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2010年3月31日 (水)

広告の力

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    とても印象的な広告だったので、急ぎ書き残しておきたい。

  今朝、三鷹駅のプラットフォームで、最新号の「ニューズウィーク」(2010 4/7号)を買った。表紙の写真が、近日発売になるiPadで、特集タイトルが「iPadがすべてを変える」という扇情的(?)なものだったので思わず購入してしまった次第。

  特集そのものは、ほとんど提灯記事なので面白くもなんともなかったが、パラパラとページを繰っていて、あっと驚く広告に出くわしたのでそのことについて書きたい。

  広告主はAJINOMOTO。カラーの1ページ広告が3ページ連続で続く。ページの右下には、ほんだしや味の素やコンソメの写真が小さく載っている。その横には小さく<うちごはんは、家族をつなぐ素。>というコピー。

    驚いたのはカラー1ページのほとんどを使った写真。1ページ目の写真は、ほとんど半裸のような格好をして、渋谷と思しき街頭に座り込んで無心に携帯をのぞき込んでいる茶髪の少女の、うすら淋しい姿である。

    その写真の上に、メインコピーが<ごはんだよ。帰っておいで。>

    うまい広告だなあ、と思った。2ページ目は、ゲームセンターでゲームに興じるだらしない格好の青年の写真。3ページ目が居酒屋で生ビールを飲む、疲れたお父さんのわびしい写真。そのすべてに、<ごはんだよ。帰っておいで。>のコピーが付されている。

    ばらばらに分断された、我々の現在の家庭状況を見事に象徴している、と思ったのである。AJINOMOTOが広告制作者に望んだことは、「おうちで、家族揃ってご飯を食べよう」というメッセージを消費者に届けたい、というものだったに違いない。

    あなたが、もしクライアントからそのような要請を受けたら、どのような広告ビジュアルを思いつくだろうか。おそらくは一家団欒の暖かい食事風景(よくテレビドラマに出てくるような)を思い浮かべはしないか?

    しかし、この広告のクリエーターはそうはしなかった。その最も対極に位置する、我々の侘しい日常風景をもってして、家庭回帰を訴求しようとしたのである。

    そこが凄いと思う。クリエーターの頭のファイルに、「我々の日常にひそむ侘しさ」が豊富に蓄えられていないとこのビジュアルは出てこないに違いない。その蓄積を可能にしたのは、ひとえにそのクリエーターの感受性である。そこに拍手を送りたいと思う。

    ところでさて、「渋谷の街頭に座り込む半裸の少女」の、このビジュアルを、これから100年後の、後世の日本人は、いったいどのように眺めるのだろうかと、ふと思った。

    浮世絵に描かれた、今から100年前の少女の姿の意味を、我々もはや、とくと分からぬようになってしまったように、100年後の日本人には、この少女の姿や、この姿に象徴される索漠たる我々の日常の意味など、ほとんど伝わらないのではなかろうか。

    広告は、「我々の今」をたくみに掬いとる装置でもある。

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コメント

はじめまして!上記、まったく同感です!ある企業で、宣伝担当をしています。とても参考になる広告でした。心が動かされました。「うちごはんを食べてほしい人の視点、潜在的感情」に基づいた広告だと思います。

投稿: dai | 2010年4月 1日 (木) 17時27分

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