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2010年3月

2010年3月31日 (水)

広告の力

S  
    とても印象的な広告だったので、急ぎ書き残しておきたい。

  今朝、三鷹駅のプラットフォームで、最新号の「ニューズウィーク」(2010 4/7号)を買った。表紙の写真が、近日発売になるiPadで、特集タイトルが「iPadがすべてを変える」という扇情的(?)なものだったので思わず購入してしまった次第。

  特集そのものは、ほとんど提灯記事なので面白くもなんともなかったが、パラパラとページを繰っていて、あっと驚く広告に出くわしたのでそのことについて書きたい。

  広告主はAJINOMOTO。カラーの1ページ広告が3ページ連続で続く。ページの右下には、ほんだしや味の素やコンソメの写真が小さく載っている。その横には小さく<うちごはんは、家族をつなぐ素。>というコピー。

    驚いたのはカラー1ページのほとんどを使った写真。1ページ目の写真は、ほとんど半裸のような格好をして、渋谷と思しき街頭に座り込んで無心に携帯をのぞき込んでいる茶髪の少女の、うすら淋しい姿である。

    その写真の上に、メインコピーが<ごはんだよ。帰っておいで。>

    うまい広告だなあ、と思った。2ページ目は、ゲームセンターでゲームに興じるだらしない格好の青年の写真。3ページ目が居酒屋で生ビールを飲む、疲れたお父さんのわびしい写真。そのすべてに、<ごはんだよ。帰っておいで。>のコピーが付されている。

    ばらばらに分断された、我々の現在の家庭状況を見事に象徴している、と思ったのである。AJINOMOTOが広告制作者に望んだことは、「おうちで、家族揃ってご飯を食べよう」というメッセージを消費者に届けたい、というものだったに違いない。

    あなたが、もしクライアントからそのような要請を受けたら、どのような広告ビジュアルを思いつくだろうか。おそらくは一家団欒の暖かい食事風景(よくテレビドラマに出てくるような)を思い浮かべはしないか?

    しかし、この広告のクリエーターはそうはしなかった。その最も対極に位置する、我々の侘しい日常風景をもってして、家庭回帰を訴求しようとしたのである。

    そこが凄いと思う。クリエーターの頭のファイルに、「我々の日常にひそむ侘しさ」が豊富に蓄えられていないとこのビジュアルは出てこないに違いない。その蓄積を可能にしたのは、ひとえにそのクリエーターの感受性である。そこに拍手を送りたいと思う。

    ところでさて、「渋谷の街頭に座り込む半裸の少女」の、このビジュアルを、これから100年後の、後世の日本人は、いったいどのように眺めるのだろうかと、ふと思った。

    浮世絵に描かれた、今から100年前の少女の姿の意味を、我々もはや、とくと分からぬようになってしまったように、100年後の日本人には、この少女の姿や、この姿に象徴される索漠たる我々の日常の意味など、ほとんど伝わらないのではなかろうか。

    広告は、「我々の今」をたくみに掬いとる装置でもある。

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2010年3月30日 (火)

   玉川上水沿いの桜が芽吹き始めた。

   三鷹駅からジブリ美術館に向かって歩く外国からの観光客たちも、まぶしそうな目で頭上を見上げている。これから2週間ほど、自宅から駅に向かうたびごとに、絢爛たる桜並木の下を歩くという愉悦を満喫することができる。

   1年52週のうちのたった2週間だが、桜はまるで全力を振り絞るように、生命の力のみなぎりを誇示するように咲き乱れる。

   会社について、半藤一利さんのエッセイ「歴史探偵がいく」を読んでいたら、<残る桜も散る桜>と題した短かい文章に出会った。

「散る桜 残る桜も 散る桜」という句は、太平洋戦争時の特攻隊員の遺詠であることは分かっていたが、誰の手によるものかは判然としていなかったという。それが最近になって判明したと半藤さんは書いている。

