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2010年11月

2010年11月29日 (月)

横木安良夫氏から手作り写真集が届く

 
    写真家の横木安良夫さんから、手作り感溢れる写真集が送られてきた。これが素晴らしい。

  写真集のタイトルは「GLANCE OF LENS」。まあ、あえて訳せば「レンズで一瞥」かな。その第二号が送られてきたのだ。

  一号目は、ウラジオストックの街中の風景と人々様子。手持ちカメラでパチリ、パチリと目の前の光景を、横木安良夫という写真家が切り取っていく。なんということはない光景なのに、見つめていると、その街の匂いや騒音が聞こえてくるような,臨場感に包まれて、酔っ払ったような心持ちにさせられる。

  いいのだ。とてもいいのだ。この写真を見ていると、ああ、写真っていいもんだなあ、としみじみしてくる。しかも、やっぱり紙に印刷されていないとだめなのだ。この手触り、この匂い。この質感。電子書籍では絶対に表現できないだろう。

  第二号は「Girls in Motion」というタイトルのポートレート写真のシリーズから構成されている。大昔に撮られた、若かりし日の安珠も登場。つらつらと眺めていると、少女たちの背後に広がる、都会の「殺風景」に目が行く。

  そうか、横木安良夫は少女に照準を合わせるふりをしながら、誰にも気付かれないように「我らの殺伐とした日常」を切り取ろうとしていたのかもしれないな。

  この写真集、残念ながら非売品の模様。

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2010年11月28日 (日)

2010年11月28日、ある冬の一日

    11月28日、本日の一日。

    ゆっくり朝風呂に入り、読書。内田樹「街場のマンガ論」(小学館)を読了。面白いことがいっぱい書いてある。風呂から上って、りんごと柿とバナナを食した後に、クルマに乗って近所の散髪屋「Fuji」へ。前回から2週間しか経っていないけれど来週の土日はゴルフなので一週間はやくカット。といっても丸坊主だけど。

    ネルシャツが欲しくなったのでそのままクルマで吉祥寺へ。その前に腹ごしらえをと三鷹駅北口の讃岐うどんの店に行くも、日曜日で休み。仕方がないのでそばの喫茶店「茶楽」で野菜カレーをくって紅茶を飲む。

    東急の駐車場にクルマを入れて、駐車場の1階にある店でシャツを物色。ふらふらしているうちに靴売り場へ。今若い女の子達がはいているブーツ(中にボアがついてあったかそうなやつ)に似た男物があったので欲しくなって試着(っていうのかな、靴も。試し履き)。CROCSのものはきつすぎ。Columbiaのものは足首がゆるすぎてダメ。どちらもハンパで嬉しい。買わなくていいもん。よかった無駄遣いしなくてすんだ。俺が欲しいけどぐっと我慢しているのはイタリアはブッテロのブーツ。6万円以上する。伊勢丹のメンズ館にある。お願いだから誰か早く買ってくれないか。

    GAPでネルシャツを購入。隣にあった20パーセントオフのセール品と間違えて購入。正価であった。くやしい。吉祥寺をブラブラ。やはり、さきほどのブーツのことが頭にあるのかABCマートへ。ボアのついたブーツを物色。VANSの安っぽいものしかなくて嬉しい。

    ネルシャツをすでに購入したのに、UNIQLOにもいいものがあるかもしれないと思い立ち(馬鹿だなあ)、ヨドバシカメラのビルに。7階にUNIQLOがある。エレベーターの前に並ぶが、あまりの込みように馬鹿馬鹿しくなってリタイア。よかったあ、込んでて。

    その足で「ユザワヤ」へ行くがビルを建て直し中で、お店がない! 調べると吉祥寺丸井の7、8階に移転しているという。てくてく。せっかく丸井に移転したというのに、前と同じように混沌としている。商品のことを尋ねたいのにCASHERにしか店員がいない。いったい、この店はどうなってるんだろうか?

