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2010年9月 2日 (木)

後退戦を戦う

  
    気象庁の発表では、6月から8月までの全国の平均気温は、1898年の観測開始以来113年間で最も高かったんだとか。確かに暑かった。気象庁に言われなくとも、俺が言う。この暑さは尋常ではないぞ。

  そんな猛暑にもかかわらず、この7、8月にはなんと、フラフラになりながら10ラウンドを消化。あんたに言われなくとも、俺が言う。アホである。

  7月は東千葉CC、相模野CC、ホウライCC、西那須野CC、鶴舞CC。8月は穂高CC、松本浅間CC、三井の森蓼科GCで2回、ワールドエースCC。とにかく、どこもかしこも暑かった。鶴舞やホウライはもう絶対夏には行きたくない。

    鶴舞では一緒に行ったゲンちゃんが発熱、ワールドエースでは私が熱発。外気温は40度近いのに、なんだかガタガタ寒いのである。もう少しで死ぬとこだった。

  そんな猛暑のある日、総武線のシートに腰掛けながら、いやいや昔の暑さはこんなもんじゃなかったぞ、と思い起こしていた。

  1971年に上京して、西武新宿線の上石神井駅から徒歩15分ほどの民家の二階、4畳半一間に下宿することになった。家賃は月8000円。食事代は朝夕ついて12000円。風呂にも入らさせてもらい、大家さんが洗濯までしてくれてその代金が3000円くらい。合計月に23000円ほどを支払っていた。

  その練馬の民家の2階の、夏の暑さといったらなかった。もちろん、エアコンなどあるわけもない。やっと買ったのが安物の扇風機。日中は上半身裸になり、ぐっしょり濡らしたバスタオルを肩にかけ、そこに扇風機で風を当てる。気化熱で冷やそうという魂胆である。

  日中はまだいい。問題は夜。大家さんから、夜寝るときには必ず雨戸を閉めるようにと厳しく要請されていたので、今では考えられないが、19歳の私は律儀にガラガラと雨戸を閉め切っていたのだった。みっちり締め切られた4畳半の部屋の中には昼間の猛暑がもわーんと詰まっている。

  そんな中で、どうやって眠ったのか覚えていないが、若かったんだよなあ、ぐっすり眠ったのだった。ただ、朝は、全身から吹き出す汗で、布団がぐちょぐちょになって気持ち悪くて目覚めるのだった。

  学校に行こうととことこ駅まで歩く。今のように駅にエスカレターもなければ、エアコンもない。汗だくになりながら階段をいくつもよじ登り、ようやくやって来た満員電車に体を押し込める。電車にだって、もちろんエアコンなんかついていない。

  外はカンカン照りであるからして、電車の中は当然猛烈に暑くて、しかも人いきれと人々が体中から発散する汗で湿っぽくて臭い。どこの馬の骨ともしれぬ汗ビッショリのオヤジの体にぴっちり体をくっつけたまま、電車に揺られていく。濡れそぼる美人OLならともかく、加齢臭&ポマード臭ぷんぷんのオヤジの背中と隣り合わせた時は、もう朝から絶望的である。

  当時、電車の窓は開いたので、窓は全開。風は吹きこんでくるものの、熱風である。本来ならば高田馬場で乗り換えるべきなのに、もうぐったりしてしまって、そのまま西武新宿へ。当時の西武新宿駅は木造2階建て。プラットフォームにはタバコの吸殻がいっぱい。線路は雪でも積もっているように、煙草の吸殻で真っ白になっていた。

  すごい時代だったなあと思う。

  思えば、当時実家からの仕送りが月に3万円。下宿に23000円払うと残りが7000円。これで、1ヶ月の昼食と本代と映画代と喫茶代を賄わねばならない。西武新宿駅に降り立った若き私はこの7000円を増やそうと、学校にも行かず、新宿のパチンコ屋
    に向かっていた。朝10時の開店前に行って開館を待ち、オープンとともに館内になだれ込み、必死で釘を読み、出そうな台に張り付く。

  当時のパチンコは立ったままである。これを夕方まで続ける。7000円は2日でなくなる。生活費消滅! 困り果てて、子供の頃から集めた切手(写楽とか見返り美人とか)を持って、鷺ノ宮の切手屋さんに売りに行き、いくばくかの金を手にして、またパチンコ屋に行く・・・・。

  アホはその当時から確実に始まっていたのである。

  乏しい生活費でなんとか昼食を食べた。駅の立ち食いそばでたぬきそばか、駅のそばの中華料理屋でソース焼きそばを食べた。たぶん、顔色が悪いのか痩せこけていたのか、見るにしのびなかったのだろう。早稲田穴八幡の角にある蕎麦屋「三朝庵」のおかみさんは、たぬきそばを頼んだ私に、自分たちが食べるかぼちゃの煮物などをサービスでこっそり出してくれたりしていた。「三朝庵」には恩義がある。

  金もなく、エアコンもなく、大した希望もなく、鬱々とした感情が胸の内にはびこっていたあの時代のことを思い出すと、今の生活が夢のように思えることがある。ゆっくり湯船につかれる生活が我が身に訪れるとは思ってもいなかったのだ。

  何を長々と貧乏自慢をしているのかと思われるかも知れない。自慢ではない。そうではなくて、あのころの生活を考えれば、多少現在の生活レベルが低下しようと、オレは面白おかしく生きていく自身があるぞ、ということを今の自分に言い聞かせているだけなのだ。

  我が人生は、そろそろ後半戦に入っている。野球で言えば、7回2アウトくらいだろうか。店ならば、そろそろ閉店セールの準備をするころである。終盤にさしかかっているのは我が人生だけではない。世間そのものが終盤に差し掛かっている。あるいは、後退戦を強いられている。

  己の人生も世間も後退戦を戦わねばならない中で、どうやって愉快に楽しく生きていけばいいのかを今、考えている。あの十代の夏の日の生活のことを考えれば、全く無問題という軽快な気持ちにさせられるのである。

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