  米軍占領下の嘉手納飛行場に強行着陸して斬り込み、全員が戦死した義烈空挺隊の隊長奥山道郎大尉が弟に宛てた遺書の中に書き遺したものらしい。

  昭和20年、戦艦大和を中心とする十隻の艦隊が、生きて帰ることの不可能な航海に出て行く時、九州は桜が満開だったという。爛漫たる桜色を死地に赴く将兵たちはどんな気持ちで眺めたことだろう。

  桜には命の、必死な輝きがこもっているような気がする。

  ユーミンの歌のみならず、竹内まりやの「人生の扉」でも桜は印象的に歌われる。

  半藤さんは、松尾芭蕉の桜の句を最後に引いている。

<さまざまの事思ひだす桜かな>

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2010年3月25日 (木)

毛が生えてきたような気がする

 
    毛が生えてきたような気がする。

  どこのって、頭の髪の毛である。鏡で観ると、黒い色につやが出てきたし、一本一本が少しだけ太くなり、少しだけかつての勢いが戻ってきたように思えなくもない。

  会社の同僚にそういう感想を述べると、うーん、と困った顔をし、「それは、ちょっと微妙な話ですねえ・・・」と言葉を濁す。

  いや、生えてきたと思うよ、オレは。

  昨年の年末のことだったと思う。三鷹駅のプラットフォームに設置された看板に、各種のハゲのイラストが描かれたものがあった。そして「AGA 検索」と文字が書かれている。そのときにとっさに分かったのである。

  これは、髪が生える薬が見つかったが、直接的にその効能を述べることができないのだろう、と。だからこうして間接的に秘めやかにアピールしているに違いない、と。

  そこで、会社に着くや、すぐさまAGAを検索してみた。それは萬有製薬のプロペシアという名の飲み薬であった。「男性型脱毛症」に効果のある薬だと説明がある。なんでも、壮年の男性のハゲのほとんどは、男性ホルモンの影響によるものだという。アガシもジダンもその手のハゲである。

    しかし、このプロペシアをのめば、頭髪を脱落させるエストロゲンという男性ホルモンを制御し、脱毛をおしとどめるようになるというのである。そもそもは前立腺肥大のために開発された薬だが、余得で頭髪再生にも効果をもたらしたらしいのである。

    副作用としてたまに精力減退をもたらすらしいのだが、まあ、それはいいや、と早速なじみのコハシ医院に行って、「先生、この薬の処方箋を下さい」とお願いしてみた。「え、この薬のむの? 高いよ。保険きかないから」「え、きかないんですか?」「うん、28錠でだいたい8000円くらいすると思うよ」

    背に腹はかえられん。毛に金もかえられん。

    清水の舞台からバンジージャンプをするつもりで購入した。1日1錠のんで、あっというまに1ヶ月が経ち、薬はなくなった。

    あんまり効果のほどは出現していない。しかし、ここでやめたら男がすたると思い再度処方箋をもらいに行こうかと考えたが、でも8000円は高いよなあと思い留まり、ふと、ジェネリックがあるのではないかと調べたところ、ありました! インド製で100錠3000円! 

    うーーん、インド製か。のむといきなり死んじゃうかもしれないなあ、と思いつつも、まあ、どうせいつかは死ぬのだし、8000円払うのはもったいないし、とけち臭いことを考えて、個人輸入で薬をゲット。

    薬は思っていたよりちゃんとしたパッケージに入っていたし、見たところ薬の様でもあるので、ええい、ままよと服用を始めてすでに3ヶ月、生えてきてるんですよ、髪が。ちょっと勢いづいてきてるんですよ、これが。

    これからどうなるか、大いに楽しみ。一年後にはロンゲになってたりして。

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2010年3月24日 (水)

アップルもアマゾンも余計なことをしてくれる

   
    更新が滞った。それというのも仕事が忙しかったからである。

  何をしていたか? 電子書籍の未来について頭をめぐらせていたのである。ここにきて、新聞やビジネス誌でしきりとキンドルやiPadの話題が取り上げられ、「いよいよ本格的な電子書籍の波がやってくる」といった論調の記事が踊ったものだから、仕事として、そのあたりのことを調べて、レポートにまとめなくてならなくなったのである。

