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2010年5月17日 (月)

命短し 恋せよ乙女

 
    日曜日の夕方、吉祥寺・東急の地下へサンジェルマンのエクセルブランを買いに出かけた。1斤つかんでレジの列に並んでいると、数人先に驚くべき美女が並んでいるのが目に入った。

  美女というのは正確ではない。なんというか、生命の謳歌といえばいいのか、身体の中からエネルギーを発しながら、光り輝いているのである。年の頃は20歳くらい。すっとした立ち姿。艶やかな髪。透き通るように美しい皮膚の下を豊穣な血液がたっぷり脈打っている。

  体の周りにオーラが立ち昇っているのである。生物としての人間のメスの最も輝かしい人生のひと時の中に彼女はいる、ということが確信できるような有様である。思わず、惚れ惚れとして見とれてしまう。

  ふと、何気なくその彼女の隣を見ると、母親らしき女性が立っている。顔立ちや背格好がなんとなく似ているので母親と知れる。母親は、その輝かしい自分の娘にまぶしそうな視線を向けながら何事かをにこやかに話しかけている。

  しかし、母親にはオーラも輝きもなんにもない。くたびれた、その辺のおばちゃんなのである。

  うーむ、と唸った。この輝かしい娘さんも、いずれこのお母さんのようになるのか、とある種の無常の念に囚われたのである。まるで女のビフォア・アフターの見本のようではないか、と。

  使用前、使用後のサンプルのようでもある。

  人生は無常であるなあ、と思わずひとりごちた。「花の命は短くて」という林芙美子の言葉を思い出した。それに続けて、林は「苦しきことのみ多かりき」と綴ったのだが、苦しいことが多いと、こんなお母さんのようになってしまうのか、と暗澹たる気持ちになった。

  新車のショウルームに展示されているフェラーリと、雨ざらしの中古車専門店の軒先に置かれたカローラのような落差である。

「命短し、恋せよ乙女」という吉井勇の歌詞も思い出した。歌詞はそのあとこう続く。

「紅き唇 あせぬ間に 
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを」

  吉井勇という人も、女の一生の無常を、痛切に感知した人なのに違いない、と思った。

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コメント

初めまして。
今日からココログで日記を始めた者です。
20歳の誕生日を迎えて、この記事を読ませていただき、思わず笑ってしまいました。
私も短い乙女の期間を大切にして、これから頑張りますね♪

投稿: Megumi | 2010年5月17日 (月) 21時23分

うん、乙女の季節を思いっきり満喫して下さい。難しいけど、自覚的に謳歌して下さい。その渦中にいるときには、そのありがたさが全く分からないものなのです。しみじみと、痛切にそのことを思い知るのは、その大切なものを喪失してしまってからです。もう二度と再び手に入れることはできない、と呻くように自覚する時です。20歳になったばかりのmegumiさんにそんなことを言っても、うまく理解出来ないでしょうが、うまく理解できないというそのことがすでに「乙女の季節」の最中にいることのひとつの証拠なので、仕方ないのですが。とにかく頑張ってね。

投稿: megumi様 路傍より | 2010年5月17日 (月) 21時35分

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