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2010年1月

2010年1月25日 (月)

WEBの簡便

  
    この土日は、スーパーや百貨店などをあちこしして、「千葉産の落花生」と「木製のおたま」を探し回った。

  これがないのである。スーパーで「千葉の落花生」と表示されているものを見つけて、「あったあ!」と喜び駆け寄り、裏の原産国表示を見ると、「中国産」と記されている。なんだよ、「千葉産」じゃないではないの、と頭に来る。

「木製のおたま」も見つからない。味噌ラーメンを食べるときについてくる木製の大きなスプーンみたいなものならばいろいろある。しかし、味噌汁をよそうような、でっかい木製のおたまはないのである。

  ほぼ2日間をこの捜索で費やし、ぐったり疲れて家に帰り、PCで検索してみたら、出てきましたねえ、いっぱい。もうびっくりです。こんなことなら、最初からWEBを調べればよかった、と後悔しきり。

  しかも、WEB上で注文もできる。すぐに注文。もうすぐ配達されるはずである。嬉しい。

  しかし、なぜ「木製のおたま」と「千葉産の落花生」という、妙なものが欲しかったのかは、聞かないでほしい。

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2010年1月22日 (金)

ツイッター考

    ツイッターが殷賑を極めているらしい。

    なんじゃ、ツイッターって、と思う方はこのあとに続く文章を読んでも多分ちっとも面白くないだろうが、そう言ってしまっては実も蓋もないので説明してみると、まあ、「ミニ・ブログ」みたいなものである。

    ただし、ブログと違って、ツイッター(twitter)には、文字数に140字という制限がある。どんな話題も140字以内で書かねばならない。自身で書いてみればすぐ分かることだが、140字ではほとんど何もいえない。少なくとも説得力のある話をごりごり書き連ねることは全く不可能なのである。

    ところで余談だけれど、オーディオ好きの方はスピーカーシステムの中で、高音部を受け持つスピーカユニットのことをツイーターと称することをご存知であろうが、これも同様にtwitterから来ている。小鳥のさえずり声に由来する。

    同じアルファベット綴りなのに、その読み方をカタカナ表記で微妙に違え、それぞれに違う意味を授けるというのは日本語でちょくちょく起きることである。

    例えば、「資金洗浄」のことは「マネー・ロンダリング」といい、「クリーニング屋の仕事」のことを「ランドリー・サービス」というが如く。

    まあ、以上はどうでもいい豆知識。本題に戻る。人が書いたツイッターを覗いてみると、140字という文字制限があるために、語義どおり「小鳥のさえずり」のごとき「言説」で満ち満ちている。

    いや、正確に言えば、それは「言説」などというものではなく、実際はそのほとんどが、どうでもいい「おしゃべり」や「たわごと」の類なのである。

    ツイッターのホームページを見ると、その仕組みを次のように説明している。

<Twitterは「What are you doing?(今、何をしてる?)」をひたすら更新していくという、とてもシンプルな Webサービスです。ユーザー登録をすると自分専用のページが作成され、そこから何しているかを更新(発言)していきます。個々の発言にはユニークな URLが付与され、(設定を変更しなければ)誰でも見ることができます。(とても手軽に更新できる、小さなブログのようなサービスということから「ミニブログ」などと呼ばれることもあります。)>

<これだけでは単に独り言をつぶやくだけのサービスですが、Twitterには フォローという、mixiの"マイミク"のように、他のユーザーを友達のように登録する機能があります。他のユーザーをフォローすると、自分以外のユーザーの発言を自分のページに表示させることができます。フォローするユーザーを増やしていくことで、「駅前のカフェでコーヒー飲んでる」「仕事中。忙しい!」などといった色んな人の発言が次々に流れてくるようになります。>

<さらにこの発言に返事をすることができ、「そこのケーキおいしいよ!」とか「お仕事がんばって!」などと話しかけることもできます。この返事は他のユーザーからも見ることができるので、さらにそこから大勢で会話をするような形に発展していくこともあります。Twitterは文化的に誰でも自由に フォローしたり、外れたりしてよいということになっているので、見知らぬ人でも比較的気軽にフォローすることができます。こうしたゆるやかなつながり、自然発生的なコミュニケーションが Twitterの魅力といえます。>