  まったく、アップルもアマゾンも余計なことをしてくれるもんである。

  仕方がないので、がんばってそれ関係の本を漁り、ネットでデータを確認し、一生懸命に考えを巡らせた。まるで受験勉強みたいなので、少しは楽しかったのだが、そもそもそんなに関心があるわけでもない世界の本を読むことは、いささか苦痛でもあった。

  しかも、私は本を読む際に黙読というのができない。口にこそ出さないが、頭の中で必ず音読しているのである。これは文章を書くときもそうで、必ず、頭の中で繰り返してその文章を音で反芻している。

  このとき、音の調子や呼吸がスムースでないと、書いていてとても気持が悪い。そんな性分だから、必読資料もすいすい読めないのだよ。

  しかし、レポートがとりあえず一段落したので、好きな本が読めるのが嬉しい。さあ、今晩から「天皇の世紀」第9巻を読むぞ。

  ところで電子書籍である。多分私は、どんなに素晴らしいデバイスがこの世に登場しても、それで本は読まないだろう。

  私にとって本は単に文字が並んでいるだけのものではない。もっと、生理的、感覚的なものなのである。その装丁や、紙の手触りやインクの臭い、活字のにじみ、重みなど、そのすべてが本なのである。それなくして、単に文字情報だけを読み取りたいわけではないのである。

  こんな比喩を語っていつも回りの人間からバカにされるが、私にとって紙の本を読む行為というのは、女性を優しく抱きしめるような行為と同じである。その体温や臭いがひっそりと、こちらに伝わってくる。

  翻って、電子書籍を読むというのは、液晶画面にその女性の写真が映し出され、身長・体重などのデータが数値で表示してあるようなものなのである。そこにぬくもりはないのである。

  大体、電気に頼っているところが気に食わない。

  いつまでもこの世に豊富に電気があると思うなよ。

  1万年もしないうちに、電気のない世界がやってくることだってあるのだ。そのとき、冷たくなったキンドルを抱きしめていてもしようがない。それなら、ボロボロになった文庫本を握りしめているほうがまだましではないか。

  などと、屁理屈を書き並べているが、私が電子書籍に適合できないのは、風呂に入りながら本を読むという習慣を絶対に捨てきれないからでもある。

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2010年3月18日 (木)

美人女医とイボ

 会社の同僚に、会社の近所にあるA医院(皮膚科)の女医さんが美人であることを教わった。一緒に昼ごはんを食べているときに、その同僚が言うのである。

「いやあ、最近ちょっと会ったことがないくらいの美人ですね。こんなお医者さんがいるのかというくらいの。診察室で緊張しちゃいますよ。歳? うーん、30代半ばくらいですかね。身長? 160センチくらい。中肉中背ですね」

  焼き魚定食をつつきながら一生懸命説明してくれる。なんでも、指先の爪が曲がって痛くなったのでその病院に行ったらしい。

「ふーん、それじゃあ、ちょっと顔を見てこないといけないなあ」と私。

  しかし、特に皮膚科に用事のあるような不具合もない。何かないかと、トイレの鏡で自分の顔をしみじみ見てみると、おお、ほっぺにイボがあるではないの。右眉の横に、なんだかセメダインがくっついて乾いたみたいになっちゃってるものがあるではないの。

  よーし、これだ。「ちょっと、おれ、病院に行ってくるから」と同僚に告げると、「えー」と呆れた顔をしている。バカモン、界隈では珍しい美人だと言ったのはお前だろうが。

美人先生の診察日は月曜日と木曜日。それ以外の曜日は、年配のがさつなオバハン先生らしいので、曜日をかんがえて行かないと全くのムダ骨ということになる。

    月曜日、病院に行くと、待合室に患者がたまっている。なんだか中高年の男性が多いように思える。もの好きなやつが多いもんだ、と一人ごちながら順番を待つ。一体、どんな美人なんだろうと、期待に胸が膨らむ。

