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2010年1月13日 (水)

ああ、食中毒

 
    やばいよな、やばいよな、とずっと思っていたのである。

  三鷹駅南口を出て数分の場所に小さな中華料理屋がある。その店の餃子が好きで、帰りがけに餃子をサカナにビールを1杯のむのが、最近のささやかな夜の楽しみだったのだが、餃子を頬張りつつも、これでは、いつかおなかが痛くなっちゃうかもしれないな、と思い続けてはいたのである。

  カウンターだけの中華料理屋に座ると、私は必ず、まるでFBIかCIAのように眼光鋭く、料理人の行動を監視する癖がある。「ちゃんと食器を洗っているかどうか」「不潔な手で料理を作ってはいないか」を神経質にチェックするのである。

  私のそんなチェック眼からすると、この店はもう、まるでダメ、話にならないくらいに不潔だったのである。店は初老の夫婦(だと思う、多分)が営んでいる。四角い感じのちょっと疲れた親父が中華鍋をふるい、髪をひっつめにし、なぜかいつも真っ赤な口紅をつけた小太りのおばちゃんがそれ以外の仕事をこなしている。

  この小太りおばちゃんの食器洗いが、でたらめ至極なのである。まず、油のついた皿やどんぶりを洗剤のついたスポンジでくるくるっと洗うと、水のたまったシンクの中にじゃぽんと投げ込む。その水は洗剤やらなんやらで、どよんと灰色に澱んでいる。普通の店では、蛇口から潤沢に水がほとばしりでているものなのだが、この店は違う。蛇口はなぜかきっちり閉められている。

  おばちゃんが、この汚れた水溜りから皿を取り出すの初めて目撃したとき、私は当然、流水ですすぐのだろうな、と思ってにらみつけていたのだが、あろうことか、おばちゃんはそのまま平然とステンレスのカウンターの上に無造作に食器を積み上げたのである。え、それで食器洗いはおしまいなの? と仰天した。そう、それでおしまいなのだった。

  積み重ねられた食器の端々には、蟹さんの口からでたような泡がまつわりついているようにさえ見えた。や、やばい。こんなことでは、新婚カップルがここで食事をしていたら、必ずや畸形児が生まれるに違いない、と思った。

    以来、私はやむなくこの店で餃子を食べたりビールを飲んだりする際には、店に備え付けのティッシュペーパーを10枚くらい取り出して、ぬめぬめした醤油の小皿や、ほとんど半透明になってしまったコップをコキコキと清拭したのちに、食事に取り組んではいたのである。

    しかし、そうしつつも、こんなことではいつかはおなかが痛くなるな、と思っていた。これではまるでロシアン・ルーレット中華であるな、と。ここまで読んできたあなたは、「そんな店に行かなけりゃいいじゃないの」と冷静に思われるに違いない。

    それはそうなのであるが、しかし、人間とはなんと愚かな生き物なのであろうか。分かっていても入っちゃうのである。三鷹いち危ないその餃子は、残念ながら旨かったのである。

    新年早々の6日の夜9時。家に帰る前に、ビールと餃子、やっちゃおう、といそいそと店に入った私は、いつものルーティンどおり、ティッシューで食器をコキコキ拭いたうえで餃子をくらい、ビールをグビグビ飲んだのである。

    いい気持で家に帰り、風呂に入ってバスタブの中で30分ほどうとうとしたのち、体を洗おうと思って這い出したところ、来たのである。キュイーーーンという痛みと、味わったことのない気持ち悪さが。

    裸である。苦しくて立ち上がれないのである。四つんばいになって肩ではあはあ息をするしかない。立ち上がって脱衣場に脱出しようとするのだけれど、それが出来ないのである。立ち上がれないのである。

    ああ、こんなところで、こんな格好で死んでしまうのか。情けないな、と頭の隅では妙に冷静に事態を見つめている自分がいる。その一方で、絶望的に気持ちが悪いのである。

    15分ほどはあはあ喘いだのちに、やっとのことで外に出て、バスタオルで体を拭く間もなくベッドに辿り着き、倒れこむ。ぐ、ぐるじーーーーー。それから24時間、文章化することがはばかられる苦闘が続いたのだった。

    翌7日は一日病臥。しかし8日の午前中に、どうしても出ねばならぬ打合せがあったため、万が一に備え、カバンにズボンとタオルとパンツを詰め込み、這うようにして自宅を転がり出たのだった。

    ノロウィルスにご用心!

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