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2010年3月14日 (日)

候文は難儀にて候

  久しぶりに休日出勤。腹ごしらえに近所の牛丼松屋で牛丼を食う。しかし、なんで味噌汁がこんなにぬるいんだ。吉野家でもそうだけれども、指をつっこんでもちっとも熱くないのが、牛丼界の常識なのか?

  マクドナルドの熱いコーヒーを自分の股間にぶっこぼして火傷し、大金をせしめたアメリカ人のオバハンがいたが、その手のクレーマーを恐れてのことなのか。あるいは、あまり熱いと客がフーフーいってさますので時間が余計にかかって回転が悪くなるからなのか。

  いずれにせよ、生ぬるい味噌汁は許せん! なので、全部残してしまった・・・・・。

  ひょっとして、今、世間の味噌汁の温度は、このくらいが普通になってしまっているのか? もし、そうだとすると日本人の劣化は、味覚にも及んでいると断ぜざるを得ない。

    どこかの雑誌が、日本人はどんどんバカになってきているという痛快な大特集をやっていたが、バカになってきているのは、オツムだけではなく、舌もなのかも。

  最近、せっせと読みふけっているのが大佛次郎の「天皇の世紀」。面白くてたまらん、という話はすでに書いたが、依然として読み終わっていない。

    文春文庫で最近出版された(<歴史文学の名著、待望の復刊! 明治維新のすべてがここにある。>と帯に書かれている)ものを読んで一挙にその世界に引きずり込まれたのだが、月に1冊ずつしか刊行されないので、刊行ペースが遅すぎて待っていられない。

    仕方がないのでアマゾンで昭和52年に出た昔の朝日文庫を入手して読みついでいる。しかし、これが全17巻ときたもんだ。しかも、昔の文庫本だから活字が小さく、かつすでにインクが褪色してしまって読み辛いことこの上ない。

    おまけに候文の手記、日記、手紙、書籍の引用が山のようにあって、とてもすらすら読めるようなシロモノではない。候文というのがどういうものか、引用してみよう。
   
    1846年に黒船が浦賀に来た直後、徳川斉昭が老中の阿部伊勢守に宛てて書いた手紙である。

<夷狄は一疋も残らざるよう召捕次第、打殺し切殺し候よう、厳重御達に相成候よう致したく候。内地の戦争は勝利これあり候えば、土地をも得候故、励み候場もこれあり候えども、異船防禦の儀は何の益もこれなく候えば、せめて、船、筒(大砲)等にても取得候えば、少しは励みの為に相成べく候>(文春文庫版 第1巻 P171~172)

  同書の最初の頃こそ、大佛氏の「地の文章」が多かったのが、巻が進むに連れて、候文の引用がはなはだ多くなってくる。大佛氏も疲れてきたのかもしれない。

  候文もパターンを飲み込めば読めるようにはなるけれど、しかし、現代文ほどにはスムースにいかない。そんな訳で、目下第9巻目を読み進んでいるところ。

  先に、日本人が劣化していると書いたけれど、同書を読みつつそのことを考えていた。

    この「天皇の世紀」は明治100年を記念して、朝日新聞紙面に連載されたものである。ちなみに、新聞各紙は明治100年を記念して似たような企画を進めている。読売新聞は「昭和史の天皇」、産経新聞は司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」。

  つまりこの「天皇の世紀」は朝日の朝刊に載った新聞小説なのである。江戸幕府が崩壊して100年。1967年当時、まだ日本には新聞の読者層の中に、この候文を普通に読みこなす人が大量にいた、ということなのである。

  そうでなくては、新聞小説として成立しないであろう。翻って現在、朝刊の連載小説にこの手の候文を頻出させていたら、おそらく読者は離反するだろう。いや、むしろ、ついて来られないに違いない。

  その時から早40年。明治維新から140年。この小説を難渋しながら読み進めつつ、我が身を含めて、我々がどれほど劣化してしまったかをつくづくと思い知らされるのである。

  それはさておき、小説そのものについてだが、すべて読了後にあらためてきちんと書きたいと思うけれど(思うだけでやらないかも知れないので急いで記しておくのだが)、読んでいてすぐに分かったことは「明治維新とは、とてつもなく血生臭い、血で血を洗う抗争であった」ということである。

  それはほとんど「革命」に近い。テロルを含め、日常茶飯事的に人殺しが横行した時期だった。人殺しだけではない。ほいほいと人が腹を切る。実にカジュアルに従容として自殺を遂行しているのである。

  刑罰としての首切りも、実に頻繁に行われている。首を切って切って切りまくっている。切り取った首級を道端に晒したり、あるいは腐らないように塩漬けにして桶に入れ、遠地へ証拠として送り届けたりしている。まことにすさまじい時期なのである。

  かろうじて(ほとんど運だけで)生き残った者たちによって担われたのが明治維新であったということがよく分かる。(横道にそれるが、朝日新聞の読書欄を読んでいたら髙村薫氏が岩波新書「清水次郎長」の書評でこう書いている。<幕末維新とは、大義や志より、ともかく濁流を乗り切った者が歴史をつくることの見本のような時代だったのではないかという思いを強くした。> うまいこと言うね)

  この時期に顕在化した我々の「残忍性」(ある目的のために、人を殺したり、あるいは自死することをへとも思わぬ心性)は、その後も脈々として我々の中に息づいており、折に触れて激しく露呈するように思われる。

  それは、太平洋戦争時や過激派が跋扈する時期に強く顕在化した。日本刀を振りかざして吶喊する日本兵や、仲間を惨殺した赤軍派兵士らは、まぎれもなく、幕末の志士たちのアバターであり、おそらくこの心性は今後もこの国の変革の時期に必ずや浮上してくるに違いない。

  そんな時代は、少なくとも私が生きている間には到来しないでほしいと切に願うけれど。

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