    いったい、オレは仕事をさぼって、何をしてるんだろう、という自省的思慮もときどき脳裏を走っていく。

    順番が来ました! 診察室に入ると、いました、美人先生。確かに年のころは30半ば。スレンダーである。皮膚科だけあってきれいな肌をしている。お化粧もやや濃いような気がする。

「どうされました?」
「はあ、顔にイボが・・・・。あ、おでこにもなんか変なものが・・・・」
「ちょっと、よく見せて下さい」

  といいつつ、先生はルーペを手に顔を近づけて、私のほっぺをまじまじと見つめる。おおおおお、見ず知らずの女性の顔が、こんな近くに! 鼻息がかかるほどの距離ではないの。ベロをびろーーーんと出せば、先生のほっぺを舐められるかもしれない、などというその辺のエロ・オヤジのような妄想が芽生えてくるのを、理性が抑える。

  そんなことしたら、明日の朝刊に、史上最低のベロオヤジとして名前が出てしまうぞ、と自分に言い聞かせていると、先生が突然、

「あ、これは老化ですね。老化でできるイボです、これは。取っちゃいましょう」
「え、取っちゃうんですか?」
「いやなんですか? 取るの」
「いえ、取りたいです。でも、痛くないですか・・・・?」
「大丈夫。幼稚園児でも泣きません」
「あ、そうですか。じゃあ、大丈夫ですね」

  液体チッソなのかなんなのか、チリチリと冷たそうな気体を上げる容器に浸した綿棒のようなものでイボをツンツンしていく。低温で焼くのだろう。

  治療は数分で終了。痛くなかった。

「これで、終わりです。また2週間後に来て下さい。そうね、再来週の金曜日にいらっしゃって下さい」
「ええー、金曜日ですか?」

  先生、金曜日はがさつなオバハン先生が担当の日じゃないですか。同僚に聞いたけど、オバハン先生はとても乱暴で痛いそうですよ。先生は、そこに僕を追いやろうというんですか? ぼ、僕のこと、嫌いなんですか?

  なんてことはとても言えないので、

「すみません。金曜日はちょっと用事があるので木曜日でお願いします」

  軟膏も手にして、A医院を辞したのだった。

  美しき女医センセ。うむ、なかなかいい響きである。

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2010年3月17日 (水)

自転車少年のおしゃれ

   自転車少年がズボンの右脚側を折り返して乗っているのは、おしゃれだと思っていた。アシンメトリーな無造作を装った、新手の流行だと思っていたのである。

  つい最近、それはおしゃれではなく、ズボンがチェーンに巻き込まれたり、油で汚れたりしないようにたくし上げているだけだということを知った。

  よくみて見れば、確かに自転車のチェーンは右側についていた。

  世の中には自分の知らないことがまだまだいっぱいあるもんだと、しみじみ思い知らされたことだった。

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2010年3月16日 (火)

ニッポンの高速道路のデタラメ至極

  
    昨日(2010/3/15)の朝日新聞の夕刊の一面に「首都高 右カーブ注意」という妙な記事が載っていた。それによると大型車の事故の12件中9件は右カーブで起きていること。その理由として、右ハンドルだと感覚的に右カーブの方が運転しやすいからではないか、ということが書かれていた。

  その記事を読んでいてすぐに思ったことは、必要なことは「右カーブに注意しろ」という警鐘を鳴らすことではなく、「なぜ高速道路のくせに、転覆しちゃうようなカーブがそのまま放置されているのか」という問いを立てることではないのかということだった。

  かつて、著名なF1ドライバーが東京で高速道路を走った際に、そのあまりにくねくねと曲がりくねっている様に呆れたという話を聞いたことがある。そのドライバーが皮肉まじりに言うには、「日本のF1ドライバーは日常的にこんな道を飛ばしているのに、どうしてレースで勝てないんだ」

