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2010年8月

2010年8月24日 (火)

麻布十番祭りで仰天

  
    先週末の夜、クルマで麻布十番を通りかかったら、お祭りらしくて、とんでもない人ごみが歩道に溢れかえっていた。地下鉄の出口から次々に出てくる若い男女。浴衣姿あり、頭にミッキーの耳をつけている女子がおり、短パンでほぼ半裸状態がおり・・・・。

  そんな人々が横断歩道の信号前に群れ、信号が青になるや一斉に道路を渡り始める。地下鉄出口から次々に人が溢れでてくるもんだから、信号が赤になっても、当然渡り続けようとする。それを必死の形相で押しとどめる整理員。警察だけではなく機動隊まで出動、ほとんど戒厳令下である。

  道路は当然大渋滞。これは大変なことになっているなあ、と慌てて麻布十番から遠ざかろうとしたそのとき、私のクルマの横をバイクがすり抜けていった。あっ、と思って見ると、後部座席にヘルメットをかぶった女子。その姿を見て、私は文字通り仰天した。

  バイクの運転手である彼氏の腰にしっかり腕をまわす20代の彼女はかわいい浴衣姿なのだが、大股開きでバイクに跨っているのである。

  私は我が目を疑った。まさか、そんな不作法なことがあるわけがない、と。きっと浴衣の下に短パンでも履いているに違いない、と。そう思って目を凝らしてみるが、全くもってそんなことはないのだった。白い太ももをあらわに、ブイーンと走り去っていくのだった。

  自分もつくづく歳をとったな、とその時痛感したのだが、その光景を目の当たりにして頭に浮かんだ言葉は「この先、日本はいったいどうなるのだろうか」ということだった。彼女もそのうちに人の母になるだろう。こんな母親に育てられた子供はいったいどうなってしまうのだろうか、と。

  同じようなことは、通勤電車の座席に座って黙々とあんぱんを食らっている女子や、一心不乱に化粧をしている女性を目撃したときにも思った。彼女が母になったときに子供をどう躾けるのだろうかと。

  思えば自分が子供の頃、「そういうことは人前でするべきではない」というマナーは数多く親から教えられた。今でも覚えていることもあれば、もう忘れていることもある。「人前で金の話をするな」「あくびをするときは手で口をかくせ」「たくあんやかまぼこを食べるときは、歯型が残らないように、二口で噛み切れ」「ごはんをお替わりするときには両手で茶碗を出せ。受け取るときも両手で受け取れ」などなど。

  http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/index.htm

  そんなことどもの多くはもはや次世代に手渡されないのだろうな、と思う。こうした些細なことはもちろん規則ではない。法律でもない。違反したからといって咎め立てされるものでもない。しかし、こうしたキメの細かい「マナー」が我々の日常生活を覆っているからこそ、我々の日常生活は円滑に気持ちよくまわっていくのである。

  ときどき電車の中でバカでかい声(中国語)で、平然と携帯電話で通話している外国人に出くわすことがあるが、そのとき、我々はつくづく困惑する。そうして、我々を網の目のように取り囲んでいるマナーのありがたさを痛感するのである。

  共同で暮らす生活空間の不快をより軽減しようとするところにマナーはある。車中の化粧女性や、あんぱんパクパク女子にとって、自分以外の人間はおそらくは「共同で社会生活を営む他者」ではなく、もはや「風景」なのかもしれない。

  彼女たちの座席の前に座る他人や、大股広げてバイクの後部座席に跨る女性の目に映る他人は、もう「人」ではなく「風景」だからこそ、「他人の目」などは一向に気にならないのではないか。

  言ってみれば天上天下唯我独尊、ほとんど「没我」の境地だから、自分以外の人間は目に入らないのではないか。もしそうならば、名前も知らぬ他人がもはや人ではないならば、この先、我々の社会生活ははなはだ不快なものに成り果てていくに違いない、というようなことを日曜日の夜、クルマを運転しながら考えていたのだった。