  つまり、この説明をその通りに受け取れば、ツイッター上には、「今、何をしてる?」「駅前のカフェでコーヒー飲んでる」「仕事中。忙しい!」「そこのケーキおいしいよ!」「お仕事がんばって!」といった類の、私に言わせればはなはだ空疎な話題が飛び交っており、しかもその話題にぞろぞろとフォロワーが連なり、2009年6月の時点で、世界中で3700万人もの利用者が存在するのだという。

  ここまでお読みになった方は、私がツイッターを、あまり好意的には捉えていないということにお気づきだろうと思う。いや、「非好意的」という形容は正確ではない。はっきりいって、私は、この「ゆるくて」「なまぬるい」コミュニケーションのありように虫唾が走るのである。

  この癇の障りようが何に由来するのか、実は自分でもよく分かっていない。このぼんやりとした不快感のよって来るところを解明するために、もうすこしこの話を書き進めたいと思う(こういうことは、ツイッターでは全く不可能なのである)。

  まず、「今、何をしてる?」と、この地球上に存在する不特定多数の人間に問いかけるという軽挙が私の理解を絶するし、もっと分からないのは、それに応えて「駅前のカフェでコーヒー飲んでる」と応答する心根である(「今、何をしてる?」の代わりに「小沢一郎、どう思う?」でも同様だし、「駅前のカフェでコーヒー飲んでる」の代わりに「ふてぶてしい顔が気に入らない」であっても、事情は同様である)。

  ただ漫然と世間に問いかける姿勢が気に入らないし、その不愉快な姿勢を看取することもなく、益体もない問いかけに、嬉々として応答する態度も気に入らないのである。そんなことして、いったい何の意味があるのだろうか、と思う。コミュニケーション? 冗談ではない。そんなものが、コミュニケーションであるわけがない。「ゆるすぎる」のである。「安逸にすぎる」のである。

  思えばこの10年、我々の生活はずっと「安き」に傾斜し続けてきた。ことをITに限ってみても、電子メールというものが誕生するや、電車の中で、猫も杓子もチクチクチクチク携帯のキーボードを叩き続けていたし、SNSなるものが発明されるや、ただちに加入し、狭いサークルの中で、電子的会話を交差させ続けていたのである。

  そのどこが「安きに流れた所業」なのか。そのことに思い至るために、留守番電話もなく、電子メールもインターネットもなかった時代のことを思い起こして欲しい。

  その頃、人と人とのコミュニケーションは手紙であり、電話であり、直接の面談しか術がなかった。

    手紙のやり取りは当然肉筆であり、ときに書き損じがあり誤字脱字があり、手垢が滲んでいたりしたものだったのである。手紙を受け取るということは、送りつけてくるその人の鼓動を感じる作業でもあったのだ。

  受話器を手に取れば、発話する人の呼吸音や、いいよどみや、喜怒哀楽の感情を潜ませた声が否応なく耳元に届く。冷淡にあしらえば声の主はそのように反応し、優しく丁寧に応接すれば、すぐさま相手もまたそのように応答する。やり取りには必ずふたりの体温が交差していたのである。

  面談となると、さらに事態は暑苦しくなる。相手の服装や容貌が目前にあるだけではなく、口臭や体臭や貧乏ゆすりや、気に障る発声や眼差しがふたりの境界にある透明な皮膜を通り越してこちらに押し寄せてくる。生身のふたりのコミュニケーションは、常に相手の顔色や声色や脈拍を読み取り、その風向きを瞬時に判断して会話を継続し、伝えたいことを伝え、相手が伝えようとすることを聴き取らねばならないのである。

  お分かりいただけるだろうか。旧来のコミュニケーションには、必ず持ち重りのする「肉体」が付随していたのである。血の通った肉体同士が意思の疎通を行い、時に微笑みときに逆上する相手の肉体が発信するメッセージを、注意深く聴き取らねばならなかったのである。

  当然、それは「神経を遣い、気の張る」作業である。時には「うんざりするような」行為でもある。

  この10年、我々はその「うんざりするような」行為から遁走した。意識してか無意識にか、世界的規模で、みんなが「安き」に流れたのである。

  電子メールにもSNSにも、暑苦しい肉体性が入り込む余地など全くない。実にお気楽なツールなのである。言いたいことは、チクチクっと打って、ポンっと送ればいいだけなのである。血相変えた顔面がにじり寄ってくることなど、間違ってもない。

