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2010年4月

2010年4月28日 (水)

香港ナウ

  24日土曜日から、香港に来ている。完全にプライベートな旅は久しぶり。パリやミラノやジュネーブやニューヨークや上海やバンコクやロンドンなど、仕事であちこちしたけれど、オブリゲーションのない、のーんびりした私的な旅は実に久しぶりである。

  香港の空港に到着し、ロビーに出てくると、「香港のにおい」が鼻のあたりをかすめていく。ああ、異国に来たなあ、と思う。何のにおいなのだろうか。ハッカクかお醤油か、なんともいえない、よく中華料理屋で嗅ぐようなにおいである。

  バンコクにはバンコクのにおいがあり(これは超苦手で、そのままユーターンしたくなる)、NYには独特の「バタくさい」においがある。

「国民臭」とでもいうものではないかと思う。その国民が日常的に摂取する食べ物が持つにおいが、全国民の体の穴という穴から滲み出ているのだと思う。

  われわれ日本人はもはや、羽田や成田に降り立ってもなんのにおいも感じないが、日本には日本の「国民臭」があるのだと思う。鰹だしのにおいなのか、味噌のにおいなのか、醤油のにおいなのか。何なのかは知らないが、絶対にあるはずである。

  今回の旅は「ただひたすらにゴルフをすること」。そのために、いつものゴルフ仲間の2人を誘っての旅となった。香港在住のOご夫妻のご好意に甘えて、かの名門「THE  HONGKONG GOLF  CLUB」でのラウンドを満喫することとなった。

  
    O氏は私のこの酔狂な夢を実現するために、なんと4日間連続でラウンドしなくてはならないこととなった。本当に感謝の言葉もない。

    これから荷造りして、帰国の途に着く。

    また香港に戻ってきて、いいようにあしらわれてしまった「THE  HONGKONG GOLF  CLUB」に再挑戦したいと切に思う。

  

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2010年4月23日 (金)

いろいろと分からないことが世の中には多い

 
    寒いね。いつになったら春らしくなるのか。北のほうでは雪が降っているとか。こんな4月はなし、だよなあ。

  というわけで、私は明日の朝から香港へ。かの地ではもう、みんな半ズボン、に違いない。いいな、あったかくて。

  ところで、話は急転回するが、昔、中学の英語の授業でBIGとLARGEの違いを習ったときに、LARGEは「容積の大きいことを指す」と習ったように記憶するが、マクドナルドのでかいハンバーガーはなぜ、BIG MACなのだろうか。

  Tシャツはなぜ、LARGEなのだろうか。

  スタバは何をすかして、SHORT TALL GRANDE VENTI(これは巨大で591CC!)などというメンドくさい呼称にしたのだろうか。

  いろいろと分からないことが世の中には多い。

  そう言えば、先日テレビでゴルフ・ネットワークを見ていたら、日本ではUNDER RAR(アンダーパー=18ホールの基準打数をいくら下回ったかを言う)と言っているのに、テレビではBELOW PAR と表示されていた。

   UNDER と BELOW をネイティブたちはどう使い分けているんだろうか。
  
    2000年に公開された映画に「ワット・ライズ・ビニース」(WHAT LIES BENEATH)というロバート・ゼメキス監督の映画があった。ハリソン・フォード主演のサスペンス・スリラー物で、湖の底から女の死体がどーどーっと浮き上がってくるんだが、どうしてUNDERではなくてBENEATHでなくてはならないのかは、よく分からない。

  ネイティブには直感的に分かるのだろうが。

  やはり、いろいろと分からないことが世の中には多い。

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2010年4月20日 (火)

ヒマラヤほどの消しゴムひとつ

   
    4月17日に無事に58歳の誕生日を迎えた。

  まあ、はるけくも来つるものかな、という感慨ひとしおである。

    とともに、老化というものがどういう形をとって襲いかかってくるのかも少しづつ分かるようになってきた。足腰がどんな具合にギクシャクしてくるか。目玉がかすみ始めるというのはどういうことかが最近はよく分かる。

