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2010年1月 4日 (月)

島田紳助の「お笑い脳」について

  ずっと、テレビにかじりついている。

    昨夜は「行列のできる法律相談所」を観ていて、島田紳助の話術の妙に惚れ惚れとしてしまった。

  スピード、テンポ、間合いが他のお笑い芸人達とは一味もふた味も違う。いったい、その違いはどこから生まれるのだろうかと考えた。

  この日は「気の毒な夫選手権」特集で、オバマ大統領そっくりのノッチや元暴走族のタレントや、オール阪神やIZAMUや宮迫博之らが登場、ことのついでに石田純一まで呼び寄せての出し物である。

  紳助の美質の一番は卓抜な比喩。たとえば、ノッチが自らの妻の悪辣ぶりを言あげするのだが、同じ話を何回も繰り返している。あるいは、誰かがすでに言ったことを再び焼き直して要領悪く喋っている。

  そこで、紳助がすかさず、

「あかん、それは二塁に盗塁したと思ったら、すでにそこには他の選手がおったようなもんや」

  東尾理子との結婚発表をしたばかりの石田純一を諭して、

「あのなあ、理子ちゃんは養殖や」
「????」
「養殖で育てられて、釣堀に放り込まれたようなもんや。そんなのを釣ったらあかんやろ。頼む、離したってくれ!」
「頼む、死んでくれ!」

  ついでに、石田の婚約者の東尾理子がゲストで登場。紳助は、なんとか、この遥か年上のプレイボーイとの結婚をあきらめさせようと手を変え品を変えて翻意を迫る。

「理子ちゃん、あなたはこの男をすばらしく豪華な船だと思ってるでしょう」
「はい」
「違うんです。見かけは豪華だけど、この船にはエンジンがついていないんです」

    上記したのは「卓抜な比喩」の例だが、こんなトークが間断なく続くのである。(その間断のなさ、スピーディさは、共演のノッチがいみじくも「会話のキャッチボールの速さにとても自分はついていけない」と吐露したほどである。)

    おそらく紳助は、収録前に、予想されるいくつかのネタを熟考しているのだろう。そうでなければかくも機関銃のようにすばやく的確なコメントを発射し続けられないであろう。

  しかし、すべてを事前の準備でカバーできているわけもなく、本番では、その場の即興、インプロビゼーションが混じりこむ。そして、なによりも惚れ惚れしてしまうのは、紳助のこの即興の卓抜さなのだろうと思う。

  その次に感心してしまったのが、時に披露する「人生についての、一見深遠に見えてしまう箴言」。この日は、惚れあって結婚したもの同士が、歳月とともになぜ、相手のことを不快に思うようになってしまうのか、についてこんな人生観を披瀝する。

「惚れて結婚したんや。それやのに、いつのまにか、相手の欠点が見えてくる。だんだんと不快になってくる。これはね、相手が変わってしまったんとは違うんですよ。あなたの、相手を見る場所が変わったんや」

  会場から、おおーという感嘆の声が上る。

  紳助の美質の、あともう一つは、「相手をへこます弾丸トーク」。ここには比喩も何もなく、「馬鹿か、お前は!」「あほや!」というストレートな罵倒語を投げつけるだけなのだが、これもそのタイミング、間合いが絶妙なのである。

「卓抜な比喩」「思いがけない人生観の披瀝」「絶妙な罵倒語」、この3つが島田紳助の真骨頂なのだが、そのいずれもが実は「相手を怒らせることなく、笑いを誘いつつ、しかししっかりへこます」というゴールへと収斂して行っている。

  そして、このベクトルこそが、人が関西に生まれ育ったときにいやおうなく求められる「人生の知恵」、ART DE VIVRE であることを、多くの人は(とりわけ関東人は)気づいていないように思う。しかし、このことを抜きにして、島田紳介の芸を語ることはできない。

  関西人は、言葉を喋るようになった途端に、「相手を怒らせることなく、笑いを誘いつつ、しかししっかりへこます」という術を身に着けることを強要される。そのことをマスターして人は初めて関西人になるのである。

  関西人は会話がスタートした途端に、「なんか、おもろいことゆうたろ」と頭をフル回転させ、必死になって「オチ」を考える。「オチ」のない会話など、タイヤのない車みたいなものなのである。

  先に挙げた紳助の「罵倒語」も、会話の回転数を上げるエンジンオイルのようなものなのである。「馬鹿か、お前は!」「おまえは、アホか!」という言葉を、関西人が相手に投げつけるとき、その言葉の後には、糸を引くようにして「へへ、わしも、アホやねんけどな」という無音の言葉が続いているのである。ここのところを非関西人は理解に苦しむ。

  非関西人が「馬鹿か、お前は!」と発するとき、そのあとに続くのは「俺は賢い」なのである。オレは賢いが、お前は馬鹿である。オレは正しいが、お前は間違っている。そのような正否を際立たせるワーディングで、非関西人は会話を前進させるが、関西人は違う。「お前はアホやけど、じつはわしもアホやねん。同じ穴のムジナやねん」という親密性を何よりも大事にする。「でもな、同じ穴のムジナやけどな、お前のほうがちょっとだけアホちゃうか?」という微妙な差異をもて遊ぶのである。

  余談だが、明石家さんまの話芸の魅力もこの文脈で考えればよく理解できるはずである。それはさておき。

  そのような関西人的心性の環境下で育ったからこそ、島田紳助という芸人は島田紳助になりえたのだということができるかもしれない。もっとも、同じ環境下で育った関西芸人がすべて紳助のようになるわけでもないないわけだから、関西育ちは「必要条件」ではあっても「充分条件」ではないということは言うまでもない。

 

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