見せるような、あるいは、絶世の美女が、結婚前にパートナーにその裸身をチラチラ晒して見せるような、そんな種類の愚挙に類するのではないか(ちょっと違うか?)。

  そんな退屈さの中で、おや、と強く興味を引かれたのは、内田氏が人称代名詞に関して言及している個所だった。内田氏は、この本を書き始めるにあたって、自身のことを「ぼく」と記述することにしたのだという(なんだか村上春樹みたいだが)。ところが、あれこれ難しい話を書いているうちに、どうしても「ぼく」では乗り切れなくなったというのである。内田氏はこう書いている。

<(・・・・)とにかく勢いで突破せねばならない行論上の難所にぶつかったとき、「私」に切り替えたのです。「ぼく」では腰が弱すぎて、この難所を越えられないと思ったからです。

「ぼく」という書き手は読者と非常に近い位置にいる(ことになっている)。だから、想定読者がたぶん知らないような人名や概念には言及しない(言及する場合もかならずていねいに説明して、「周知のように」というような意地悪なことはしない)。いつも読者と「同じ目線」をキープして、「この人は、読者を置き去りにすることはないよな」と読者を安心させておいて、ゆっくり進んでゆく。ところが、ときには読者との親密な距離を保っていると飛び越えることができない行論上の段差に出くわすことがあります。読者と手を繋いで歩いている限り、それは飛び越えられない。一時的にではあれ、読者を置き去りにして、書き手だけが必死の思いで「向こう側」に飛び移り、それから縄梯子を作って垂らすというような二段構えでゆかないと越えられない難所がある。>(P213-214)

  内田氏は、これに続けて、とりわけ、「宗教」のことを論じ始めたときに、「ぼく」で書き続けることに困難を覚えた、と告白している。それを読んで、どれどれと、その部分を再読してみると、「私を絶対的に超越した外部」(P159)という文言に出くわした。なるほど、確かにこれが、「ぼくを絶対的に超越した外部」であったならば、どうにも緊張感が足りないよな、と実感した。へなへなでなかなか前に進みにくいというのはよく理解できる。

    それだけではなく、「日本辺境論」は全編「です・ます」で書かれているが、注意深く読むと、ところどころでそれが破綻している。「だ、である」に切り替わっている場所が数箇所あるのである。これも、「行論上の難所」を乗り越えていくためには必要な処置だったのだろうな、となんとなく納得できないわけではない。

  しかし、さて、とその次に思ったのである。「私」が「ぼく」でも、「だ、である」が「です、ます」であっても、本1冊を通じて筆者が読者に伝えたいと思ったことは、ちゃんと伝わるのではないか。筆者が懸念するほどに、語句の微妙な差異は、読者の理解の妨げにはならないのではないか、と感じたのである。

    なぜというに、たとえば、外国語で書かれた文章を読んでいるときのことを思い起こしてみればいい。英語ならば、Iという「私」があり、BEという「です、ます」 があるばかりなのに、私たちは、それを適切に日本語に置き換えて筆者の言わんとするところを理解しているのである。同様の脳内作業を行えば、内田氏が読者に伝えたかったことは、「私」が「ぼく」でも、「だ、である」が「です、ます」であっても、理解はできるはずなのである。

    つまり、内田氏がこの本一冊を使って読者に伝えようとした「知的な標高」は、語彙の瑣末な差異(しかもその差異は、日本語のネイティブでないと、感覚的には理解しがたいだろう)などとは関係なく、読者の知的作業を経由して十全に伝達されるのではないか。

    そう考えていたときに、内田氏のブログで、こんな文章に出くわして、なーるほど、とまたしても思ってしまったのである。

<書物を読むというのは理想的にはその書き手の思考や感情に同調することであるけれど、よほどの幸運に恵まれないかぎり、そんなことは起きない。
私たちにできるのは、文字を読むことと音声を聴くことだけである。
書き手の脳内に何が起きたのかを知ることはきわめて困難であるけれど、書き手がその文字を書き記していたリアルタイムにおいて書き手が「その文字」を視認し、「その音声」を聴取していたことはまちがいない。
その文字を見つめ、音を聴く限り、読み手と書き手は「同じ経験」を共有している。
「作者は何が言いたいのか?」というようなメタレベルに移行した瞬間に、「同じ経験」の場から私たちは離脱してしまう。
あらゆる感情移入はまず身体的体験の同調から始まるべきだと私は思う。
そのためには「理解する」や「解釈する」や「批判する」より先に「見る」と「聴く」にリソースを集中すべきだと私は思っている。
たいせつなのは外部からの入力を自分の脳内に回収して、分類し、整序してしまうより前に、手つかずの外部入力「そのもの」に、「生」の入力情報に、身体的に同調してみることだと思う。>(2009年11月28日)

