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2010年9月

2010年9月30日 (木)

どうしようもないこと

人生にはどうしようもないことがある。

あのとき、ああすればよかった、こうすればよかったと

悔やむことも多いけれど、でもやっぱり、

結局、このようにしかならなかったのだ。

人生にはどうしようもないことがある。

どうしようもないことの連続が、

人生そのものなのかもしれない。

実際、どうにもしようがなかったよね、と

懸命に自分を説得し、納得させようとするけれど、

そのたびごとに、自分の体の中にいる

何百、何千という、こびとの自分が

ごっそりと、死んでいくような気持ちになる。

人生にはどうしようもないことがある。

本当に、人生にはどうしようもないことがある。

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2010年9月26日 (日)

「十三人の刺客」を観る

  どうしても「紙兎ロペ」のDVDが欲しくて、お台場のメディアージュへ。だって、定価が2940円なのに、ヤフーのオークションでは4000円以上するんですから。

   メディアージュに行ったついでに、三池崇史監督の最新作「十三人の刺客」を観る。13人対300人のチャンチャンバラバラがどのくらい派手な物なのかをこの目で確かめておきたかったので。期待したのはサム・ペキンパーばりの「殺しの美学」。「日本刀による人斬り」には、それなりのカタルシスがあるに違いないと思っていたので。

   しかし、案に相違して、いわゆるチャンバラと呼ばれる殺陣シーンが延々続く(50分も)ばかりで、刀と刀がぶつかり合うときの金属音と、刀が肉体を切り裂くときの切断音ばかりがハデで、少し退屈であった(刀が肉体を切り裂く音を最初に導入したのはTVドラマ「三匹の侍」で、あの音はキャベツを切って作ったという噂が)。凡庸な人斬りをいくら重ねても、凡庸さは払拭できない。量は質に転換しないのである。

    たとえば、こんな描写を期待していたのだ。

    日本刀は重い。チャンバラ映画のように簡単に振り回せるようなものではない。その重量感のある、しかも磨き上げられて極めて鋭利な刃物を振り回すとどうなるか。

    だいたい、剣と剣をぶつけ合ううちに、まずは、柄を握る手の指が最初に斬りおとされるはずで、戦いの現場の地面には何本もの指が落ちているはずである。

    指がなくなった、血が噴きだす手で刀を握り続けることが困難になり、切り殺された男の顔のすぐそばに、自分の指が何本かころがっている。

    映画では、切り込みは背中やら腹やら、見栄えのするところに刀が襲い掛かりばっさり切られるシーンが描かれるが、実際にはそんなに都合よくきれいに切れるものではない。顔の右三分の一を斬りおとしたり、相手の腿を半分切ってぶらぶら状態にしたり、というのが現実だったのではないか。

    時には目の玉をえぐったり、いきなり喉にささったり、大変だったはずである。

    そんなリアリズムが50分のうちの10分くらいはあってもよかったのではないか。

    相手の羽織を切り裂き、背中の肉が切り裂かれるところをスローモーションで。肉はゆっくりと、ぱっくり裂けていき、一瞬おいた後に、動脈から血しぶきが飛び出す。

    横一文字に腹を切られた男は内臓をはみ出させて、驚いて自分の手でそれを元に戻そうとしている(スピルバーグの「プライベート・ライアン」にそんなシーンがありましたね)。

    何人もの肉体を切っていると刀は刃こぼれしてぼろぼろになる。人間の骨は硬いので曲がったりしているはずである。しかも、脂肪が刃に絡み付いてどうしようもなくなる。ぬぐってもぬぐっても、脂肪のぬめりはとれず、握りも血と脂肪でぬめぬめになって、とても斬りあいをしているどころではなくなるはずである。

    そんな人斬りのリアリズムがもう少しあれば、納得したかもしれない。私が表現に求めることは「驚き」と「発見」であるから。チャンバラってこういうモノでしょ、という様式美や定型化は退屈なのである。目から鱗が落ちるようなチャンバラが観たいのである。