  しかし、本来、人と人とのコミュニケーションとは「神経を遣い、気の張る」作業なのであって、それなくして真のコミュニケーションは成り立たないものなのではないか。

  ツイッターは、そのように「安き」に流れた我々が、安きに流れてしまったがために味わわねばならない孤立感を払拭するための(あるいは、払拭できたと錯覚するための)便利な装置として存在しているように、私には思えてならない。

  ある雑誌の「ツイッター特集」の中で、ひとりの女性ユーザーが登場して、おおむね次のような内容のことを喋っていた。

「私は友達もいなくて、孤独な生活を送っていたけれど、ツイッターで、今こんなことをしている、こんなことを考えているっていうことを発信するようになって、多くの仲間からメッセージが届くようになり、ああ、ひとりじゃないんだ、孤独じゃないんだ、と思えるようになった」

  それはそれで結構なことであるけれど、そうすることで、彼女は本当に「孤独」から逃れることができたのかどうか、私にははなはだ疑問である。むしろ、そう錯覚することで、彼女の「孤独」の闇はなお一層深まるように、私には思えてならないのである。

  畢竟、人は死ぬまで「孤独」から逃れることなどできはしないのだ、というのは私の確信だが、それはまた別の話なので、いつかまた。

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2010年1月17日 (日)

食中毒、その後

  

    1月6日夜に餃子を食って発症。7日は起き上がることができずに、一日病臥。8日は、どうしても欠かせない打ち合わせがあって、万一のためのパンツをカバンにしのばせて出かける。

  その日の昼は仕事仲間と代々木八幡のうどん屋へ。みんなは天麩羅などを食べているが、ぐっと我慢して、釜揚げうどんを。久しぶりの食事なので、うまい。なんだか食欲に火がついてしまったのか、無性に塩鮭の脂の乗ったのが食べたくなる。

  食べたくなったら食べるのが私の性分である。一切れパクッと食べてしまう。数時間後にまたおなかが痛くなる。

  反省して3日間自重。11日、12日と3食連続で煮込みうどんを食べる。食べたいとなったら、連続して食べるのも性分である。だいぶ回復してくる。

  13日夜、すっかりプータローになってしまった畏友・斎藤和弘氏と四谷の新道通りのおでん屋へ行く。おでんなら消化にいいだろうと思って入ったのだが、どうしても熱燗を呑みたくなる。呑みたくなったら呑むのも性分である。

  翌日、またおなかが痛くなる。14日、会社のそばのこはし医院に行く。院長先生にこの1週間の食生活を説明し、「もうすこしお薬をください」とお願いする。院長先生、やおら私の方に向き直って、「あのね、こんなこといいたかないけど、もうすこし自分の歳のこと考えたら・・・」と説教する。

  お薬をもらうために近所の薬局に行く。馬鹿女が子犬を連れてきていて、薬剤師のおばはんとうだうだうだうだ、どうでもいいことを話し続けている。院長に説教されて気分が悪くなっていたので、「さっさとしろ」と叱り付けて、薬を強奪する。

  15日は常識的に「すき焼きうどん」にする。肉が大盛りで食べきれない。すき焼きの肉を残すようでは、もう人間失格だな、と思う。

  16日土曜日、昼に三鷹の床屋へ行く。店主が「いやあ、今日は寒いね。風が強くて」と言う。「そんなこと、あんたに教えてもらわなくったって、知ってるよ。ここまで歩いてきたんだから」と言いそうになるが、我慢する。

  店主は、二人の共通の話題はそんなくだらない自明のことしかないことは重々承知の上で、それでもなお、そんな下らないことを口の端に乗せることで「あなたとコミュニケートしたいんですよ」ということを発信しているのだろうと、大人らしい解釈をする。

  しかし、とくにコミュニケートしたいこともないので、瞑目しぶっちょうずらで押し黙っている。すっきり丸坊主になる。

「眉毛と耳毛もちょっきんしてね」とお願いする。お願いするときだけ、口調が優しい。村山富市みたいな眉毛はじじくさい。耳の穴から無駄毛がぼうぼうしているのもじじくさい。じじくさいのは、いかん。

  食中毒でうんうん苦しんでいるさなかに、このブログの累計アクセス数が2万を超える。なんであれ、数字が増えていくのは嬉しい。これも性分なのだろうか。でも、カードローンの数字が増えるのはあまり嬉しくない。

  目下、大仏次郎の「天皇の世紀」を読み続けている。ベラボーに面白い。元祖・司馬遼太郎だなと思う。それにしても、日本人の性向というのは幕末の頃と何にも変わっていない。「小沢献金問題」も権力内の暗闘ととらえれば、幕末と全くおんなじである。

