« 過ぎたるは及ばざるが如し | トップページ | Sさんが逝く »

2010年2月16日 (火)

「この先に失わねばならないものの大きさ」

    http://www.youtube.com/watch?v=lGGucwpHdK4&feature=related

  しつこくデイブ・ブルーベック話を。

  上にご紹介するyoutubeで、齢80を越えたブルーベックの演奏を視聴していると、音楽というのはテクニックだけではない、ということがしみじみと分かる。

  全盛期の演奏に比すれば、おそらく指運びもパワーも見劣りのするものだろう。老齢になったジャズ・ピアニストの枯れた演奏であることは否めない事実である。

  にもかかわらず、あるいはだからこそ、その演奏はひしひしと胸に迫る。

「人には、歳を重ねないと分からないことがある」と誰かがどこかで書いていたが、それに倣って言えば「歳をとることで、はじめて可能になる音楽表現がある」ということになる。

  それはもはや技術ではない。テクニックならば、若いころの方がすごかったに違いない。では、いったいそれは何なのか? この切々と胸に迫ってくるものは何なのだろうか?

  それは、80年を超える人生の途上で、デーブ・ブルーベックが「失ったもの、諦めたこと、悲しんだことの総量の大きさ」であり、また、「そのことについての痛切な自覚」なのではないかと、僕は思う。

  ことは音楽だけではない。文学も哲学も思想も、多くの芸術表現も同様ではないかと思う。

  話は少しずれるが、「老人になると、人はなぜ涙ぐみやすくなるのか」について少し前に考えたことがあった。その回答もまた同様である。

「自分が失ったものの大きさ」を痛切に自覚する出来事や事象に出くわしたとき、老人は涙ぐむ。

    そしてまた、「この先に失わねばならないものの大きさ」を想像して、老人はなお深く嗚咽することになるのだと思う。

|

« 過ぎたるは及ばざるが如し | トップページ | Sさんが逝く »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「この先に失わねばならないものの大きさ」:

« 過ぎたるは及ばざるが如し | トップページ | Sさんが逝く »