  話はうって変わるが、しばらく前に「ツイッターなんてやってるのは馬鹿だけである」という話を書いた。

    http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-1df7.html

  その舌の根も乾かぬうちに、なんですが、ときどきツイッターやっちゃってます。いったい何が面白いのかを探るためにやり始めたのですが、残念ながらいまだ分からないでいます。

  なんというか、夜空に向けて鉄砲を撃っているような虚しさです。

  それもそのはず、もう半年以上になるのに、フォローしてくれている人は0人。ボロクソに言ったツケなのかもしれませんが、一応書いておきます。「robounoiji」の名称で吐息を漏らしているので、ご用とお急ぎでないかたは・・・・。

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2010年8月13日 (金)

長野県松本市に行ったなら

    夏休みで帰省中。和歌山の田舎は暑い。外に出る気にもならず、エアコンをきかせた室内で、グダグダとお昼寝に次ぐお昼寝。目が覚めたら全米プロの中継を観、疲れたらまたお昼寝。完全にグダグダ・モード。

    先週末の土日は、ヤボ用(といってもゴルフしかないんだけど)で、ゲンちゃんと長野県の松本へ。松本で出会った気に入ったものを3点紹介。

  その一。泊まったホテルは、松本市内の「ブエナビスタ」。ここの朝食ブッフェは素晴らしい完成度である。どこに出しても恥ずかしくない。和食、洋食の両方を用意しているのだが、様々な場面で行き届いた配慮がなされている。

  これまで、日本だけではなく、世界中の名のあるホテルに泊まってきたが、そのどのホテルの朝食ブッフェと比しても遜色はない。高価な食材を利用しているとか、品数が多いというのではない。かゆいところに手がとどくような配慮が見られる、ということなのである。

  普通、牛乳なんてのは一箇所にしか置かれていない。だいたい、グレープフルーツ・ジュースやオレンジ・ジュースの端にガラスのポットに入って置かれているものだが、ここでは、ヨーグルトの横にも置かれている。そんな細かい配慮があちこちにある。

  いったい、どういう経歴の人がディレクションをしているのか大いに興味がある。

    その2。松本市内にある重要文化財である「旧開智学校」を見学する。この学校は明治6年に建てられた、木造の擬似的洋館の立派な小学校である。江戸時代、松本には600ほどの寺子屋があったという。その数は、全国的に見ても突出的に多いらしい。いかにも教育県らしいエピソードである。

    明治維新後、そんな松本市民は自分たちで金を出しあって、この小学校の建設資金とした。建てたのは松本の大工棟梁だが、その時期に東京に建ち始めた洋館をくまなく研究したに違いない。再建保存されている、広壮なこの小学校を見てまわると、見よう見まねで建てた擬似洋館のあちらこちらに苦心のあとが見られる。

    ファサードにある彫刻は、どう見ても欄間の彫り物のようなのだが、それはご愛敬。

    閉館間際の夕刻、教室を見てまわる。昔の材料をそのまま使用して再建した校舎の廊下は黒く古びている。壊れてしまいそうな小さな机や椅子が並んでいる。教室の入口のサンは子供たちに長年にわたって踏まれ続けたせいで驚くほど滑かにすり減っている。

  階段も廊下もすり減っている。100年以上経った校舎に流れた歳月を思いをはせながら、そこを走り回っていった数万人の小学生のことを思った。そして、自分たちの身銭を切って、新しい国の将来を託す子供たちのために、このように立派な小学校を建設した松本市民たちのことを思った。

  その時代に、松本市民たちが「子供たちの教育」に対して抱いていた「夢と情熱」と、そして胸が熱くなるような「純情」が、果たして今の我々にあるだろうか、と考え込んだ。

    その3。代々木の駅前から代ゼミの前を通って、まっすぐ西参道のほうへ伸びる道がある。その道がガードをくぐったすぐ右側のライオンズ・マンションの1階に「ライオン・シェア」というカレー屋がある。