 つまり、内田氏は、内田樹が、キーボードでその文字を打ち込み、脳内ではその文字を音声化して反芻している、まさにそのリアルタイムの成行きにこそ、読者は同調すべきなのだと言っているのである。外国語を日本語に置き換えて、読み進む行為に一瞬遅れて理解するような、調理的理解ではなく、今目の前で生成する「生モノ」に接する行為こそが読書の醍醐味なのであると、繰り返し主張しているように思える。だからこそ、内田氏にとって、一人称は「ぼく」ではなく「私」であらねばならず、「です、ます」が時には「だ、である」に変換される必要があったのだな、と理解できる話ではある。

 そして、この文章を読んでいるうちに、私にとって、「内田氏の書き物を読む快感」というものがどういうものであるのかが、分かったような気になった。

 端的に言うと、「内田氏の書き物を読む快感」とは、その書き物が到達した「知的な標高」の高さそのものではなく、内田氏がその「標高」に到達するまでのプロセスの「特異さ」を味わう喜びなのである。「知的な頂上」(それがエベレスト並みなのか愛宕山並みなのかは読者ひとりひとりによって異なるだろうが)に辿り着くまでの、内田氏の、その登りっぷりを見ていること楽しくて仕方ないのだ。

 内田氏は、ときに片手で、時に墜落しそうになりつつも、誰も登ったことのないルートを(わざわざ選びながら)、素手で、果敢に攻めるのである。氏が「理路」といい「行論」というのは、まさにこの「登攀ルート」に他ならない。その奇抜でアイデアに富み、かつアクロバッティックな「登り方」が、下から見上げているものにはたまらなく面白いのだが、登攀者にしてみれば命がけである。

 手が滑れば、真っ逆さまの即死だからこそ、「ぼく」ではなく、「私」という人称のロージンバッグを手のひらに丹念になでつけながら、内田氏は今日も、一歩一歩這い上がっていくのである。まことに申し訳ないけれど、それを下から見物させていただく恍惚は、読書が持つ、無上の喜びを私に思い知らせてくれるのである。

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2009年12月 8日 (火)

ネズミが来た!

 
   築10年の木造住宅に住んでいる。自室は1階の北側にあり、毎夜そこで眠っている。真上には台所と風呂場がある。バスタブには一晩中お湯がたまっているので、その真下は気持、暖かいような気がする。

 そのせいなのかも知れない。毎夜、3時か4時頃、ネズミくんがやって来る。

   初めてその足音を聞いたのは4年ほど前のことである。シーンと静まり返った真夜中、天井に、パタパタパタという、ネズミくんのかわいい足音が聞こえた。四肢の動作が手に取るように分かる、細かな足音である。

   最初は、幻聴ではないかと、思った。ついに自分は精神が錯乱してしまったのだと思ったのだ。アメリカ風輸入住宅の1階の天井裏をネズミくんが走り回るなんてことを、誰が思いつくだろうか。

   しかし、それは幻聴などではなかった。ネズミくんは毎夜、決まった時間になると、頭上を走り回り始めたのだ。家を建ててくれた工務店の担当者を呼んで、夜中にネズミくんが走り回って困る、と訴えたのだが、しばらく家の周りを調査した後、「ネズミが入り込むすきまなどありません」と断言して帰っていった。

   仕方がないので、大好きなホームセンター「Jマート」に行って、ネズミ撃退機(コンセントに差し込むとキーンという超音波を発する)を数個買ってきて部屋のあちこちに取り付けてみた。そのおかげか、ネズミくんは、しばらくはおとなしくしてくれていたようである。

   しかし、ここ最近、撃退機などなんのその、ネズミくんは毎夜3,4時にパタパタパタという足音をさせてやってくる。普通は歩いているのだが、時々は走り回ったりしている。時には複数の仲間もやってきているのか、チューなんていう奇声をあげたりして騒いでいる。