    クルマのフロアマットのアクセルの下の部分(靴の踵が当たる部分)に穴が開いてきたので、穴ふさぎのための頑丈な布地が欲しくて行ったのだが、そのようなものがあつのかないのか、あるとすればどこにあるのか、が分らない。

    やっと捕まえた店員に「あのー、米軍が防弾チョッキに使っているような生地はないでしょうか?」と聞くと「はあー????」という顔をされる。店内を汗まみれになりながら(暖房がききすぎ)徘徊し、やっと、自力でショルダーバッグのベルト部分に使う生地に出くわす。これを購入。うまく貼り付けられるだろうか?

    駐車場からクルマを出して東八道路沿いのJマートへ。郊外によくあるホームセンターである。ここで、換気扇のタイマースイッチ(押して3分ほど経つと自動的に切れるやつ)を探すが、相応しいものがない。似たようなものはあるが4,5000円する。うーむ、自動的に切れるスイッチは高いんだなあ。洗面所の電球(17口の)を2個買っ
て退散。

   クリーニング屋「ポニー」に寄ってクリーニングをピックアップし、また新たに何枚かを出す。ここのクリーニング屋さんで洗ってもらったシャツはヒノキの香りがついてくる。「ヒノキの香りがするのは不愉快なので、オレのシャツには臭いをつけないで欲しい」とお願いするが、ここでも「はあああ??? それは全く無理なんです・・・・」との返事。世の中はままならんな。

   暗くなってきたので、毎度おなじみのカフェ「ハイ・ファミリア」へ。クルマは駐車場へ。ビールとポテトチップとサンラータン雑炊を頼む。ビールで酔っ払って心地よくなってきたところでおもむろにPCを開けて、このブログをこきこきと書き出す。クルマを運転して帰るから、もう少し酔いがさめないと帰れないな、これは。

    雑炊を食い終わってからウーロン茶をオーダー。茶葉は捨てないで取っておいてもらって、何杯でもおかわりできるようにしてもらった。

   こうして一日の行動を記してみると、ほとんど子供ですね。自分勝手なところ、未練がましいところは昔から何にも変わっていない。

    先に、内田樹氏の「街場のマンガ論」には数々、面白いことが書いてあったと書いたけれど、その中のひとつがこういうもの。

<なんのことはない。40年経っても、「がわ」が爺になっただけで、16歳の私はそのまま手つかずでのこっているのである。(・・・・・)
  老いるということは、単線的に加齢するというほど単純なことではない。(・・・・・)
  生まれたときから現在の年齢までの「すべての年齢における自分」を全部抱かえ込んでいて、そのすべてにはっきりとした自己同一性を感じることができるというありようのことをおそらくは「老い」と呼ぶのである。
  幼児期の自分も少年期の自分も青年期の自分も壮年期の自分も、全員が生きて今、自分の中で活発に息づいている。>(P152)

  だから、大学教授になっても女子大生に恋をしてしまって面倒なことになってしまうという事態が起きるわけだな。

  さて、カフェが閉店しそうなので多い急ぎで本の話を少々。長らく読み続けてきた「天皇の世紀」(大佛次郎著)は朝日文庫版で14巻まで来たがついに挫折。活字が小さい、昭和40年代に刊行された古本でインクがかすれてしまっているという理由でギブアップ。大佛氏の病状が悪くなるにつれて引用に次ぐ引用が多くなりはなはだ読みにくいのである。

  まあ、いいわけだけど。文春文庫版が全12巻出揃ったので、これで最初から読み直すこととしたい。

「闇金ウシジマくん」を全19巻読み終えた後、現在は「もやしもん」に取り組み中。また、この後は歴史的な少女マンガに取り組む予定。「ガラスの仮面」とかね。

   
    最近読み終えたのはアルベルト・アンジェラというイタリア人のジャーナリストが書いた「古代ローマ人の24時間」(河出書房新社)。これは西暦115年、トラヤヌス帝の治世下のローマ市民のごくごくありふれた一日を朝早くから夜遅くまで詳細に記述したもの。まるで目の前で一日が過ぎていくようなリアルな書きっぷりがとても楽しい。この方法で、文化文政期の江戸の一日を誰か書いてくれぬものか。

