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2010年1月22日 (金)

ツイッター考

    ツイッターが殷賑を極めているらしい。

    なんじゃ、ツイッターって、と思う方はこのあとに続く文章を読んでも多分ちっとも面白くないだろうが、そう言ってしまっては実も蓋もないので説明してみると、まあ、「ミニ・ブログ」みたいなものである。

    ただし、ブログと違って、ツイッター(twitter)には、文字数に140字という制限がある。どんな話題も140字以内で書かねばならない。自身で書いてみればすぐ分かることだが、140字ではほとんど何もいえない。少なくとも説得力のある話をごりごり書き連ねることは全く不可能なのである。

    ところで余談だけれど、オーディオ好きの方はスピーカーシステムの中で、高音部を受け持つスピーカユニットのことをツイーターと称することをご存知であろうが、これも同様にtwitterから来ている。小鳥のさえずり声に由来する。

    同じアルファベット綴りなのに、その読み方をカタカナ表記で微妙に違え、それぞれに違う意味を授けるというのは日本語でちょくちょく起きることである。

    例えば、「資金洗浄」のことは「マネー・ロンダリング」といい、「クリーニング屋の仕事」のことを「ランドリー・サービス」というが如く。

    まあ、以上はどうでもいい豆知識。本題に戻る。人が書いたツイッターを覗いてみると、140字という文字制限があるために、語義どおり「小鳥のさえずり」のごとき「言説」で満ち満ちている。

    いや、正確に言えば、それは「言説」などというものではなく、実際はそのほとんどが、どうでもいい「おしゃべり」や「たわごと」の類なのである。

    ツイッターのホームページを見ると、その仕組みを次のように説明している。

<Twitterは「What are you doing?(今、何をしてる?)」をひたすら更新していくという、とてもシンプルな Webサービスです。ユーザー登録をすると自分専用のページが作成され、そこから何しているかを更新(発言)していきます。個々の発言にはユニークな URLが付与され、(設定を変更しなければ)誰でも見ることができます。(とても手軽に更新できる、小さなブログのようなサービスということから「ミニブログ」などと呼ばれることもあります。)>

<これだけでは単に独り言をつぶやくだけのサービスですが、Twitterには フォローという、mixiの"マイミク"のように、他のユーザーを友達のように登録する機能があります。他のユーザーをフォローすると、自分以外のユーザーの発言を自分のページに表示させることができます。フォローするユーザーを増やしていくことで、「駅前のカフェでコーヒー飲んでる」「仕事中。忙しい!」などといった色んな人の発言が次々に流れてくるようになります。>

<さらにこの発言に返事をすることができ、「そこのケーキおいしいよ!」とか「お仕事がんばって!」などと話しかけることもできます。この返事は他のユーザーからも見ることができるので、さらにそこから大勢で会話をするような形に発展していくこともあります。Twitterは文化的に誰でも自由に フォローしたり、外れたりしてよいということになっているので、見知らぬ人でも比較的気軽にフォローすることができます。こうしたゆるやかなつながり、自然発生的なコミュニケーションが Twitterの魅力といえます。>

  つまり、この説明をその通りに受け取れば、ツイッター上には、「今、何をしてる?」「駅前のカフェでコーヒー飲んでる」「仕事中。忙しい!」「そこのケーキおいしいよ!」「お仕事がんばって!」といった類の、私に言わせればはなはだ空疎な話題が飛び交っており、しかもその話題にぞろぞろとフォロワーが連なり、2009年6月の時点で、世界中で3700万人もの利用者が存在するのだという。

  ここまでお読みになった方は、私がツイッターを、あまり好意的には捉えていないということにお気づきだろうと思う。いや、「非好意的」という形容は正確ではない。はっきりいって、私は、この「ゆるくて」「なまぬるい」コミュニケーションのありように虫唾が走るのである。

  この癇の障りようが何に由来するのか、実は自分でもよく分かっていない。このぼんやりとした不快感のよって来るところを解明するために、もうすこしこの話を書き進めたいと思う(こういうことは、ツイッターでは全く不可能なのである)。

  まず、「今、何をしてる?」と、この地球上に存在する不特定多数の人間に問いかけるという軽挙が私の理解を絶するし、もっと分からないのは、それに応えて「駅前のカフェでコーヒー飲んでる」と応答する心根である(「今、何をしてる?」の代わりに「小沢一郎、どう思う?」でも同様だし、「駅前のカフェでコーヒー飲んでる」の代わりに「ふてぶてしい顔が気に入らない」であっても、事情は同様である)。

  ただ漫然と世間に問いかける姿勢が気に入らないし、その不愉快な姿勢を看取することもなく、益体もない問いかけに、嬉々として応答する態度も気に入らないのである。そんなことして、いったい何の意味があるのだろうか、と思う。コミュニケーション? 冗談ではない。そんなものが、コミュニケーションであるわけがない。「ゆるすぎる」のである。「安逸にすぎる」のである。