  首都高を走っていると、ときどき、なぜこんな高速道を作ったのかと呆れかつ驚くことがある。高速道が「死ね!死ね!」とドライバーに叫んでいるとしか思えない作りになっているところがある。

  私が日常的に利用する首都高4号線の上り。新宿から代々木にかけての急カーブはいったい何を考えてこの設計にOKを出したのか、役人の脳味噌を疑う。これは明らかに明治神宮内に高速道が入り込むことが許可されずに、このように危険なカーブが出来上がってしまったのだと思う。

  天皇家の神聖な苑に高速道などという無粋なものを侵犯させるわけにはいかぬ、という判断が下ったのかもしれない。実際はいかなる理由でこうなったのか知らないが、このせいで一体、何人のドライバーが死んだことか。

  私の知っている事故でも2,3件あって、そのひとつは、タンクローリーを転覆、炎上させてしまった運転手が驚倒し、神宮内に入って首を吊って死んでしまった、というようなものまであった。

  このカーブのガードレールやその下部のコンクリート部分は無傷であったことがない。いつも、ガリガリに削られている。どうしてこれを放置したままで、担当者は恬として恥じないのか、私には分からない。

  その他の危険箇所は3号線の上り、環状線に合流するところなど、いつもひやひやしながら合流している。環状線の新富町あたりには高速道路の真ん中に橋の橋脚がデンと突っ立っているのも、なかなかのもんである。世界中の大都市に高速道路は数々あるけれど、これほど肝の冷える高速道はそうはない。

  ことほどさように、日本の高速道路ではデタラメがまかり通っている。デタラメの最たるものは、高速道路への乗線、一般道への降線の出入り口のデタラメ至極ぶりである。

  あるときは右車線側へ入り込んだかと思うと、また別のところでは左車線に入り込む。降りるときも右車線側から降りたり、左車線側から降りたり。規則性が何もないのである。デタラメ至極なのである。

  そもそも高速道路は、右側が追い越し車線、左側が低速車線なのであるから、すべからく左車線(低速車線)側から乗り降りするのが常識なのである。アメリカでもフランスでも、世界中の高速道ではその規則性が一貫している。だから、安心して運転できるのだが、日本ではそうはいかない。

  高速道を走っていて、次の出口が右にあるのか左にあるのか、直ちには分からない。降りる直前になってそれが分かるから、逆サイドにある場合には慌てて車線を変更せねばならない。このことによる、渋滞や事故は結構あるのではないか、と思う。

  高速道路というのは、いつも走っていて勝手が分かっている人ばかりが走っているわけではない。むしろ初めてそこを走る人の方が多いのである。だから、国は、初めての運転者でも安心して走れるような高速道路をこそ、設計し、敷設するべきなのである、担当者はそのことを分かっておるのか、ドンドン(机を叩く音)。

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2010年3月15日 (月)

井上雄彦と同時代人であることの幸福

 
    内田樹氏が、ご自身のブログ(2010/03/15)で、天保山のサントリーミュージアムに井上雄彦「最後のマンガ展・重版・大阪編」を見に行った話を書いておられる。しかも、すでに3回も訪れたとも。

  ブログの最後を、
<いま、このような真率なレスペクトを若者たちから向けられる大人がどれだけ存在するであろう。
同時代に井上雄彦のようなクリエイターを得たことを私は幸運だと思う。>
 と締めくくっておられるが、まことにその通りだと私も思う。

    一昨年だったか、上野の森で開催された「最後のマンガ展」に私も3度も足を運んだ。その時に大いに感動して、このブログに何度も何度も文章を書いたことを思い出した(下にURLを書いておきます。お暇なかたは覗いて見てください)。

    http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/cat15215493/index.html

    http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_a4dc.html

  なぜ、井上雅彦のマンガは泣けるのか、誰か解説してくれませんか。

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2010年3月14日 (日)

候文は難儀にて候

  久しぶりに休日出勤。腹ごしらえに近所の牛丼松屋で牛丼を食う。しかし、なんで味噌汁がこんなにぬるいんだ。吉野家でもそうだけれども、指をつっこんでもちっとも熱くないのが、牛丼界の常識なのか?