   最初のうちはスリッパを天井に投げつけたり、ゴルフ・クラブで天井をガンガン叩いたりしていたが、全然効果がないのでやめた。そのうちに年老いて、死んでしまうだろうと思ったのだ。もっとも、その子供たちがやってくるかも知れないけれど・・・。

   子供の頃、大阪市阿倍野区阿倍野筋の長屋のような住宅に住んでいた。平屋で3軒ぐらいが連なっていて、境目は単なる土壁が一枚あるきりだったから、落語に出てくる長屋のようなありさまである。昭和30年代の話である。

   この家でもネズミくんは跋扈していた。夜中に家族4人が並んで寝ていると、天井裏をドタバタドタバタと走り回っていた。そのこと自体には、別段に問題はなかったが、困ったのは、天井からネズミくんのダニが落ちてくることだった。朝起きると、お腹のあたりが咬まれてプチプチと赤くなっていた。

   やつらをやっつけなければならない。親たちはそう思ったに違いない。猫いらずが家の各所に置かれ、ネズミ捕りのボックス(針金の網でできたやつ)もしかけられた。

   ある夜、押入れから布団を出そうと、襖を開けると、布団の隅に、ネズミくんがいた。元気がなく、じーっと暗い目でこちらを見つめていた。猫いらずを食っちゃったのだ。この毒を食らったネズミくんは、明るいところに出てきて昇天する。今わの際のネズミくんの目はなんともいえず恨めしそうだった。

   明るいところに出てきてくれるネズミくんはまだ立派なほうで、中には天井裏でご臨終になるネズミくんもいた。するとどうなるか? 天井裏で腐るのである。2週間ほど、家の中に腐臭が漂う。その臭いは今でも思い出すことができる。独特の甘い臭いである。そして、天井の板に半径50センチほどの奇妙な形のシミができた。

   当然、ネズミ捕りの網にかかるネズミくんもいた。網の中でチューチューいっている。哀れである。

   長屋の前には下水が流れていた。幅25センチ、深さ15センチほどのくぼみが走っていてそこを生活排水が流れている。蓋はない。ときどきキャッチボールのボールがその汚い下水に飛び込むことがあったが、当時の少年はそんなことは一向に平気で手で拾ってキャッチボールを続けていた。

   その下水の壁はぬるぬるしていて、よーく目を凝らしてみると、角ばった場所に赤い色をした糸のような虫がへばりついてうようよしていた。金魚の餌にするような虫である。近所の少女たちはこの下水に跨っておしっこをしていたから、大らかな時代である。当然われわれもそこでおしっこをした。

   そんな下水があちらこちらから集まるコーナーのような場所があり、そこの水位は50センチほどの深さがあった。網に入ったネズミくんはザブザブとそこに漬けられた。何とか呼吸をしようと鼻を上に向けチューチュー泣いている。

   たまたまそのとき、そばに祖母がいて、手に金槌を持っていた。それで、網から必死で突き出しているネズミくんの鼻先をガツンと叩いていた。いいようもなく哀れである。死んだネズミくんをどうやって処分していたのかは皆目記憶にない。

   そんな具合で、ネズミくんとの付き合いは長い。

   高校時代のことである。実家が山奥なので、一般の民家に下宿していた。朝晩、食事を用意してもらい、風呂にも入らせてもらっていた。ある夜、喉が渇いたので、台所に入っていき、パチンと電気をつけた。その瞬間、ガサゴソガサゴソという音がした。何事だ、と驚いてそのほうを見ると、トースターのパンを入れるところ(長細い入り口)からネズミくんが、よっこらしょと出てきたのだ。

   驚いた。あんな狭いところからもぐり込んでパンくずを食っていたのである。トースターから飛び出したネズミくんはたちどころにいなくなってしまった。

   困惑したのは翌朝である。朝起きて、食卓につくと、お皿の上にはトーストが乗っていた。うーむ、とためらった。食うべきか食わざるべきか。しばし悩んだが、トースターの中にネズミくんが入り込んでいますよ、とは言えなかったのだ。

   悩んだ末に高校生の私は、えーい、ままよとそのトーストを食べてしまったのである。熱で消毒されているから大丈夫だ大丈夫だと自分に言い聞かせながら・・・・。

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