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2010年1月13日 (水)

ああ、食中毒

 
    やばいよな、やばいよな、とずっと思っていたのである。

  三鷹駅南口を出て数分の場所に小さな中華料理屋がある。その店の餃子が好きで、帰りがけに餃子をサカナにビールを1杯のむのが、最近のささやかな夜の楽しみだったのだが、餃子を頬張りつつも、これでは、いつかおなかが痛くなっちゃうかもしれないな、と思い続けてはいたのである。

  カウンターだけの中華料理屋に座ると、私は必ず、まるでFBIかCIAのように眼光鋭く、料理人の行動を監視する癖がある。「ちゃんと食器を洗っているかどうか」「不潔な手で料理を作ってはいないか」を神経質にチェックするのである。

  私のそんなチェック眼からすると、この店はもう、まるでダメ、話にならないくらいに不潔だったのである。店は初老の夫婦(だと思う、多分)が営んでいる。四角い感じのちょっと疲れた親父が中華鍋をふるい、髪をひっつめにし、なぜかいつも真っ赤な口紅をつけた小太りのおばちゃんがそれ以外の仕事をこなしている。

  この小太りおばちゃんの食器洗いが、でたらめ至極なのである。まず、油のついた皿やどんぶりを洗剤のついたスポンジでくるくるっと洗うと、水のたまったシンクの中にじゃぽんと投げ込む。その水は洗剤やらなんやらで、どよんと灰色に澱んでいる。普通の店では、蛇口から潤沢に水がほとばしりでているものなのだが、この店は違う。蛇口はなぜかきっちり閉められている。

  おばちゃんが、この汚れた水溜りから皿を取り出すの初めて目撃したとき、私は当然、流水ですすぐのだろうな、と思ってにらみつけていたのだが、あろうことか、おばちゃんはそのまま平然とステンレスのカウンターの上に無造作に食器を積み上げたのである。え、それで食器洗いはおしまいなの? と仰天した。そう、それでおしまいなのだった。

  積み重ねられた食器の端々には、蟹さんの口からでたような泡がまつわりついているようにさえ見えた。や、やばい。こんなことでは、新婚カップルがここで食事をしていたら、必ずや畸形児が生まれるに違いない、と思った。

    以来、私はやむなくこの店で餃子を食べたりビールを飲んだりする際には、店に備え付けのティッシュペーパーを10枚くらい取り出して、ぬめぬめした醤油の小皿や、ほとんど半透明になってしまったコップをコキコキと清拭したのちに、食事に取り組んではいたのである。

    しかし、そうしつつも、こんなことではいつかはおなかが痛くなるな、と思っていた。これではまるでロシアン・ルーレット中華であるな、と。ここまで読んできたあなたは、「そんな店に行かなけりゃいいじゃないの」と冷静に思われるに違いない。

    それはそうなのであるが、しかし、人間とはなんと愚かな生き物なのであろうか。分かっていても入っちゃうのである。三鷹いち危ないその餃子は、残念ながら旨かったのである。

    新年早々の6日の夜9時。家に帰る前に、ビールと餃子、やっちゃおう、といそいそと店に入った私は、いつものルーティンどおり、ティッシューで食器をコキコキ拭いたうえで餃子をくらい、ビールをグビグビ飲んだのである。

    いい気持で家に帰り、風呂に入ってバスタブの中で30分ほどうとうとしたのち、体を洗おうと思って這い出したところ、来たのである。キュイーーーンという痛みと、味わったことのない気持ち悪さが。

    裸である。苦しくて立ち上がれないのである。四つんばいになって肩ではあはあ息をするしかない。立ち上がって脱衣場に脱出しようとするのだけれど、それが出来ないのである。立ち上がれないのである。

    ああ、こんなところで、こんな格好で死んでしまうのか。情けないな、と頭の隅では妙に冷静に事態を見つめている自分がいる。その一方で、絶望的に気持ちが悪いのである。

    15分ほどはあはあ喘いだのちに、やっとのことで外に出て、バスタオルで体を拭く間もなくベッドに辿り着き、倒れこむ。ぐ、ぐるじーーーーー。それから24時間、文章化することがはばかられる苦闘が続いたのだった。

    翌7日は一日病臥。しかし8日の午前中に、どうしても出ねばならぬ打合せがあったため、万が一に備え、カバンにズボンとタオルとパンツを詰め込み、這うようにして自宅を転がり出たのだった。

    ノロウィルスにご用心!