  マクドナルドの熱いコーヒーを自分の股間にぶっこぼして火傷し、大金をせしめたアメリカ人のオバハンがいたが、その手のクレーマーを恐れてのことなのか。あるいは、あまり熱いと客がフーフーいってさますので時間が余計にかかって回転が悪くなるからなのか。

  いずれにせよ、生ぬるい味噌汁は許せん! なので、全部残してしまった・・・・・。

  ひょっとして、今、世間の味噌汁の温度は、このくらいが普通になってしまっているのか? もし、そうだとすると日本人の劣化は、味覚にも及んでいると断ぜざるを得ない。

    どこかの雑誌が、日本人はどんどんバカになってきているという痛快な大特集をやっていたが、バカになってきているのは、オツムだけではなく、舌もなのかも。

  最近、せっせと読みふけっているのが大佛次郎の「天皇の世紀」。面白くてたまらん、という話はすでに書いたが、依然として読み終わっていない。

    文春文庫で最近出版された(<歴史文学の名著、待望の復刊! 明治維新のすべてがここにある。>と帯に書かれている)ものを読んで一挙にその世界に引きずり込まれたのだが、月に1冊ずつしか刊行されないので、刊行ペースが遅すぎて待っていられない。

    仕方がないのでアマゾンで昭和52年に出た昔の朝日文庫を入手して読みついでいる。しかし、これが全17巻ときたもんだ。しかも、昔の文庫本だから活字が小さく、かつすでにインクが褪色してしまって読み辛いことこの上ない。

    おまけに候文の手記、日記、手紙、書籍の引用が山のようにあって、とてもすらすら読めるようなシロモノではない。候文というのがどういうものか、引用してみよう。
   
    1846年に黒船が浦賀に来た直後、徳川斉昭が老中の阿部伊勢守に宛てて書いた手紙である。

<夷狄は一疋も残らざるよう召捕次第、打殺し切殺し候よう、厳重御達に相成候よう致したく候。内地の戦争は勝利これあり候えば、土地をも得候故、励み候場もこれあり候えども、異船防禦の儀は何の益もこれなく候えば、せめて、船、筒(大砲)等にても取得候えば、少しは励みの為に相成べく候>(文春文庫版 第1巻 P171~172)

  同書の最初の頃こそ、大佛氏の「地の文章」が多かったのが、巻が進むに連れて、候文の引用がはなはだ多くなってくる。大佛氏も疲れてきたのかもしれない。

  候文もパターンを飲み込めば読めるようにはなるけれど、しかし、現代文ほどにはスムースにいかない。そんな訳で、目下第9巻目を読み進んでいるところ。

  先に、日本人が劣化していると書いたけれど、同書を読みつつそのことを考えていた。

    この「天皇の世紀」は明治100年を記念して、朝日新聞紙面に連載されたものである。ちなみに、新聞各紙は明治100年を記念して似たような企画を進めている。読売新聞は「昭和史の天皇」、産経新聞は司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」。

  つまりこの「天皇の世紀」は朝日の朝刊に載った新聞小説なのである。江戸幕府が崩壊して100年。1967年当時、まだ日本には新聞の読者層の中に、この候文を普通に読みこなす人が大量にいた、ということなのである。

  そうでなくては、新聞小説として成立しないであろう。翻って現在、朝刊の連載小説にこの手の候文を頻出させていたら、おそらく読者は離反するだろう。いや、むしろ、ついて来られないに違いない。

  その時から早40年。明治維新から140年。この小説を難渋しながら読み進めつつ、我が身を含めて、我々がどれほど劣化してしまったかをつくづくと思い知らされるのである。

  それはさておき、小説そのものについてだが、すべて読了後にあらためてきちんと書きたいと思うけれど(思うだけでやらないかも知れないので急いで記しておくのだが)、読んでいてすぐに分かったことは「明治維新とは、とてつもなく血生臭い、血で血を洗う抗争であった」ということである。