    でも、稲垣吾郎くんの悪辣な殿様ぶりは必見。

    また、夜の明かりがロウソクだった時代の、薄暗く、おぼろな日常の映像表現は素晴らしい。撮影監督に拍手。

    映画を観終わり、車を飛ばして、新横浜プリンス・ホテルへ。中国の若き作家、郭敬明氏にお目にかかる。まだ20代の若さ。小さくて華奢で、そして美しい。握手をした手の骨の細やかさに驚いた。

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2010年9月20日 (月)

「食べて、祈って、恋をして」と「紙兎ロペ」

   久しぶりにお台場のメディアージュへ。お目当ての映画は、ジュリア・ロバーツ主演の「食べて、祈って、恋をして」。

  見終わっての感想はというと、「アメリカ映画は、というかニューヨーク製の映画は、どうしてこんなに、生きることの息苦しさや困難さを主題に一生懸命映画を作るのだろうか」というまっとうなものと、「ジュリア・ロバーツは前からこんなにチンパンジーみたいな顔だったっけ?」というもの。

  仕事に行き詰まり、結婚を破綻させ、恋愛も不完全燃焼な女主人公(ジュリア・ロバーツ)は、「より充実した人生を送る方途を探して」イタリア、インド、タイへと旅立つ。それぞれの地で、生の輝きを目撃し、タイでは新たな恋人に出会ってめでたし、めでたしというものなのだが・・・・。

  とりわけ男女間の人間関係における「生きることの困難性」を選択的に主題に据えて映画を作り続けるアメリカ人を見ていると、かの国の方たちは、「悩み、のたうつことが趣味なのではないか」と思わざるを得ない。

「マグノリア」であれ、「アメリカン・ビューティ」であれ、彼らの悩みの淵源は、「今ここではないどこかに」自分に最もふさわしい場所があり、「今、目の前にいる相手ではない誰か」が、きっと自分を幸せにしてくれる、という根拠のない信憑にとり憑かれている点にあるように思える。

  60近くなってくると分るけど、そんなもん、おまへんで。

  自分に相応しい仕事も場所も伴侶も、そんなものはこの世に存在しない。存在するのは、「何物にも納得、満足できない自分が存在する」という事実のみである。

  映画の中で、タイの歯抜けのじいさんがジュリアに「脚が4本ある人体の絵」を授けて、「こんな風にしっかりと大地に根を下ろし、肝臓で微笑むほどににこやかに暮らし、心で周りを見つめなさい」とアドバイスをするが、東洋的叡智と言うのはまさにそうしたもので、ジュリアはNYから離れることなく、かの地でじっくりと自分を見つめ直してみるべきだったのではないか、と老婆心ながら思う。

  タイの地で、やたらめったら濃ゆい顔の男と恋に落ちて幸せそうなジュリアだが、この恋も長持ちはすまい、と思う。だって、この男、コーエン兄弟の非情の暴力映画「ノーカントリー」で、罪もないおじいちゃんを撃ち殺しまくった悪い奴(ハビエル・バルデム)で、しかも、競演女優喰いで有名。ペネロペ・クルスを孕ませちゃった奴ですからね(笑)。

「ノーカントリー」については過去のエントリーを。
http://kingkingko.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_1f24.html

  で、ここからが本題。メディアージュでは何本かの予告編が終って、さあこれから本編が始まるというときに、数分のオマケのアニメが上映される。

  これが無茶苦茶面白いのである。

  もう20年近く前のことだが、イタリアの場末の映画館で、本編が始まる前に短い実写のコメディを見たことがある。試験会場の受験生を主人公にしたコメディで、必死になってカンニングしようとする男の滑稽な仕草に大笑いした。それが初めてみた「ミスター・ビーン」だった。

  あるいは同じころ、やはりヨーロッパのどこかの映画館で短いオマケのアニメを観た。電線に鳥がいっぱいとまって、電線がたるんでくるという爆笑アニメだったが、そのときに初めてピクサーのクレジットを目にした。

  今回目撃したそのアニメ「紙兎ロペ」は、その前例に匹敵するほど面白いのである。百聞は一見にしかず。まずは、下記のyoutubeでどうぞご堪能ください。

http://www.youtube.com/watch?v=k9IXFr-1jT8
http://www.youtube.com/watch?v=QWDyxV7mLqI
http://www.youtube.com/watch?v=V0D4NlHuNRg
http://www.youtube.com/watch?v=C2Y2QGnButY
http://www.youtube.com/watch?v=4a2vyZO74bc

