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2010年9月26日 (日)

「十三人の刺客」を観る

  どうしても「紙兎ロペ」のDVDが欲しくて、お台場のメディアージュへ。だって、定価が2940円なのに、ヤフーのオークションでは4000円以上するんですから。

   メディアージュに行ったついでに、三池崇史監督の最新作「十三人の刺客」を観る。13人対300人のチャンチャンバラバラがどのくらい派手な物なのかをこの目で確かめておきたかったので。期待したのはサム・ペキンパーばりの「殺しの美学」。「日本刀による人斬り」には、それなりのカタルシスがあるに違いないと思っていたので。

   しかし、案に相違して、いわゆるチャンバラと呼ばれる殺陣シーンが延々続く(50分も)ばかりで、刀と刀がぶつかり合うときの金属音と、刀が肉体を切り裂くときの切断音ばかりがハデで、少し退屈であった(刀が肉体を切り裂く音を最初に導入したのはTVドラマ「三匹の侍」で、あの音はキャベツを切って作ったという噂が)。凡庸な人斬りをいくら重ねても、凡庸さは払拭できない。量は質に転換しないのである。

    たとえば、こんな描写を期待していたのだ。

    日本刀は重い。チャンバラ映画のように簡単に振り回せるようなものではない。その重量感のある、しかも磨き上げられて極めて鋭利な刃物を振り回すとどうなるか。

    だいたい、剣と剣をぶつけ合ううちに、まずは、柄を握る手の指が最初に斬りおとされるはずで、戦いの現場の地面には何本もの指が落ちているはずである。

    指がなくなった、血が噴きだす手で刀を握り続けることが困難になり、切り殺された男の顔のすぐそばに、自分の指が何本かころがっている。

    映画では、切り込みは背中やら腹やら、見栄えのするところに刀が襲い掛かりばっさり切られるシーンが描かれるが、実際にはそんなに都合よくきれいに切れるものではない。顔の右三分の一を斬りおとしたり、相手の腿を半分切ってぶらぶら状態にしたり、というのが現実だったのではないか。

    時には目の玉をえぐったり、いきなり喉にささったり、大変だったはずである。

    そんなリアリズムが50分のうちの10分くらいはあってもよかったのではないか。

    相手の羽織を切り裂き、背中の肉が切り裂かれるところをスローモーションで。肉はゆっくりと、ぱっくり裂けていき、一瞬おいた後に、動脈から血しぶきが飛び出す。

    横一文字に腹を切られた男は内臓をはみ出させて、驚いて自分の手でそれを元に戻そうとしている(スピルバーグの「プライベート・ライアン」にそんなシーンがありましたね)。

    何人もの肉体を切っていると刀は刃こぼれしてぼろぼろになる。人間の骨は硬いので曲がったりしているはずである。しかも、脂肪が刃に絡み付いてどうしようもなくなる。ぬぐってもぬぐっても、脂肪のぬめりはとれず、握りも血と脂肪でぬめぬめになって、とても斬りあいをしているどころではなくなるはずである。

    そんな人斬りのリアリズムがもう少しあれば、納得したかもしれない。私が表現に求めることは「驚き」と「発見」であるから。チャンバラってこういうモノでしょ、という様式美や定型化は退屈なのである。目から鱗が落ちるようなチャンバラが観たいのである。

    でも、稲垣吾郎くんの悪辣な殿様ぶりは必見。

    また、夜の明かりがロウソクだった時代の、薄暗く、おぼろな日常の映像表現は素晴らしい。撮影監督に拍手。

    映画を観終わり、車を飛ばして、新横浜プリンス・ホテルへ。中国の若き作家、郭敬明氏にお目にかかる。まだ20代の若さ。小さくて華奢で、そして美しい。握手をした手の骨の細やかさに驚いた。

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» 『十三人の刺客』お薦め映画 [作曲♪心をこめて作曲します♪]
13人VS 300人という数の差はちゃんとあって、斬っても斬っても次から次に敵が出て来るし、斬り合いがいちいち長い。とにかく長い。時代劇はド派手な大立ち回りがなくっちゃという方、「あー、こんな時代劇が見たかった!」 ということ間違いなし。チャンバラ世界にタイムス…... [続きを読む]

受信: 2010年10月 3日 (日) 01時50分

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