  それはほとんど「革命」に近い。テロルを含め、日常茶飯事的に人殺しが横行した時期だった。人殺しだけではない。ほいほいと人が腹を切る。実にカジュアルに従容として自殺を遂行しているのである。

  刑罰としての首切りも、実に頻繁に行われている。首を切って切って切りまくっている。切り取った首級を道端に晒したり、あるいは腐らないように塩漬けにして桶に入れ、遠地へ証拠として送り届けたりしている。まことにすさまじい時期なのである。

  かろうじて(ほとんど運だけで)生き残った者たちによって担われたのが明治維新であったということがよく分かる。(横道にそれるが、朝日新聞の読書欄を読んでいたら髙村薫氏が岩波新書「清水次郎長」の書評でこう書いている。<幕末維新とは、大義や志より、ともかく濁流を乗り切った者が歴史をつくることの見本のような時代だったのではないかという思いを強くした。> うまいこと言うね)

  この時期に顕在化した我々の「残忍性」(ある目的のために、人を殺したり、あるいは自死することをへとも思わぬ心性)は、その後も脈々として我々の中に息づいており、折に触れて激しく露呈するように思われる。

  それは、太平洋戦争時や過激派が跋扈する時期に強く顕在化した。日本刀を振りかざして吶喊する日本兵や、仲間を惨殺した赤軍派兵士らは、まぎれもなく、幕末の志士たちのアバターであり、おそらくこの心性は今後もこの国の変革の時期に必ずや浮上してくるに違いない。

  そんな時代は、少なくとも私が生きている間には到来しないでほしいと切に願うけれど。

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2010年3月13日 (土)

グリコのおじさん

   
    仕事で大阪のグリコ本社へ出かけた。新大阪から車で15分くらいで到着。

  グリコのキャラメルは子供の頃によく食べていたので、どんな会社なのか興味があった。赤い小箱の上部に詰められたオマケをよく集めたものだった。

  赤い小箱にはトレードマークの人物の絵が描かれていた。多分、陸上競技でゴールする瞬間だろう、万歳しながら走ってくる男性の絵があったように思う。そのそばに「一粒で300メートル」と書かれていたような記憶もある。

  グリコ本社の受付は最も古い建物の1階にある。よくぞ阪神大震災で壊れなかったなあ、というくらい古い。その受付スペースの一角には自社製品をすべて展示する陳列ケースが置かれていて、その右上に、奇怪な絵画が掲げてあった。

  えらく古びた油絵で、胸に「グリコ」と書かれたランニングウェアに短パンの男性が陸上競技でゴールする瞬間を描いたものである。そう、あのグリコのトレードマークの元絵らしきものである。しかし、とてもリアルなのである。

  男性は40代のにやけたおじさん風で、にんまり笑いながらゴールしている。しかも万歳で両腕を挙げているのだが、両脇に黒々とした腋毛がボウボウと描かれている。おまけに、白い短パンがちょっと小さくて、おじさんの股間が妙にリアルにもっこりしている。

  なんじゃ、これは。どなたか、グリコ関係者の方、この絵の由来をご存知であればご教示くだされ。
  

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人は死ねばゴミになる


   Sさんが亡くなってはや半月が経つ。早いものだなあと思う。逝くものはかくの如きか昼夜を舎かず。あっという間に1年が経ち、10年が過ぎ、100年が流れる。そうなったら、もう、誰も、Sさんという人間が生きていたことさえ覚えていないだろう。

  かつて、検事総長を務めた伊藤栄樹氏は「人は死ねばゴミになる」という題の本を上梓したことがある。おそらく、ご自身がガンで余命いくばくもない時期に執筆されたものだと思う。人は死ぬと単なる生ゴミとなり、焼却されてきれいさっぱり消えてなくなる。人間の一生とはそんなもので、それ以上でもそれ以下でもない。

  最期の一瞬まで見届けた、Sさんの奥さんから手紙が来た。その中に、
<時々は、あの豪快な笑いと笑顔を想い出してやってくださいませ。>という一文があった。そうである。遺されたものにできることは、そうやって追想することだけである。