「ガチャガチャ篇」は何回見ても笑ってしまう。

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2010年9月 9日 (木)

浅田次郎、泣かせのテクニック

    浅田次郎氏の「壬生義士伝」を先週読了した。

  大変、面白かった。そのことを周りの友人に言うと、何を今さら、もう十年ほど前に出た本ですよ、とたしなめられる。そんなことは知っている。知ってはいるが、浅田次郎の小説を読むと切なくなって泣けてくるのでずっと忌避し続けてきたのである。

  なにしろ、7,8篇の短編が収められた短編集を読んだときには、すべての短編で次々と涙を流しちゃったのだから・・・・。もう涙腺決壊である。

  しかし先日、たまたま、ながやす巧氏の筆による漫画版「壬生義士伝」を読んで、おお、これはおもろい、小説も読んでみようと分厚い文庫本2冊を入手。しこしこ読み始めたのだが、案じた通り、泣きじゃくりという無様なありさまになり至った。

    なんで、こんなに切ないのかなあ、と考えて分かったことは、登場人物の「真率さ」が激しく自分を揺さぶる、ということだった。

「真率さ」。まっすぐひたむきで、飾り気がなく、痛々しいほど真っ正直な心のありよう。

    浅田次郎の小説に出てくる人物はそんな人ばかりである。妻や子のことを心の底から思っている人。他郷の人々の悲しみを我が事としてとらえてともに涙する人。友人のことを自分のこと以上に大切に思う人。父親のことを心底敬愛し、その愛に報いようとする人。母親のことをひたむきに愛し、どんなことがあっても悲しませまいと苦しむ人・・・・。

    出てくる人、出てくる人、心の美しい,まっすぐな人ばかりである。

    そんな人は自分の身の回りには一人もいない。見たことも聞いたこともない。見たことも聞いたこともないけれど、でも、そんな人が、この世にいればいいのになあ、とは思う。

    小説の世界の中のことではあるけれど、そのような人物の息遣いを間近に突きつけられて、思わずたじろぎ、その次に嗚咽してしまうのである。

    これが「浅田次郎泣かせのテクニック」の核心であると、私は思っている。そこのところは分かっているのだが、新作「終わらざる夏」を読み始めてしまったので、またしても、そのテクニックに・・・。

 

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2010年9月 2日 (木)

後退戦を戦う

  
    気象庁の発表では、6月から8月までの全国の平均気温は、1898年の観測開始以来113年間で最も高かったんだとか。確かに暑かった。気象庁に言われなくとも、俺が言う。この暑さは尋常ではないぞ。

  そんな猛暑にもかかわらず、この7、8月にはなんと、フラフラになりながら10ラウンドを消化。あんたに言われなくとも、俺が言う。アホである。

  7月は東千葉CC、相模野CC、ホウライCC、西那須野CC、鶴舞CC。8月は穂高CC、松本浅間CC、三井の森蓼科GCで2回、ワールドエースCC。とにかく、どこもかしこも暑かった。鶴舞やホウライはもう絶対夏には行きたくない。

    鶴舞では一緒に行ったゲンちゃんが発熱、ワールドエースでは私が熱発。外気温は40度近いのに、なんだかガタガタ寒いのである。もう少しで死ぬとこだった。

  そんな猛暑のある日、総武線のシートに腰掛けながら、いやいや昔の暑さはこんなもんじゃなかったぞ、と思い起こしていた。

  1971年に上京して、西武新宿線の上石神井駅から徒歩15分ほどの民家の二階、4畳半一間に下宿することになった。家賃は月8000円。食事代は朝夕ついて12000円。風呂にも入らさせてもらい、大家さんが洗濯までしてくれてその代金が3000円くらい。合計月に23000円ほどを支払っていた。

  その練馬の民家の2階の、夏の暑さといったらなかった。もちろん、エアコンなどあるわけもない。やっと買ったのが安物の扇風機。日中は上半身裸になり、ぐっしょり濡らしたバスタオルを肩にかけ、そこに扇風機で風を当てる。気化熱で冷やそうという魂胆である。

