« 那須塩原は暑かった! | トップページ | 長野県松本市に行ったなら »

2010年8月 6日 (金)

いつまでも電気があると思うなよ

 やれ「電子書籍元年」だの「紙の雑誌が無くなる」だのと、最近とみに電子書籍関連の報道が目に付く。

 とくに、雑誌や新聞など、インターネット社会の到来とともに、その存在感が薄まった、というかもはや危殆に瀕しているといってもいいメディアでの「お祭り騒ぎ的報道」がとても多い気がする。

 みんな本気でそんなことを思っているのだろうか、と思う。少なくとも、私の周りの読書好きの人間が電子書籍を好んで読んでいるという光景を見たことがない。

 どう考えても、昨今の電子書籍報道は常軌を逸している。冷静さを欠いていると思う。「電子書籍報道バブル」ではないかとさえ思う。

 現在、雑誌や単行本の売り上げが右肩下がりで減少している。出版業界は広告収入の激減と相まって、その市場は絶望的縮減傾向にあるが、当事者は、電子書籍によってその傾向に歯止めがかかるのではないかという、淡い期待をいだいているように見える。

 しかし、みなさん、静に考えて欲しい。紙でさえ読まない雑誌や本や新聞を、どうして電子的媒体で人々が読むようになると思うのだろうか? みんな紙だから読まないのではない。読む必要を感じないから読まないのである。

 そんな単純なことがどうして分からないのか。

 もっと分からないのは、印刷会社や書籍の取次業者や、大手書店などが電子書籍配信サービス(電子書店)のビジネスに社を挙げて打って出たことである。

 確かに、紙の本の存在が薄まる昨今、電子書籍のビジネスに踏み出さないと社の存立さえ危ぶまれるようになると焦る気持ちは分からないではない。

 しかし、このビジネスはシステムの構築に巨額を要する。しかも、常に巨額のランニングコストと改修費用が必要となる。

 最新の印刷機ならば、購入後10年くらいはその機械を稼働して稼ぐことはできる。

 しかし、デジタルの世界は違う。日進月歩どころか時進秒歩の世界で、たったひとつのイノベーションが構築したシステムの根本的改修を要求することさえある。

 金が半永久的に漏出し続ける可能性は極めて大きいのである。

 予言してもいいが、数年後には電子書籍配信プラットフォームは激減しているだろう。資力のない企業は敗退し、合従連衡が繰り返されているだろう。

 とともに、電子書籍バブルははじけ、一部好事家がしこしこと電子書籍を読んでいるという光景が現れるのではないかと思う。

 もっと、冷静に事態を見つめようではないか。

|

« 那須塩原は暑かった! | トップページ | 長野県松本市に行ったなら »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: いつまでも電気があると思うなよ:

« 那須塩原は暑かった! | トップページ | 長野県松本市に行ったなら »