    この「古代ローマ人~」の前にマンガ「テルマエ・ロマエ」(ヤマザキマリ著・エンターブレイン)を読んでいたのだが、この両作品を同時に読むことをお勧めしたい。「テルマエ・ロマエ」はラテン語で「ローマのお風呂」。この作品は「マンガ大賞2010」と「手塚治虫文化賞」をW受賞した傑作で、古代ローマの浴場建築士がなんの拍子か現代日本のお風呂(銭湯や温泉や個人風呂など)にぶくぶくと瞬間移動してしまうというお話。そこでのカルチャー・ショックぶりがこのマンガの面白さのキモとなっている。

    しかし、シチュエーションがシチュエーションだけに、そんなに様々なカルチャー・ショックを作者が思いつけるわけもなく、第2巻目は、やはり第一巻目の際立ちに及ばないのがちょっと残念。

    以前、リーマン・ショックの際に、このブログでも「大損こいた人間の話ばかりが新聞紙面をにぎわしているけれど、大損した人間の裏には大儲けした人間が絶対にいる」ということを何度も書いた記憶があるが、その、気の遠くなるような「大儲けをした人々」のことを丹念に取材して書いた本が「世紀の空売り」(マイケル・ルイス著 文藝春秋)。誰も何も評価しないけれど、こんな面白い本はないと思う。

    副題は「世界経済の破綻に賭けた男たち」。やっぱり、大博打を打って勝つ人間はみんな風変わりだということがよーく分ります。

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「平均」から「アベレイジ」まで

    日曜日のお楽しみはのんびり眠り続けられること。ゴルフのラウンドをすること。ラウンドのないときは練習できること。

    そして、TFMでラジオドラマ「あ、安部礼司 ~ beyond the average ~」(日曜日の午後5時から)を聴くこと。FM放送は、よほどミュージック・オリエンティッドな人々が作っているのか、どの番組も、むやみやたらと、音楽を流すことを主要目的としている。

    ラジオで流すべきは音楽だけではないのに、といつも思っていたが、この「あ、安部礼司」は例外的で、個性的な声優を何人も起用したコメディ・ドラマなのである。主人公は30台のサラリーマンで、その喜怒哀楽がユーモラスに描かれる。

    初めてこの番組を聴いたときに、「あ、これは平成の<日本無責任男>だ」とすぐに思った。「日本無責任男」というのは1962年に封切られた東宝のサラリーマン映画の主人公の別名で、主演は植木等。

    日本が高度成長期の真っ只中にあって、すべてのサラリーマンが青息吐息で刻苦勉励していたその最中に、テキトーでいい加減で、底なしのお気楽男を植木等が軽妙に演じたその映画のタイトルは「ニッポン無責任時代」。そして主人公の名前が「平均(たいらひとし)」。

    なんという符合であろうか。高度成長期のお気楽サラリーマンの名前が「平均」。超低空飛行経済下、まじめに一生懸命働くサラリーマンの名前が「アベレイジ」。その間には約40年の歳月が横たわっているのに、ほとんど変わっていない・・・・。

    さて、この番組を際立たせているのは、この番組の「音担当者」(業界では何と呼ぶのでしょうか)の才覚だと思う。先に、「ラジオはミュージック・オリエンティッドな人々(私の語彙では「音楽馬鹿」)に牽引されていて、自分で自分の首を絞めている」と書いたが、この番組の「音担当者」は実に絶妙な「音あしらい」をしてくれている。はっきりいって素晴らしい。

    脚本も素晴らしい。声優たちも自由闊達に遊んでいて素晴らしい。そしてとりわけ、音楽と音効が素晴らしい。聴いたことのない方は、是非一度聴いてみていただきたい。「音担当者」の頭に蓄積された音楽の厚みと幅に毎回驚かされること必至である。

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2010年11月 8日 (月)

すいません、「天鳳」、まだ六本木にありました!!!