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2010年1月 6日 (水)

母は小さくなりにしが

    お正月、ふるさとに帰ると、母が、一段と小さくなっていた。かさかさと乾いた音を立てそうなくらいに乾いた感じもする。しかも、少なくなった髪が伸びるだけ伸びている。

「なんだ、そりゃ。アンデスの干し首みたいに髪が伸び放題だよ。散髪に行かなきゃだめだよ」
「でも、寒いから、今は切らないほうがいいかと・・・・」
「だめだめ、短くしよう」

  というわけで、母を車に乗せて、御坊のオークワの中にある美容院に連れていった。ドアを開けて、「おばあちゃんをお願いします。もう、丸坊主にしちゃってください」と言いおいて時間つぶしに町へ出る。

  一時間ほどして戻ってみると、もう終わったのか、さっぱりした頭で雑誌など見ている。頭は丸坊主にはなっていない。普通の短髪である。

「よかったね、さっぱりして。頭は洗ってもらった?」
「洗ってもらってない」
「え、洗ってもらってないの?」

  でも、どう見ても洗ってもらった様子である。「洗ってもらったでしょ?」「ううん、洗ってもらわなかった」。どうやら、洗ってもらったことをすっかり忘れてしまったようなのである。

  夜、妹と母と3人で田辺の国道沿いにある料理店「銀ちろ」に行って、晩御飯を食べた。食事を終えて駐車場に向って歩いていると、母は細く暗い道を指差して、「この坂道の先に教職員住宅がある」と言い出した。

  こんな細い路地の先のことをどうして知っているんだろうといぶかしんで、「この先に教職員住宅なんかあるの?」と聞くと、母は、

「うん、坂下の教職員住宅がある」

  と言う。心から驚いた。

「ちょっと、待ってよ。坂下の教職員住宅って、僕が0歳から5歳まで暮らした家でしょ。あれがあったのは愛知県犬山市。ここは和歌山県田辺市だよ」
「ああ、そうね」
「坂道が似て見えたの?」
「ああ、そう」

  人はこんな風に老いていくのかと思った。映像記憶がうまく呼び出せずに混濁している。

  翌日の夜にもびっくりするようなことが起こった。

  自宅で、3人ですき焼の鍋をつついていた。テレビはつけっぱなしだった。突然テレビのスピーカーから赤ん坊の大きな泣き声が飛び出した。箸で鍋をつついていた母は、「あっ!」と言って、驚いた顔をテレビの画面に向けた。その泣き声がテレビから流れてきたものだということを知って、

「なんだ、よその子か」

  と、ひとりごちて、また鍋に顔を戻した。「よその子」だって? 鳥肌が立った。

「お母さん、うちの子はね、今あなたの目の前に座って一緒にすき焼を食べているよ。もうすぐ還暦だよ。もう赤ちゃんじゃないんだよ。ほら、妹ももう54歳だよ。よく見てごらんよ」
「はは、そうだね」

  そう言って、母は力なく笑った。そうか、3人で一緒にいると、その昔一緒に暮らしていたころのことが思い出されて、自分の心もそのころに立ち戻ってしまうのかな、と思った。今の母の心の中では、妹も私もヨチヨチ歩きの子供なのだ。

「お母さん、ちょっとボケちゃったね。場所も時間も」

「ああ・・・・、そうね。でもね、死ぬって、こういうことなんだよ」

  鍋の中から豆腐を取り出しながら、母は小さな声でそう言った。

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2010年1月 4日 (月)

島田紳助の「お笑い脳」について

  ずっと、テレビにかじりついている。

    昨夜は「行列のできる法律相談所」を観ていて、島田紳助の話術の妙に惚れ惚れとしてしまった。

  スピード、テンポ、間合いが他のお笑い芸人達とは一味もふた味も違う。いったい、その違いはどこから生まれるのだろうかと考えた。

  この日は「気の毒な夫選手権」特集で、オバマ大統領そっくりのノッチや元暴走族のタレントや、オール阪神やIZAMUや宮迫博之らが登場、ことのついでに石田純一まで呼び寄せての出し物である。