    新しい固有名詞が脳みそのシワに刻み込まれなくなり、昔刻み込んだ知識や記憶がスムースに取り出せなくなるのは、どんな気分なものか。アレ、やソレ、やコレといった指示代名詞が会話の最中に無闇に多くなる理由もよく分かるようになった。

    あまり、心楽しいことではないが。

    誕生日に先立つ16日の金曜日の夕刻、社を出ようとしたら、部下たちが丸いケーキを3個手に持ってやってきた。「誕生日おめでとうございます」とにこやかに笑いながら。

    私に分からないようにみんなでお金を出しあって、近所の高級洋菓子店、シェシマで買ってきてくれたのである。それを約30等分し、おいしい紅茶を淹れてみんなでわいわい言いながら立ったまま食べる。ささやかだけれど、こんな些細な日常が人に幸せをもたらしてくれるのだとしみじみ思う。

    翌17日、早起きすると雪が約1センチ積もっている。車は雪だるま状態である。4月も半ばだというのに、なんたる天変地異。めげることなく、五日市CCにお誕生日ゴルフに出かける。すこしプレーフィーが安くなるので、仲間を誘ってラウンド。

    わいわい言いながら回る。雪のせいでキャンセルが多かったらしく、余裕を持ってプレーができる。スコアは凡庸なものだが、午後から晴天のまことに気持ちのいい天気。天の福音を感じる。

    終了後、八王子の銀水で焼肉を豪食。その後、目黒通り沿いのル・カフェ・マミーで紅茶とケーキをいただく。「今日は僕の誕生日です」と告げると、店員の女性3人がHappy Birthday と書かれたクッキーを持ってきて、「ハピーバースデー!」と祝ってくれる。

    ありがたいことである。初めて行った店で、プロペシアをのんでなんとか髪の毛を奪還しようとしているハゲオヤジに「誕生日なんです」といわれて、素直にお祝いの言葉を投げかけてくれるんだから。

    帰りの車の中でこんな歌がラジオから流れてきた。「うん、こんな感じでもう少し、人生頑張ろう」という気持ちにさせられた。

ヒマラヤほどの消しゴムひとつ
楽しいことをたくさんしたい
ミサイルほどのペンを片手に
おもしろい事をたくさんしたい

夜の扉を開けて行こう
支配者達はイビキをかいてる
何度でも夏の匂いを嗅ごう
危ない橋を渡って来たんだ

夜の金網をくぐり抜け
今しか見る事が出来ないものや
ハックルベリーに会いに行く
台無しにした昨日は帳消しだ


誰かに金を貸してた気がする
そんなことはもうどうでもいいのだ
思い出は熱いトタン屋根の上
アイスクリームみたいに溶けてった

ヒマラヤほどの消しゴムひとつ
楽しい事をたくさんしたい
ミサイルほどのペンを片手に
おもしろい事をたくさんしたい

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2010年4月 8日 (木)

「ヤノマミ」について。 その2

  前回、国分拓氏の新著「ヤノマミ」を紹介しつつ、アマゾンの最奥部に住む先住民社会には、「人間が持つ暴力性と無垢さ」が裸形でうずくまっている、という話を書いた。

  あまりに気分がダークだったので、書き続ける気が起きず、そのままアップしてしまったのだが、もう少し書き足しておきたい。

「暴力性と無垢さ」は対極的な概念ではなく、両者はお互いに手に手を取り合っているような親密で、不即不離の関係なのではないかと、思った。

「無垢さ」に似た言葉で「無知」というものがある。「無知」は「暴力」を増長させる、ということについてはどちらさまもご理解いただけると思う。無知故に暴力性が加速してしまった例というのは枚挙にいとまがないだろう。

    ところで、「無知」というのは「知っているべきことを知らない」ということである。そして、「無垢」というのは、「自分は<知っているべきことを知らない>ということについて無知である」ということなので、実は「無知」よりも一層たちが悪いのではないかと思う。