  日中はまだいい。問題は夜。大家さんから、夜寝るときには必ず雨戸を閉めるようにと厳しく要請されていたので、今では考えられないが、19歳の私は律儀にガラガラと雨戸を閉め切っていたのだった。みっちり締め切られた4畳半の部屋の中には昼間の猛暑がもわーんと詰まっている。

  そんな中で、どうやって眠ったのか覚えていないが、若かったんだよなあ、ぐっすり眠ったのだった。ただ、朝は、全身から吹き出す汗で、布団がぐちょぐちょになって気持ち悪くて目覚めるのだった。

  学校に行こうととことこ駅まで歩く。今のように駅にエスカレターもなければ、エアコンもない。汗だくになりながら階段をいくつもよじ登り、ようやくやって来た満員電車に体を押し込める。電車にだって、もちろんエアコンなんかついていない。

  外はカンカン照りであるからして、電車の中は当然猛烈に暑くて、しかも人いきれと人々が体中から発散する汗で湿っぽくて臭い。どこの馬の骨ともしれぬ汗ビッショリのオヤジの体にぴっちり体をくっつけたまま、電車に揺られていく。濡れそぼる美人OLならともかく、加齢臭&ポマード臭ぷんぷんのオヤジの背中と隣り合わせた時は、もう朝から絶望的である。

  当時、電車の窓は開いたので、窓は全開。風は吹きこんでくるものの、熱風である。本来ならば高田馬場で乗り換えるべきなのに、もうぐったりしてしまって、そのまま西武新宿へ。当時の西武新宿駅は木造2階建て。プラットフォームにはタバコの吸殻がいっぱい。線路は雪でも積もっているように、煙草の吸殻で真っ白になっていた。

  すごい時代だったなあと思う。

  思えば、当時実家からの仕送りが月に3万円。下宿に23000円払うと残りが7000円。これで、1ヶ月の昼食と本代と映画代と喫茶代を賄わねばならない。西武新宿駅に降り立った若き私はこの7000円を増やそうと、学校にも行かず、新宿のパチンコ屋
    に向かっていた。朝10時の開店前に行って開館を待ち、オープンとともに館内になだれ込み、必死で釘を読み、出そうな台に張り付く。

  当時のパチンコは立ったままである。これを夕方まで続ける。7000円は2日でなくなる。生活費消滅! 困り果てて、子供の頃から集めた切手(写楽とか見返り美人とか)を持って、鷺ノ宮の切手屋さんに売りに行き、いくばくかの金を手にして、またパチンコ屋に行く・・・・。

  アホはその当時から確実に始まっていたのである。

  乏しい生活費でなんとか昼食を食べた。駅の立ち食いそばでたぬきそばか、駅のそばの中華料理屋でソース焼きそばを食べた。たぶん、顔色が悪いのか痩せこけていたのか、見るにしのびなかったのだろう。早稲田穴八幡の角にある蕎麦屋「三朝庵」のおかみさんは、たぬきそばを頼んだ私に、自分たちが食べるかぼちゃの煮物などをサービスでこっそり出してくれたりしていた。「三朝庵」には恩義がある。

  金もなく、エアコンもなく、大した希望もなく、鬱々とした感情が胸の内にはびこっていたあの時代のことを思い出すと、今の生活が夢のように思えることがある。ゆっくり湯船につかれる生活が我が身に訪れるとは思ってもいなかったのだ。

  何を長々と貧乏自慢をしているのかと思われるかも知れない。自慢ではない。そうではなくて、あのころの生活を考えれば、多少現在の生活レベルが低下しようと、オレは面白おかしく生きていく自身があるぞ、ということを今の自分に言い聞かせているだけなのだ。

  我が人生は、そろそろ後半戦に入っている。野球で言えば、7回2アウトくらいだろうか。店ならば、そろそろ閉店セールの準備をするころである。終盤にさしかかっているのは我が人生だけではない。世間そのものが終盤に差し掛かっている。あるいは、後退戦を強いられている。

  己の人生も世間も後退戦を戦わねばならない中で、どうやって愉快に楽しく生きていけばいいのかを今、考えている。あの十代の夏の日の生活のことを考えれば、全く無問題という軽快な気持ちにさせられるのである。

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