  ラジオ局に勤めていた女性が一念発起して始めたカレー屋である。その顛末については店主Yさんのブログに詳しい。http://www.lionshare.jp/

    ブログの右にお店が誕生するまでの、面白いエッセイが載っている。

  この店のキーマカレーが好きで月に一度は訪れているが、じつはYさんは、この店をオープンする前に、松本市内にある「シュプラ」という店で1年間修行している。その時代の厳しくもおかしい思い出がエッセイには綴られている。

  その「シュプラ」に行ってきた。松本市内を一望できる高台にその店はある。大きな窓を通して、まるでジオラマのように山間の平野にびっしりと建ち並んだ松本の町並みを眺めることができるのだ。

  店内には古びたキーボードが物置きとなっている。どうやら店主はミュージシャンだったらしい。店内にはBGMで60年代の楽曲が延々流れている。加山雄三からフランス・ギャルまで。涙がでそうなくらいに懐かしい曲を聴きながら、本格的なカレーを食べた。

  店内を切り盛りする奥さんらしき女性に、「この音楽は有線ですか?」と聞いたところ、「いいえ、店主が自分で編集しています」との返事。

  帰り際、厨房の店主をちらと観察したが、なかなかに頑固そうというか、こだわりの人のように見えた。松本に行った際には是非「シュプラ」に足を運ぶことをお勧めしたい。あ、それから忘れちゃいけないのは、塩川の昔懐かしいアイスクリームもね。http://park16.wakwak.com/~akai_ringo/shinsyu/shiokawa.htm

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2010年8月 6日 (金)

いつまでも電気があると思うなよ

 やれ「電子書籍元年」だの「紙の雑誌が無くなる」だのと、最近とみに電子書籍関連の報道が目に付く。

 とくに、雑誌や新聞など、インターネット社会の到来とともに、その存在感が薄まった、というかもはや危殆に瀕しているといってもいいメディアでの「お祭り騒ぎ的報道」がとても多い気がする。

 みんな本気でそんなことを思っているのだろうか、と思う。少なくとも、私の周りの読書好きの人間が電子書籍を好んで読んでいるという光景を見たことがない。

 どう考えても、昨今の電子書籍報道は常軌を逸している。冷静さを欠いていると思う。「電子書籍報道バブル」ではないかとさえ思う。

 現在、雑誌や単行本の売り上げが右肩下がりで減少している。出版業界は広告収入の激減と相まって、その市場は絶望的縮減傾向にあるが、当事者は、電子書籍によってその傾向に歯止めがかかるのではないかという、淡い期待をいだいているように見える。

 しかし、みなさん、静に考えて欲しい。紙でさえ読まない雑誌や本や新聞を、どうして電子的媒体で人々が読むようになると思うのだろうか? みんな紙だから読まないのではない。読む必要を感じないから読まないのである。

 そんな単純なことがどうして分からないのか。

 もっと分からないのは、印刷会社や書籍の取次業者や、大手書店などが電子書籍配信サービス(電子書店)のビジネスに社を挙げて打って出たことである。

 確かに、紙の本の存在が薄まる昨今、電子書籍のビジネスに踏み出さないと社の存立さえ危ぶまれるようになると焦る気持ちは分からないではない。

 しかし、このビジネスはシステムの構築に巨額を要する。しかも、常に巨額のランニングコストと改修費用が必要となる。

 最新の印刷機ならば、購入後10年くらいはその機械を稼働して稼ぐことはできる。

 しかし、デジタルの世界は違う。日進月歩どころか時進秒歩の世界で、たったひとつのイノベーションが構築したシステムの根本的改修を要求することさえある。

 金が半永久的に漏出し続ける可能性は極めて大きいのである。

 予言してもいいが、数年後には電子書籍配信プラットフォームは激減しているだろう。資力のない企業は敗退し、合従連衡が繰り返されているだろう。

 とともに、電子書籍バブルははじけ、一部好事家がしこしこと電子書籍を読んでいるという光景が現れるのではないかと思う。

 もっと、冷静に事態を見つめようではないか。

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