「無垢」は「暴力性」を激しく加速する。

  というような由なしことを、のらりくらりと通勤電車の中で考えていた。

  さて、「ヤノマミ」に書かれてあるエピソードの中で、とても興味深かったものを書き留めておきたい。

  国分氏とカメラマン氏は、ある日、村の広場で、村人全員を前にして歌をうたうことを強要されたと言う。困った国分氏は「赤とんぼ」を歌った。

  カメラマン氏は、たぶん十八番なのだろう、「島唄」を歌い上げた。すると、その夜、ヤノマミの人々がカメラマン氏のところにやってきて、「島唄」をもう一度歌え、歌えとやかましい。

  そうなのである。「島唄」が、ヤノマミ族の人々の心に刺さったのである。「島唄」はご存知のように、伝統的な沖縄の美しい旋律で成り立っている。言ってみれば、東南アジア的心性の上に咲いた楽曲である。これにヤノマミ族は反応したのである。

  この話を知って、すこし目眩のようなロマンを感じた。アマゾンの奥地に住む先住民たちはモンゴロイドである。何万年か前に、彼らの先祖は遙かアジアの地を旅立ち、凍てついたアリューシャン列島を通り、北米大陸に渡った。

  あるものは北米の最北部に残ってエスキモーに、またあるものはインディアンとして大陸に住み着いたが、またあるものはさらに南下を続け、中南米大陸に渡り、先住民となった。

  何万年も前に故郷を旅立ち、何万キロも離れたジャングルの奥地に住み着いた彼らの心に、今もなお、アジア的リリシズムに感応する感覚が残っているのではないか、と思うと、気が遠くなるようなロマンを感じてしまうのである。

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2010年4月 5日 (月)

「人間が持つ暴力性と無垢さ」

 
    この日曜日、お花見に行こうと考えていたのだが、あまりの寒さに中止。気温自体はさほど低くないのに、なぜか体の芯がズンと冷えるような薄ら寒さである。こういうのを「花冷え」というんだろうな、と思いつつ、やることもないので手元にあった本を読み始める。

    新聞広告で妙に気になって、すぐにアマゾンで購入したその本のタイトルは「ヤノマミ」(NHK出版)。筆者はNHKのディレィターである国分拓氏。

    ヤノマミとは、アマゾンの最奥部、ブラジルとベネズエラに跨る広大な森に、1万年以上にわたって生きる先住民で、保護区となったその地域に、約2万5000人~3万人が200以上の集落に分散して住んでいると言う。

「ヤノマミ」は部族の言葉で「人間」を意味する。国分氏は、そのヤノマミ族の生態をドキュメンタリーとして記録すべく、ワトリキと呼ばれる集落に、07年11月から08年12月にかけて4回にわたり、のべ150日間同居した(番組は09年4月、「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」と題されて放送された)。

    ワトリキには167人のヤノマミがほとんど全裸で、大きな円形のひとつ家で暮らしている。彼らは独自の文化、風習を守り続け、時に「最後の石器人」と呼ばれたりしているが、本書は、そんな彼らとNHKディレクターとの想像を絶する同居の記録である。震撼せざるを得ない体験の、赤裸々で正直な告白である。

    その体験がどのようなものであったかをここに記すのは、これから読もうとする読者に対してあまりにも申し訳ないので書かないが、その体験がどれほど心身にとって過酷なものだったかは、取材後に帰国した国分氏の「壊れっぷり」から想像できるだろう。

    国分氏はこう書いている。

<東京に戻ってからも、体調は悪化する一方だった。食欲がなかったし、食べるとすぐ吐いた。十キロ異状減った体重は中々元には戻らなかった。(・・・・・)
  外に出ると、よく転んだ。まっすぐ歩いているはずなのに壁に激突することもあったし、ぼぉーとしてトイレに行ったら、そこが女子トイレだったこともあった。何かが壊れたようだった。
  菅井カメラマンとは、あの場面を見てしまったショックからだろうと話し合った。あの日以来、菅井カメラマンは子どもに手をかける夢を見るようになったと言った。僕はそんな夢は見なかったが、なぜか夜尿症になった。週に二、三回、明け方に目が覚めると、パンツとシーツがぐっしょり濡れていた。>(P309)

  ひとりのNHKディレクターをここまで追い込む世界は、我々の社会とは全く異質なものだった。<ヤノマミの世界には、「生も死」も、「聖も俗」も、「暴も愛」も、何もかもが同居していた。剥き出しのまま、ともに同居していた。>(P310)

  ひとつのエピソードだけ引用しておこう。先に国分氏は「あの場面を見てしまったショック」と書いているが、「あの場面」とはどのようなものだったのか?