  思えばこの10年、我々の生活はずっと「安き」に傾斜し続けてきた。ことをITに限ってみても、電子メールというものが誕生するや、電車の中で、猫も杓子もチクチクチクチク携帯のキーボードを叩き続けていたし、SNSなるものが発明されるや、ただちに加入し、狭いサークルの中で、電子的会話を交差させ続けていたのである。

  そのどこが「安きに流れた所業」なのか。そのことに思い至るために、留守番電話もなく、電子メールもインターネットもなかった時代のことを思い起こして欲しい。

  その頃、人と人とのコミュニケーションは手紙であり、電話であり、直接の面談しか術がなかった。

    手紙のやり取りは当然肉筆であり、ときに書き損じがあり誤字脱字があり、手垢が滲んでいたりしたものだったのである。手紙を受け取るということは、送りつけてくるその人の鼓動を感じる作業でもあったのだ。

  受話器を手に取れば、発話する人の呼吸音や、いいよどみや、喜怒哀楽の感情を潜ませた声が否応なく耳元に届く。冷淡にあしらえば声の主はそのように反応し、優しく丁寧に応接すれば、すぐさま相手もまたそのように応答する。やり取りには必ずふたりの体温が交差していたのである。

  面談となると、さらに事態は暑苦しくなる。相手の服装や容貌が目前にあるだけではなく、口臭や体臭や貧乏ゆすりや、気に障る発声や眼差しがふたりの境界にある透明な皮膜を通り越してこちらに押し寄せてくる。生身のふたりのコミュニケーションは、常に相手の顔色や声色や脈拍を読み取り、その風向きを瞬時に判断して会話を継続し、伝えたいことを伝え、相手が伝えようとすることを聴き取らねばならないのである。

  お分かりいただけるだろうか。旧来のコミュニケーションには、必ず持ち重りのする「肉体」が付随していたのである。血の通った肉体同士が意思の疎通を行い、時に微笑みときに逆上する相手の肉体が発信するメッセージを、注意深く聴き取らねばならなかったのである。

  当然、それは「神経を遣い、気の張る」作業である。時には「うんざりするような」行為でもある。

  この10年、我々はその「うんざりするような」行為から遁走した。意識してか無意識にか、世界的規模で、みんなが「安き」に流れたのである。

  電子メールにもSNSにも、暑苦しい肉体性が入り込む余地など全くない。実にお気楽なツールなのである。言いたいことは、チクチクっと打って、ポンっと送ればいいだけなのである。血相変えた顔面がにじり寄ってくることなど、間違ってもない。

  しかし、本来、人と人とのコミュニケーションとは「神経を遣い、気の張る」作業なのであって、それなくして真のコミュニケーションは成り立たないものなのではないか。

  ツイッターは、そのように「安き」に流れた我々が、安きに流れてしまったがために味わわねばならない孤立感を払拭するための(あるいは、払拭できたと錯覚するための)便利な装置として存在しているように、私には思えてならない。

  ある雑誌の「ツイッター特集」の中で、ひとりの女性ユーザーが登場して、おおむね次のような内容のことを喋っていた。

「私は友達もいなくて、孤独な生活を送っていたけれど、ツイッターで、今こんなことをしている、こんなことを考えているっていうことを発信するようになって、多くの仲間からメッセージが届くようになり、ああ、ひとりじゃないんだ、孤独じゃないんだ、と思えるようになった」

  それはそれで結構なことであるけれど、そうすることで、彼女は本当に「孤独」から逃れることができたのかどうか、私にははなはだ疑問である。むしろ、そう錯覚することで、彼女の「孤独」の闇はなお一層深まるように、私には思えてならないのである。

  畢竟、人は死ぬまで「孤独」から逃れることなどできはしないのだ、というのは私の確信だが、それはまた別の話なので、いつかまた。

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コメント

先輩。孤独は受け入れるしか、ないのですね。

投稿: okite | 2010年1月26日 (火) 17時00分

孤独を楽しんで、飛び回って体力を消耗し、仕事で頭を忙しくして鏡に向かって笑い、寝る前も本を読んだりIーPodで音楽を聴いたりするかな?24時間が足りないと思うほど遊んだり学んだり仕事したり。Love Loveも良いけれど2人でいても時にはもっと孤独かもしれないし。

投稿: 友人 | 2010年1月27日 (水) 06時32分

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» 2007/07/08 [vois]
昼下がり、上司と珈琲を飲みながら、携帯コンテンツの企画を考えていた。そもそも、携帯でコンテンツを買おう、という世代じゃないからわからん、などという流れから「待受画像」を惜しげもなく月数百円を出して買う子たちが存在するのだ、という話しになった。 私 : 「いやー、なんていうのかなぁ。100円が10枚で千円って感覚はないんですよ、彼らには」 上司 : 「なにそれ」 私 : 「最小の貨幣は「札」なんじゃないですかね。私の知り合いにね、机の上にクリップとか紙の切れ端とかと混じっちゃった10円玉以下の小銭、... [続きを読む]

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