    たった今、クランツさんと言う方より、「天鳳、まだ六本木にありますよ!」というご通知をいただきました。

   すいません。天鳳、勝手に消滅させちゃってごめんなさい。

    みなさん、天鳳はまだ健在です。営業してます。是非、一度一三五を食べに行って下さい。味は私が、保証します。っていったって、どう保証すればいいのか分かんないけど。

    私は、味噌の麺硬に、餃子&ビールが一番好きです。

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2010年11月 7日 (日)

「闇金ウシジマくん」全19巻を大人買い

   
    ひょんなことから「闇金ウシジマくん」全19巻を大人買い。毎晩、寝る前に一巻ずつ読んでいるのだが、これが、辛い。

  辛いのは、「読む行為」が、ではなくて「話の内容」が厳しくて辛いのである。

  この漫画は2004年から「ビッグコミックスピリッツ」に不定期連載されているもの。主人公は、完全に違法行為である、高利の闇の金融業を営むウシジマくんなのだが、かつて、「違法行為者」を主人公に据え、その名前をタイトルに冠したシリアスな漫画があっただろうか?

「辛さ」の理由は、出てくる人間出てくる人間、ほぼ例外なく、社会的弱者である、というところにある。登場人物はみんな、経済的に破綻し、文化資本的に劣位にあり、倫理的に崩壊している。

  全登場人物は、ウシジマくんを含めて、実生活では絶対的に出会いたくない人々である。イカレタ人々なのである。何かが壊れてしまった人々が次から次に登場する。つまり、感情移入すべき登場人物はただの一人もいない。寄り添って一喜一憂すべき人物がいないのである。

  そして、この漫画が発し続けるメッセージは「愚かな者は死ぬしかない」という、身も蓋もない、救いがたく殺伐としたものなのである。

  まるで、コロシアムで公開処刑を眺めているような気分である。

  読者をそのような気分にさせる力を、確かにこの漫画は保持しているが、それは周到な取材によってもたらされているということは、どの巻を読んでも分る。タクシードライバー篇にせよ、テレクラ篇にせよ、本当によく取材されている。そのリアリティが、読者の気分をどん底に突き落としてくれるのである。

  それはそうなのであるが、就寝前に、ナイトキャップとして読むには、あまりにも辛い・・・。

    そして最後にひとこと。このことは誰も言わないだろうから書いておきたい。漫画家・真鍋昌平の真骨頂は、そこから我々はついに抜け出すことができない、索漠として廃墟のような、絶望的な都会の風景を、細密に描き切っていることである。

    潤いのない、カサカサに乾いた我々の痛いほどの日常を、真鍋昌平は我々の眼前に突きつけることをやめようとはしない。

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「天鳳」はどこへ行った?

  数日前の夜、「天鳳」のラーメンを食べようと、ひとりで六本木に出かけた。ガソリンスタンドを過ぎて、目的の雑居ビルを探すのだが、見当たらない!

「天鳳」が見当たらないのではない。ビルごと見当たらないのだ。それどころかあたり一面のビルが取り壊されて更地になってしまっているではいか。

    いつかこういうことになるだろうことは、六本木ミッドタウンのお披露目の日に、道路を挟んだ向こう側に雑然と並ぶビルを眺めながら感じていた。お城の前にスラムが並んでいるようなものだから、いずれ、どこかの金のある奴が金儲けの為に「スラム」を撲滅するだろうと。

    30年ほど前、毎晩のように六本木に出撃していたことがあった。いったいどの暇にそんなことをしていたのかよく思い出せない。いったい誰がどうやって金を工面していたのかもよく分らない。

    よくわからないけれど、毎晩パブ・カーディナルで晩飯を食い、「ボーブランメル」や「オードヴィ」に出かけては飲めないお酒を飲んでいた。時には「クラブB」や「ネペンタ」や「玉椿」にも出かけた。

    夜中の12時を過ぎる頃、さすがに腹が減ってきて、「広州小食」で「コワンメン(素ラーメンですね)」や「カレーライス」を食べ、「大八」や「天鳳」でラーメンを食べていたのだ。今では「大八」を除いてすべての店が消えた。なんだか、青春時代の思い出が消失してしまったような淋しさがある。

「天鳳」の思い出を書く。この店のことを知ったのは1980年に発売された「BRUTUS」の小さなコラムでだ。「札幌のラーメン横丁」の店が東京に店を出した。頑固一徹なおやじが一人で店を切り盛りしていると、あった。