  出産のとき、ヤノマミの女たちは森に入り、母親や姉妹が見守り、手助けするなかで産む。男たちは、その場所に参加することを許されていない。無事に子どもが生まれ落ちると、周囲の女たちはすっと引き下がり、生まれたばかりの赤ん坊と、たった今、その赤ん坊を産み落としたばかりの母親とを対峙させる。

  母親は、生まれ落ちたばかりのわが子をじっと見つめながら、しばしの間考える。何を? この赤ん坊を精霊のまま天に返す(殺す)か、人間として迎え入れる(生かす)かをだ。

  母親たちが何を基準にして赤ん坊の生殺を決めているのかは分からない。しかし、ある時は赤ん坊を抱いて集落に帰り、またある時は手ぶらで帰る。赤ん坊の生殺与奪は当の母親に握られている。

  国分氏らが目撃したシーンはこのようなものだった。

<一瞬嫌な予感がしたが、それはすぐに現実となった。暗い顔をしたローリは子どもの背中に右足を乗せ、両手で首を締め始めた。とっさに目を背けてしまった。すると、僕の仕草を見て、遠巻きに囲んでいた二十人ほどの女たちが笑い出した。女たちからすると、僕の仕草は異質なものだったのだ。失笑のような笑いだった。僕はその場を穢してしまったと思った。僕のせいで、笑いなど起きるはずのない空間に笑いを起こしてしまった。僕は意を決してローリの方に振り返った。視界に菅井カメラマンが入った。物凄い形相で撮影を続けていた。>(P218)

  カルチャー・ショックと一言で言えば簡単だが、アマゾンの奥地で国分氏らが味わった体験は、ことほどさように過酷なものだった。あとがきで国分氏は述懐している。

<僕はワトリキで人間が持つ「何か」に触れ、しかも、その「何か」を肯定したことだけは間違いなかった。言葉にすれば、レヴィ=ストロースが言ったように「人間が持つ暴力性と無垢さ」なのだと思う。人間は暴力性と無垢さを併せ持つからこそ素晴らしい。人間は神の子でも生まれながらの善人でもなく、暴力性と無垢さが同居するだけの生き物なのだ。たぶん、僕はそう思ったのだ。>(P313)

  夕刻、この本を読み終え、国分氏が作った番組を観てみたいと強く思った。さっそくPCで検索をかけると、すぐに出てきた。

http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50797602.html

  国分氏が長い年月をかけて成し遂げた過酷なドキュメンタリー番組は、放映後にもかかわらず、じつに簡単にアクセスすることができる。これを見終えて、ふーっとため息をつき、ついその下にあるURLが目に入ったのでこれもクリックしてみた。
  
    アマゾンの別の部族のドキュメンタリーだという。

YouTube - Origin of Faith - Disturbing

  愕然とした。Youtubeが映しだすのは、族長に命じられたからであろう、部族の生活の安寧のために、心身ともに薄弱な妹(4,5歳)を、その兄(15,6歳)が生き埋めにするシーンなのである。正直言って、最後まで見ることができなかった。気がつくと、思わず、停止ボタンを押してしまっていたのだ。

  心が冷え冷えとしてきた。気温も気持ちもどん底なまま、車で渋谷に出かけた。話題の韓国映画「息もできない」を見るためである。日曜日の最終回にもかかわらず、ほぼ満席の盛況である。見終えて、気分はますます、ダーク&ヘヴィーに落ち込んだ。

    これもまた、「人間が持つ暴力性と無垢さ」のドラマである。それは確かにそうである。しかし、「暴力性と無垢さ」という整理された言葉で総括した途端に消し飛んでしまう「ゾワゾワとした何とも知れず気分の悪いモノ」がこの映画には充満している。

    それをどう評していいものやら、僕にはよく分からないのだ。花冷えのする4月の夜、僕はうつむいて公園通りを歩くしかなかった。

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