  紳助の美質の一番は卓抜な比喩。たとえば、ノッチが自らの妻の悪辣ぶりを言あげするのだが、同じ話を何回も繰り返している。あるいは、誰かがすでに言ったことを再び焼き直して要領悪く喋っている。

  そこで、紳助がすかさず、

「あかん、それは二塁に盗塁したと思ったら、すでにそこには他の選手がおったようなもんや」

  東尾理子との結婚発表をしたばかりの石田純一を諭して、

「あのなあ、理子ちゃんは養殖や」
「????」
「養殖で育てられて、釣堀に放り込まれたようなもんや。そんなのを釣ったらあかんやろ。頼む、離したってくれ!」
「頼む、死んでくれ!」

  ついでに、石田の婚約者の東尾理子がゲストで登場。紳助は、なんとか、この遥か年上のプレイボーイとの結婚をあきらめさせようと手を変え品を変えて翻意を迫る。

「理子ちゃん、あなたはこの男をすばらしく豪華な船だと思ってるでしょう」
「はい」
「違うんです。見かけは豪華だけど、この船にはエンジンがついていないんです」

    上記したのは「卓抜な比喩」の例だが、こんなトークが間断なく続くのである。(その間断のなさ、スピーディさは、共演のノッチがいみじくも「会話のキャッチボールの速さにとても自分はついていけない」と吐露したほどである。)

    おそらく紳助は、収録前に、予想されるいくつかのネタを熟考しているのだろう。そうでなければかくも機関銃のようにすばやく的確なコメントを発射し続けられないであろう。

  しかし、すべてを事前の準備でカバーできているわけもなく、本番では、その場の即興、インプロビゼーションが混じりこむ。そして、なによりも惚れ惚れしてしまうのは、紳助のこの即興の卓抜さなのだろうと思う。

  その次に感心してしまったのが、時に披露する「人生についての、一見深遠に見えてしまう箴言」。この日は、惚れあって結婚したもの同士が、歳月とともになぜ、相手のことを不快に思うようになってしまうのか、についてこんな人生観を披瀝する。

「惚れて結婚したんや。それやのに、いつのまにか、相手の欠点が見えてくる。だんだんと不快になってくる。これはね、相手が変わってしまったんとは違うんですよ。あなたの、相手を見る場所が変わったんや」

  会場から、おおーという感嘆の声が上る。

  紳助の美質の、あともう一つは、「相手をへこます弾丸トーク」。ここには比喩も何もなく、「馬鹿か、お前は!」「あほや!」というストレートな罵倒語を投げつけるだけなのだが、これもそのタイミング、間合いが絶妙なのである。

「卓抜な比喩」「思いがけない人生観の披瀝」「絶妙な罵倒語」、この3つが島田紳助の真骨頂なのだが、そのいずれもが実は「相手を怒らせることなく、笑いを誘いつつ、しかししっかりへこます」というゴールへと収斂して行っている。

  そして、このベクトルこそが、人が関西に生まれ育ったときにいやおうなく求められる「人生の知恵」、ART DE VIVRE であることを、多くの人は(とりわけ関東人は)気づいていないように思う。しかし、このことを抜きにして、島田紳介の芸を語ることはできない。

  関西人は、言葉を喋るようになった途端に、「相手を怒らせることなく、笑いを誘いつつ、しかししっかりへこます」という術を身に着けることを強要される。そのことをマスターして人は初めて関西人になるのである。

  関西人は会話がスタートした途端に、「なんか、おもろいことゆうたろ」と頭をフル回転させ、必死になって「オチ」を考える。「オチ」のない会話など、タイヤのない車みたいなものなのである。

  先に挙げた紳助の「罵倒語」も、会話の回転数を上げるエンジンオイルのようなものなのである。「馬鹿か、お前は!」「おまえは、アホか!」という言葉を、関西人が相手に投げつけるとき、その言葉の後には、糸を引くようにして「へへ、わしも、アホやねんけどな」という無音の言葉が続いているのである。ここのところを非関西人は理解に苦しむ。

  非関西人が「馬鹿か、お前は!」と発するとき、そのあとに続くのは「俺は賢い」なのである。オレは賢いが、お前は馬鹿である。オレは正しいが、お前は間違っている。そのような正否を際立たせるワーディングで、非関西人は会話を前進させるが、関西人は違う。「お前はアホやけど、じつはわしもアホやねん。同じ穴のムジナやねん」という親密性を何よりも大事にする。「でもな、同じ穴のムジナやけどな、お前のほうがちょっとだけアホちゃうか?」という微妙な差異をもて遊ぶのである。