  でも、Sさん、会いたいなあ。

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2010年3月12日 (金)

ビビロロの憂鬱

 
   1971年、青雲の志をもって故郷・和歌山を旅立ち、早稲田大学第一文学部に入学したものの、そこはどうしようもなく暗いキャンパスなのだった。学内は革マルに占拠され、授業はろくすっぽ行われず、教室にもヘルメットにタオル姿の「革命家」が乱入し、教師を放逐してしまうありさまだった。

  クラスメートは長髪に汚いジーパン、サンダル姿でハイライトをくわえ、授業中も「朝日ジャーナル」や「世界」や「展望」や「情況」を読みふけり、この世の憂いを一身に纏ったような風情で、うっとうしいたらありゃしない。そうこうするうちに、学生会館で学生が一人殺されるに至り、10代の青年には耐え難い陰惨な空気が充満しはじめた。

  あかん。こんなところにいたら殺されるかノイローゼになる! といち早く察知した私はさっさと遁走。翌年、上智大学外国語学部フランス語学科にもぐりこんだのだった。

  ここはいい! 美人学生が佃煮にできるくらいいる! むさくるしい男もいない! 

  しかし、明るい空気に包まれたのも束の間、授業が始まるとすぐに気持はどんよりしてくるのだった。授業が厳しい! フランス語学科だから当然ながら毎日その授業がある。しかも1限目に設定され、おまけに小学生みたいに宿題がわんさか出る! その中でも辟易とさせられたのは「ビビロロ」だった。

  だいたい、生意気な大学生である。フランス語学科である。やれ、実存主義だの構造主義だのサルトルだカミュだボーボワールだ、いやヌーボーロマンだなどとわめいていたのに、いざ、授業にでると、クロード・ロベルジュ先生(神父)が、いきなり生徒に向って、訳のわからない呪文のようなフランス語(らしきもの)を喋りだし、これを口移しに覚えろ、というのである。

「ビビロロ、ドゥサマロ、キテュサファム・・・」。いったい、それが何なのかはさっぱり分からない。ただ、覚えろというのである。覚えるだけではない、順番に前に出て、みんなのほうに向ってそれを暗誦しろというのである。そんなもん、すぐに覚えられるわけがないだろう! と思うのだが、クラスメートたちはすいすい覚える。で、前で「ビビロロ、ドゥサマロ、キテュサファム・・」とやるのである。

  仏門に入った小僧が般若心経を暗記させられるようなものである。

  この「ビビロロ」はクラスメート全員のプライドをへし折り、その後にいたるまで大きなトラウマを残した。卒業してもう30年以上経つのに、まだ覚えているくらいだから。私だけではない。フランス語学科の卒業生はみんな、このトラウマテッィクな体験を共有している。

  私より数十年遅く卒業し、現在はブシュロンで広報業務に従事するSさんも「ビビロロ」は言える。おそらくアナウンサーの三雲孝江さんも言える。同時通訳で活躍する鶴田知佳子さんも、パンの本で有名な堀井和子さんも、翻訳家の北代美和子さんも実川元子さんも「ELLE」の編集長の森明子さんも、「FIGARO」の元編集長の塚本香さんも住友商事の穴原利英くんも、みんな言える。ひょとすると作家の関川夏央さんも言えるかもしれない。APRICAの葛西康人くんは多分言えない、と思うが・・・・。

  みんなを悩ませたこの「ビビロロ」だが、これがいったいなんだったのか、つい最近知った。先日送られてきたフランス語学科同窓会・会報を見ていたら、「ビビロロ」のフランス語が載っていた。

  みなさん、私たちが悩まされた「ビビロロ」は以下のような内容でした。フランスの「わらべ歌」なんだそうです。

Bibi Lolo
De Saint-Malo
Qui tue sa femme
A coups de couteau
Qui la console
A coups de casserole,
Qui la guérit
A coups de fusil.

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