  面白そうなのですぐに出かけた。メニューは木簡のような木の札に書かれて壁にかかっていた。「めんばり」、「醤油」、「味噌」。そしてその横に一から六まで数字が書かれた札が並ぶ。数字の下には「一、麺硬く」「二、麺柔らかく」「三、しょっぱく」「四、薄味」「五、脂こっく」「六、さっぱり味」というような意味のことが書かれていた。

「めんばり」というのは「麺がバリバリに硬い」というしろもの。かの有名な西山製麺の麺を空輸して供していたが、それをさっと湯がいただけで出していた。だから、分量がはなはだ少ない。ラーメンどんぶりの底のほうにお茶碗1杯分くらいの麺があるだけなのである。

  だから、すぐに食べ終える。当然、なんだか物足らない。なので、ある日の夜、「おやじさん、メンバリもう一杯」と頼んでみた。すると、ごま塩頭の頑固そうな親父は「馬鹿野郎、こんなもの2杯も食う奴があるか!」と取り合ってくれない。「胃の中で膨らむから2杯は食っちゃいけない」というのである。

  仕方がないので、餃子を注文した覚えがある。先に書いた一から六までの数字だが、「二、四、六」と頼もうものなら親父は激昂した。「麺柔らかく、薄味で、脂少なめ」という意味だが、「そんなものはうちでは出さねえ」と取り付く島もない。

  早い話が「一、三、五」しか許してはくれないのである。だったら、紛らわしいから「二」「四」「六」は壁に掲げないで欲しいと思うのだが、最後までかかっていた。

    このオヤジにはよく怒られた。「メシ」を頼むと小皿に乗った黄色い沢庵が二切れついてきた。あまりうまいので、「おやじさん、沢庵だけおかわり」と頼んだら「うちでは沢庵だけは出していない!」と怒鳴られた。こちっも若かったから「よーし、分った。メシ大盛り!」と頼んで、大盛りメシには手をつけず、沢庵だけ食べたこともあった。

    そのオヤジも数年前に亡くなり、多分その息子さんと思しきオヤジが切り盛りしていた。「ドラム缶ラーメン 天鳳」。30年間に染み込んだ脂で床がキュルキュルと滑った。愛想のない店で、入口のラジカセからいつもラジオ放送が流れていた。その店の臭いやたたずまいはもう、自分の脳みその中にしか存在しなくなってしまった。

  飯倉のアクシスビルのそばの雑居ビル(今はもうない。多分、今は駐車場になってしまっている?)の5階(だったと思うが)に、カウンターと大テーブルだけの酒場があった。その名前は「EAU DE  VIE」。キミちゃんという、同い年のママが我々のアイドルで、会社の先輩後輩うちそろって、ほぼ毎日顔を見に来ていた。

  さるレコード会社の社長はいつもカウンターに座っていたし、さるオピニオン誌の編集長(現)も常連だったし、いまでは関西を中心にTVのコメンテーターをつとめる後輩は彼女ができると決まってこの店に案内していた。

  キミちゃんは、「天鳳」が入っていた雑居ビルの2階にも「アマポーラ」というカウンターだけの小さな店を出していた。そこにも我々は通った。カウンターの中には女子大生がアルバイトで入っていて、気に入ったおんなの子を見つけてはなんだかんだと話しかけたものだった。

  それから数十年が過ぎ去り、ある日あるとき、「VOGUE nippon」で働いているある女性と話をしていたら、その彼女が「アマポーラ」のカウンターの中の女子大生だったことが判明してひどく驚いたことがある。

  六本木にまつわる思い出は多い。「なんとなくクリスタル」を上梓したばかりの田中康夫くんとふたりで、六本木の交差点で、かわいい女の子にかたぱっしから「ねえ、一緒に飲みに行かない」と声をかけまくったこともあれば、「ハンバーガーイン」の傍の路上でローレン・バコール(本物ですよ)と大喧嘩した思い出もある。

  でも、それは話が長くなるからまたの機会に。

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