  余談だが、明石家さんまの話芸の魅力もこの文脈で考えればよく理解できるはずである。それはさておき。

  そのような関西人的心性の環境下で育ったからこそ、島田紳助という芸人は島田紳助になりえたのだということができるかもしれない。もっとも、同じ環境下で育った関西芸人がすべて紳助のようになるわけでもないないわけだから、関西育ちは「必要条件」ではあっても「充分条件」ではないということは言うまでもない。

 

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2010年1月 2日 (土)

新春妄言

    正月のスポーツ番組を見ていると、外国人の姿が多い。箱根駅伝などもアフリカ勢が圧倒的なパフォーマンスを見せている。

  だが、聞くところによると、外国人勢の進出には一定の制限(絶対数や走る区間など)があるらしく、全区間をケニア人学生が疾走するということは不可能らしい。

  たとえば和歌山県立ケニア大学というものを造って(体育学部マラソン学科しかないんだけど)、ケニアから有望な学生を100人くらい招き、徹底的に鍛え上げて箱根の山道をこれまで見たことも聞いたこともないようなスピードで駆け抜けさせたらさぞかし面白かろうと思うのだが、それは叶わぬ夢なのである。

  しかし、そんな制限を設けて、民族的保護主義を講じることにいかほどの意味があるのだろうか、と思う。いいじゃないの、全員ケニア人で。サッカーだって野球だってラグビーだって相撲だって日本人などひとりもいないけど、抜群に強い「日本のチーム」があったところで何の問題があるだろうか。

 
   大相撲もモンゴル人やロシア人だけではなく、アフリカ人や北欧人、南米のインディオなど入り混じって戦ったら、愉快だと思うよ。

  そうすることによって、わが日本民族がこと運動能力に関しては、いかに劣等民族であるかということを、我々はもう少し痛切に実感したほうがいいのではないか。Wカップなどもみんなでこぞって希望的観測をぶち上げているが、もっと冷静に我々の非力を悟ったほうが、長い眼で見れば我々のためになるような気がする。

  彼我の力の差を思い知るところからしか「世界レベル」の逸材は生まれないだろう。日本人による日本人のための日本人の大会で好成績をあげても、なんの意味もないということを、もっと「世界レベルの力量」を日常的に間近に目にすることで、理解するようになるだろうと思う。

  もっとも、そうすることによって、やっぱ日本人は、スポーツでは外国人にはかなわんな、と悲観的感懐を抱くようになったとしたら、それはそれでいいのではないか。そのときはそのとき、囲碁将棋とか田植えとか、そちらの方面に民族的プライドの拠りどころを求めればよろしいのではなかろうか。

  閑話休題。「トイレはガラパゴス島である」論(http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-e1f8.html)の続きの一話を。

  関西在住の政治ジャーナリストに「トイレ=ガラパゴス島」論を微に入り細をうがって説明していたところ、「そうなんだよ!」と強く相槌をうたれてビックリした。

「いやあ、別れた女房がね、便器の便座があるでしょ、あの枠のうえに足を乗せてまたがって用を足していることを、あるときに知って驚愕したんですわ」

「え? 便座って、あの丸い、お尻を乗せるところでしょ? そこに足を乗せるって、ようするに和式トイレの体勢を便座の上でとるということ?」

「そうなんですわ。大体結婚前に、女房にそんな奇癖があることなんか分るわけないやないですか。で、女房に、『おまえ、いくらなんでも、それ、おかしいやろ!』って指摘したら、『うるさいわね、お母さんからこうするように子供の頃に教えられたの! ずっとこうしてきたんだから、余計なことを言わないでよっ!』って逆切れされてしもてね。
 結局、いろいろあって離婚してしもたんですわ・・・」

  うーん、佳話である。

    私は1975年にナホトカからシベリア鉄道の2等車に乗って、1週間かけてモスクワ経由で東欧に行ったことがある(最終目的地はパリだった)。そのときのトイレの便座が木製でつねにべっとりと濡れている状態で、とてもそこにわが尻を乗せる気にはなれず、土足で便座に跨って用を足したことがあった。

    しかし、何しろ列車なので横揺れがある。便座を踏み外しそうになるので、必死で腕を左右の壁まで伸ばして身を支えていた覚えがある。ここで転落したら本当に「フン死だな」と思いながら。

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2010年1月 1日 (金)

年末年始はテレビ三昧

  
    年末年始はテレビ三昧。普段はほとんどTVを観ないので、休みになると子供みたいにTVにかじりつく。昨夜、大晦日は「ガキの使いやあらへんで」を観ながら笑いこける。こんなに馬鹿みたいに笑ったのは実に久しぶりのこと。

  しかし、番組の時間が長すぎる。TV業界の不況はこういうところにも現れているのかもしれないと思う。本来なら2時間番組くらいのコンテンツの密度なのに、それを6時間に希釈しているように感じる。

  本来ならばボツにすべき内容のものがイキになっていたり、稠密に編集すべきところが疎漏なものになっていたりと残念な部分も多い。6時間番組を作るならそれなりの予算と、それに見合った才能を集結させないと無理である。

  元旦。おせちを食べた後は、ゴルフネットワークで石川遼特集を観る。観ているうちに、こうしてはいられないと、ゴルフ練習場に電話をしてみたが正月休みの様子。仕方ないので、畑でビュンビュン素振りをする。北風が吹いてきて寒いし、素振りはやっぱりつまらない。

  晩飯のあとは「SASUKE」を観る。こういうことに人生をかける青春というものがあるのかと感嘆する。しかし、人生の目的を設定しにくい現代にあって、こういう風に具体的にゴールを設定できることは、ある種の幸福かもしれないと思う。

  人生は、所詮死ぬまでの暇つぶしである、という誰かの達観が最近よくわかるようになったからなのだが。

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2009年12月31日600キロを6時間で走る

    2009年12月31日、午前3時に起床。歯も磨かずに顔だけ洗って、アウディA4 AVANTに乗り込み、環八から東名に乗り込む。午前4時までにETCでゲートをくぐれば、高速代金が半額になるという話を誰かから吹き込まれ、それを信じての早起きだったのである。

    午前3時というのははっきりいって真夜中である。月(満月に見える)がずーと夜空にあった。アクセルを踏めるだけ踏んで、抜けるものはすべて抜く、という気構えでバンバン走る。平均速度140キロくらい(自分の感覚では)、瞬間最高速度180キロくらいでひたすら走る。

    ことによると、どこかの赤外線カメラで捕捉されているかもしれない。しかし、ハンドルを握って夜の暗闇の中を鬼のように走っているときには、そんなことはどうでも良い、と思うくらいに人格が豹変してしまっている。恐ろしいことである。

    東名は世田谷から乗り込むあたりは立派な高速道路だが、途中は2車線になり安っぽい作りになっている。昔の日本はつくづく貧しかったのだと思う。日本の幹線高速道がこの程度なのか、と思って乗るたびに暗然とする。

    東名から伊勢湾道路に入ると驚く。こちらはまだ日本が豊かだったときに作ったものなのだなあ(実際は知らないが)という感慨を抱かされる。こんなのが東京から続いていたら運転も楽だろうなあと思う。

    300キロほど走ってから1回目の休憩。苅谷SAにクルマを入れるがレストランもまだ開いていないので、コンビニで肉まんとおにぎり2個を買って車中で食べ、すぐに出発。約15分ほどしか休息していない。

    三重県の亀山(アクオスで有名になった)から国道に下りるころに、アラレがぱらぱらとふりかかりフロンとガラスにぱちぱちと当たる。路面に転がったアラレが風に吹かれてさーっと流れていく。見たことのない光景である。

    北風が強い。車体が左右に流される。恐ろしい。しかし、黙々と走る。制限速度60キロなのに120キロは出ている。天理から再び高速に乗り、松原から和歌山方面へ。

    和歌山へ入ると1車線になる。和歌山は「近畿のおまけ」だからまあ、仕方ないか。

  午前9時15分に御坊ICを降りる。約600キロ、6時間。よく走った。御坊のオークワで今晩の鍋の食材を買う。母親の好物のカニを買う。ついでにタラとカキも買う。水産物売り場のおやじに「どのカニが一番うまいのか。値段は問わない」と尋ねると、いろいろと教えてくれる。

「カキは生食用と加熱用があるけれど、鍋にするときには必ず加熱用を買ったほうがいいよ。その方がおいしい。生食用は必ず48時間流水で洗うこと、という規則があって、そうすると旨みも一緒に流れてしまう。加熱用は24時間でいいから、まだましなんだよ」

  まだまだ、世の中には知らないことが多い。

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